
山本シンヤ
やまもと・しんや
山本シンヤの記事一覧
自動車研究家。自動車メーカーの商品企画、チューニングメーカーの開発、自動車専門誌の編集長などを経て2013年に独立。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営
近健太新社長。経理畑で培った数字の目と人間力を武器に、世界首位を走るトヨタの未来を切り開く
7月に放送され、大きな反響を呼んだNHKスペシャル『インサイド・トヨタ』。だが、番組が映し出したのは2026年上半期も世界販売トップを維持した巨大企業の一側面に過ぎない。
その現場では、今何が起きているのか。長年、トヨタを取材してきた山本シンヤ氏が、知られざる舞台裏と近健太新社長の素顔から、トヨタの実像を読み解く。
7月19日に放送されたNHKスペシャル『インサイド・トヨタ』が、大きな話題を呼んだ。次世代カローラの開発現場、リアルな商品化決定会議、そして豊田章男会長の生々しい言葉......。
普段は絶対にカメラが入らない巨大企業の内部をとらえ、「世界王者は今、何と戦っているのか」を切り取った映像作品として非常に見応えがあった。
SNSには「公共放送が特定のメーカーを取り上げるのはどうなのか」という批判も出ていたようだが、「日本のものづくり、頑張れ!」という視点で見るなら、僕は違和感ないと思った。
実は僕自身、今回のNHKスペシャルの取材陣に陰ながら協力していた(番組のクレジットに僕の名前は出てこないけれど!)。なぜなら、自分が手に入れた情報を独占するのではなく、多くの人に「トヨタの〝正しい話〟を伝えてほしい」という思いがあるからだ。
これには、僕自身のある約束もある。かつて豊田氏に「メディア嫌いはわかりますが、正しいことを伝えようとしているメディアもあることを信じてほしい」とたんかを切ったことがある。その言葉を、今も自分なりに守っているつもりなのだ。
といっても、あの番組がとらえたのは、トヨタという巨大な組織のほんの一場面に過ぎない。では、もっと長い年月をかけて現場と泥くさく付き合い、トヨタを見続けてきた僕の目には、今のトヨタがどう映っているのか。
テレビの画面からは見えてこないトヨタの「本当のリアル」と、彼らが描く「これから」について書きたいと思う。
番組放送直後の7月末、必然とも言えるニュースが飛び込んできた。トヨタの2026年上半期(1~6月)における世界販売台数が539万484台に達し、7年連続で上半期世界トップに立った。2位の独フォルクスワーゲングループ(約412万台)にも大差をつけての首位キープだ。
世間や一部のメディアは、ここ数年「EV(電気自動車)シフトに遅れたトヨタはオワコン」「中国勢の攻勢で倒産寸前になる」などと好き勝手に書き立てている。だが、現実の数字はどうだろうか?
今回の539万台という数字の裏で、特に際立っているのが「電動車」の伸びだ。HEV(ハイブリッド車)が世界的に絶好調で過去最高を記録し、PHEV(プラグインハイブリッド車)やEVまで含めた「電動車」の販売割合は、上半期として初めて「全体の5割」(54%)を突破した。
ちなみに、EVシフトを声高に主張してきた欧州勢の多くは、今や戦略の見直しを進め、直近ではさまざまなハイブリッドモデルが相次いで登場している。要は、「背に腹は代えられない」ということ。
結果、トヨタが貫いてきたマルチパスウェイ戦略の正しさが、「7年連続の上半期世界首位」と「電動車比率50%超え」というふたつのファクトにより証明された。
しかし、現地や開発現場に何度も足を運んで取材する中で、常に感じることがある。当のトヨタ社内には、「世界一」を誇るような浮かれた空気など1ミリもない。
むしろ現場を支配しているのは、「このままで本当にいいのか?」という強烈な危機感。そして、正解がわからないからこそ挑戦をやめない。そんな愚直なまでの「現場力」が、至る所で目に入る。
現在のトヨタの足元を支え、次なるかじを切るキーマンが、今年4月1日に新社長に就任した近(こん)健太氏。
「近さんって『お金の人』というイメージが強いけど、トヨタでこれまで何をしてきた人なの?」
