広がるアジアの網~サパ(1) 【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

文・写真/佐藤 佳

初日のサンプリングサイト「サパの洞窟」にて。キクガシラコウモリからスワブ(ぬぐい液)を回収する、私と私のラボメンバーたち。初日のサンプリングサイト「サパの洞窟」にて。キクガシラコウモリからスワブ(ぬぐい液)を回収する、私と私のラボメンバーたち。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第189話

コウモリを追い、ベトナムの山奥へ。慣れない夜のサンプリングに挑みながら、現場でしか感じることのできないウイルス研究の醍醐味を味わう。

* * *

【「サパの洞窟」】

18時前に、急遽として新たな目的地となった「サパの洞窟」に到着する。

車を降りてから、さらに山の奥地にある洞窟を目指して、大旅団は森を分け入っていく――。

そんなシーンを想像していたのだが、到着して拍子抜け。車を停めた目の前にその洞窟はあった。

ベトナムチームに聞くと、ここは観光地で、人の出入りもあり、そもそもコウモリはあまり生息していないらしい。そしてなんと、「ハンター」とも呼ばれる地元の人たちがつい最近、この洞窟に棲むコウモリをあらかた食い尽くしてしまったというではないか。

(左)急遽、初日のサンプリングサイトに決まった「サパの洞窟」。(右)洞窟手前に貼られた注意書きの貼り紙。NHKチームが雇った通訳いわく、「中では飲食禁止」「喫煙禁止」などということが書いてあるらしい。要は、観光客向けの注意書きである。(左)急遽、初日のサンプリングサイトに決まった「サパの洞窟」。(右)洞窟手前に貼られた注意書きの貼り紙。NHKチームが雇った通訳いわく、「中では飲食禁止」「喫煙禁止」などということが書いてあるらしい。要は、観光客向けの注意書きである。

......うーむ、思い描いていた「ベトナムの山奥でのサンプリング」のイメージとの乖離がどうにも否めない。もやもやしながらサンプリングの準備をしていると、民族衣装のような服を着た女性たちが、物珍しそうにわらわらと寄ってきた。

NHKチームが雇った通訳いわく、彼女たちは「ザオ族」というベトナム北部の少数民族で、この洞窟の観光ガイドなどをして生計を立てているという。

こんな山奥に住んでいるのだ、刺繍の施された民族衣装もなんかも着ているし、いったいどんな原始的な生活をしているのだろうと思ったのだが、みんな普通にスマホをいじっていた。英語はほとんど通じないので、Google翻訳を使ってベトナム語で質問してみると、新型コロナワクチンも毎年ちゃんと打っているという。

ベトナム北部の少数民族「ザオ族」。赤い帽子がトレードマーク。観光客相手に洞窟を案内したり、刺繍した布やバッグを売ったりしているらしい。ベトナム北部の少数民族「ザオ族」。赤い帽子がトレードマーク。観光客相手に洞窟を案内したり、刺繍した布やバッグを売ったりしているらしい。

【初日のサンプリング開始】

日没直前にトンさんチームが、洞窟の入り口に「ハープトラップ」と「ミストネット」を設置する。

(左)洞窟の入り口に設置した「ハープトラップ」と「ミストネット」。(右)そしてそれを撮影するNHKのカメラマンと、それを後ろから覗き込むザオ族の子どもたち。(左)洞窟の入り口に設置した「ハープトラップ」と「ミストネット」。(右)そしてそれを撮影するNHKのカメラマンと、それを後ろから覗き込むザオ族の子どもたち。

トラップを設置したら、あとはひたすら捕まるのを待つのみである。

――と、そこで一案。どうせ手持ち無沙汰だし、むしろ洞窟の中に入って、中のコウモリを外に追いやったりすれば、よりたくさん捕まえられるのではないか? と思いつく。

しかしトンさんいわく、この洞窟は、入り口は小さくとも、中はかなり深く、広く、奥の方はかなり危険であるという。

と、そこにちょうどうまい具合に、洞窟の中に詳しい、という地元の男があらわれた。トンさんが彼にお願いをして、彼に先導してもらい、洞窟の中を案内してもらえることになった。