そんな声を耳にした。僕自身もそう思う。ネットで検索しても出てくるのはトヨタの役員としての公式プロフィールのみで、彼がどんな男なのか、その人間味までは見えてこない。
僕は、彼の人となりを知ることこそ「なぜトヨタが揺らがないのか」を読み解く最大のヒントだと思い、本人にそんな質問をぶつけてみた。すると、照れくさそうに語ってくれた。
7月18日、長野県茅野市の聖光寺の夏季大祭で交通安全を祈願した近健太新社長
近社長は1968年、新潟県生まれ。少年時代は、周りが巨人ファンばかりの中、かたくなに「アンチ巨人」を貫くへそ曲がりだった(現在は中日ファン)。
中学では卓球部に入ったものの、「坊主頭にしろ」と言われて即退部。高校時代はBOØWY全盛期にバンドでベースを弾き、松田聖子も聴く、そんな等身大の青春を送った人物だ。
そして、1991年にトヨタ入社。その理由をこう語る。
「純粋にクルマが好きだったから」
華やかな「宣伝部」を希望していた彼に下された最初の辞令は「経理部」。配属直後、上司から命じられた仕事は実に泥くさいものだった。
「立体駐車場の電気が明るすぎるから間引いてこい、と。ヘルメットをかぶって、脚立を持って、一本一本電球を抜いていったんです。『これがトヨタの経理の仕事なのか?』と思いながら(笑)」
ただ、この作業が近氏の原点となった。「1円、2円の原価低減」を愚直に積み重ねる現場の努力を知り、みんなが命がけで稼いだお金を絶対に無駄にしないという〝数字のリアル〟を体に刻み込んだのである。
そんな近社長の人生最大のターニングポイントは、豊田章男会長の社長時代に秘書を務めた約8年間。当時の近氏は、ヘッドホンをつけて出社し、ポケットに手を突っ込んで警備員の挨拶も無視するような〝とがりぶり〟。そんな姿勢をガラッと変えるきっかけになったのが豊田氏だ。
「会長は、どんなときでも、誰にでも絶対に挨拶を欠かさない。そんな道徳的なことも含めて、人として育ててもらったと思います。今の自分が当時の自分を見たら、絶対に怒ると思います」
豊田章男会長。トヨタの利益だけでなく、日本のものづくり全体の未来を見据えている
もうひとつ、トップの覚悟を間近で見た。どんなに苦しい決断でも、一番悲しむ人の顔を思い浮かべながら、それでも未来のために下す。トップとは、そういう孤独と責任を背負う仕事だと学んだ。
今の近社長は、僕の中では最高の「モチベーター」。佐藤恒治前社長(現副会長)がエンジニアらしいシャープな雰囲気なら、近社長は典型的な「日本のサラリーマンのお父さん」。プライベートではトヨタのノアを乗り継いできた筋金入りのミニバン愛好家だ。
ちなみにヘビーユーザーとして感動した装備が、ルームミラーとは別に後席を確認するための小さなミラー。
「後席の子供たちの様子が全部見える。静かになったら、寝てるのかな、首にシートベルトが巻きついてないかなって確認できる。あれは本当にお客さんのことを考えた、最高の装備だなと思いました」
現在の愛車はGRヤリスだが、サーキットを速く走るクルマだけが好きなのではない。家族で出かけるお父さんがストレスなく運転できること。子供が安全に過ごせること。
豊田会長や佐藤副会長のクルマづくりが「走りの味」を追求するものなら、近社長のクルマづくりの肝は家族を包み込む「お父さんの味」。技術やエンジニアリングを推進するこれまでのトップ陣に対し、経理出身の近氏の存在は、トヨタに絶妙なバランスをもたらしている。
TGRラリーチャレンジに出場した近健太社長(左)と、ウーブン・バイ・トヨタの隈部肇代表取締役CEO(右)
いいクルマをつくる努力と、コスト意識や稼ぐ力。その両立を迫られたとき、今のトヨタのエンジニアは本能的に理想のクルマづくりを選びがちになる。そこに「いいクルマをつくるだけじゃなく、しっかり稼いで次の投資につなげよう」とストップをかけられるのが近氏なのだ。
近氏が社長に就任する前に、GRの車両の試乗を行なったとき、ブレーキの利きやフィールをすごく気にされていたという話を聞いたことがある。これ、僕にはすごくよくわかる。良いブレーキがあるからこそ、ドライバーは安心してアクセルを踏み込めるからだ。
そしてブレーキは車を止めるためだけでなく、コーナーの手前できっちり減速して曲がるきっかけをつくり、出口に向けてアクセルをドーンと踏み込むための手段でもある。
アクセルを踏むためだけでなく正しい道にかじを取るためにも、「信頼できる最高のブレーキ」の重要性を知っているのが近氏なのである。
今のトヨタは、技術の中嶋裕樹副社長、財務の宮崎洋一副社長、そして全体を見ながら最高のブレーキをかけられる近社長という、バランスの取れた体制に感じる。
今年1月の東京オートサロンで公開された「GRヤリス MORIZO RR」。ニュル仕込みの特別仕様車
世間は豊田通商やデンソー、アイシンといったグループ企業を下請けのように見ることもあるが、それは現場を知らない浅はかな見方。彼らは創業者・豊田喜一郎氏の「日本の手で国産車をつくる」という志から発足した強力な〝パートナー〟だ。
例えば豊通商。単なる商社と思うなかれ、EVバッテリーに必要な鉱山開発から鉄の調達、さらにはアフリカ市場の泥くさい開拓やリサイクルまで担っている。こうした盤石なエコシステムがあるからこそ、トヨタは世界中のどんな地域でも戦える。
また、トヨタの強さは「過去のデータだけに頼らない姿勢」にもある。「3ドアのスポーツカーなんて今の時代売れるわけがない」と社内外からいわれながらも、WRC(世界ラリー選手権)で勝つための基準を満たすべく年間2万5000台の生産に挑んだGRヤリスがいい例だろう。
ふたを開けてみれば、世界中のクルマ好きが飛びつき累計6万台を突破。想定をいい意味で完全に裏切った。過去の前例にひるむことなく挑んでいく姿勢。この熱量こそが、現代の自動車メーカーが失いかけている「クルマ屋としての矜持」なのではないか。
NHKスペシャルでは、メディアの前では最高の笑顔を披露する豊田氏が、組織に対する焦燥感や厳しい表情をあらわにする姿も映し出されていた。豊田氏が見ているのは、トヨタ一社の利益ではないからだ。
昨年、僕がベルリンで家電の展示会(IFA)を見た際、かつて世界を席巻した日本メーカーのブースが消え、韓国や中国、台湾のメーカーが巨大なホールを占拠している現実に強いショックを受けた。
日本の自動車産業を家電と同じ目に遭わせてはいけない。トヨタだけでなく、日産もホンダもスバルもマツダも、日本のサプライヤー全体が強くならなければ、この国の雇用と産業全体が沈む。豊田氏の視線の先にあるのは、「日本のものづくり」の命運なのだ。
番組内で生産技術の社員が設計に対して「この図面は受け取れません!」と言い放つ場面があった。あれは単なる社内のけんかではない。ユーザーの手元に渡ってから5年、10年と品質を守り続けるために、製造の現場が命がけで意地を見せている姿だ。
あの「現場の意地と熱量」を可視化したことだけでも、あの番組には大きな意味があったが、トヨタという会社は1年弱の密着では語り尽くせない。
誰も見ていない泥くさい現場で、汗を流して一本のボルトを締め、一枚の図面と格闘している人たちが全国・世界に何十万人といる。その現場の積層こそが、世界首位を走り続けるトヨタの真の姿なのだ。
日本のモータリゼーションを支えた大衆車カローラは、かつてのユーザーの高齢化に伴い「おじさん・おじいちゃんの乗るクルマ」という危機に直面していた。
しかし、12代目となる現行モデルは、原点回帰(ちょっとスポーティで楽しく走るクルマ)に加えて、カローラクロスやGRカローラの投入により、若者が憧れるスポーティで魅力的なブランドへ変貌を遂げた。
そして今年、カローラは誕生60周年。次期カローラでは、ひとつのプラットフォームでガソリン、HEV、PHEV、EVをそろえ、それを「良品廉価」で世界中に届けるというマルチパスウェイの集大成のような挑戦が始まる。
1966年発売の初代カローラ。世界的ベストセラーカーの伝説は、このクルマから始まった
2019年にデビューした現行12代目カローラ。スポーティな走りと多彩な派生モデルでイメージを刷新
昭和、平成、令和。いつの時代も日本の人々の暮らしと空気を映し出し続けてきたカローラの60周年には、トヨタという企業の「覚悟」が凝縮されている。
もちろん、僕はトヨタの人間ではない。だからこそ、これからも忖度なしの第三者の視点で現場に足を運び、「本当のリアル」を追い続ける。それこそが、僕の「Re:インサイド・トヨタ」である。