防護のために、私のラボメンバーのみならず、同行するNHKのテレビクルーや地元の人も全員、個人用防護服(「PPE」、あるいは、あるメーカーが作った材質から、「タイベック」と呼ばれたりもする)に登山用手袋、N95マスク、プラスチックゴーグルを身につける。

......そしていざ、洞窟の中へ。

「洞窟の中は『かまくら』のような空洞」という構造を勝手にイメージしていたのだが、これもやはり私の勝手な先入観。実際のそれは想像とはまったく異なるものだった。

それは鍾乳洞で、いちばん奥まで行くには4~5時間もかかるという。中はかなり入り組んでいて、天井ははるか高く、岩肌は湿っているので足元はかなり滑る。滑落したらすぐ死ぬ、というような深く狭い道が続いた。

――いやいや待て待て、これは『インディージョーンズ』のような探検の旅ではないのだ。中に入って騒いでどうにかなるような広さではないし、そもそもにして肝心のコウモリはまったく見当たらない。20分ほどで引き返して、外界に戻ることにした。

その洞窟の道中、何本もの竹の棒が転がっている場所があった。先導してくれた地元の人いわく、コウモリを食べる「ハンター」たちが、コウモリを捕まえるための網を仕掛けるのに使っているのだという。

結局この日は、6匹のキクガシラコウモリを捕獲した。もちろんすべて、洞窟の入り口に仕掛けたトラップで捕獲したもの。それらから慎重に検体(ぬぐい液)を回収し、その様子をNHKがカメラに納め、この日の活動は終了となった。

【「チャムチャム!」】

23時過ぎにサパの市街地に戻る。トンさんが予約したと思われる食堂で、みんなで遅い夕食をとった。この日のメニューは「チョウザメの鍋」。

標高の高いサパの夜は、肌寒さすら感じる。滋味深いチョウザメ鍋は、身体を芯から温めてくれた。

(左)チョウザメ鍋の具のチョウザメ。これを鍋に入れて煮込む。サパには「サパ湖」という湖があり、チョウザメはそこで獲れるらしい。(右)ブン(そうめんのような丸麺の米麺。ちなみに「フォー」は平麺)を器に入れて、それに鍋の汁や具を入れて、温麺あるいはラーメンのようにして食べる。おいしい。(左)チョウザメ鍋の具のチョウザメ。これを鍋に入れて煮込む。サパには「サパ湖」という湖があり、チョウザメはそこで獲れるらしい。(右)ブン(そうめんのような丸麺の米麺。ちなみに「フォー」は平麺)を器に入れて、それに鍋の汁や具を入れて、温麺あるいはラーメンのようにして食べる。おいしい。

鍋を食べながら、そしてビールを飲みながら、この一日のことを振り返ってみた。

捕獲できたキクガシラコウモリは6匹。収穫はあるにはあった。そして、サンプリングにはまだ2日残っている。そう考えれば、今日の成果は上出来だと考えるべきか?

――このとき、私が成果そのものよりも気がかりだったのは、この日のあまりの段取りの悪さだった。どんなスケジュールなのか、それがチーム全体で共有されていない。そもそも、予定通りにことが進まなすぎる。だらだらと目的地に向かい、それで間に合わなかったから行き先を急遽変更、という杜撰さに、内心苛立ちを覚えずにはいられなかった。

今回はテレビカメラまでついてきているのだ。あと2日あるとはいえ、明日以降もこんなグズグズでは困る。これはいったいどうしたら......。

などと眉間に皺を寄せて考えをめぐらせていると、向かいに座っていたベトナム人の男が、ペットボトルに入った怪しげな液体をボウルに注ぎ始めた。「ローカルワイン、ローカルワイン」と彼は言う。

彼らが「ローカルワイン」と呼ぶ謎の飲み物。おそらくどぶろく。アルコール度数はおそらく焼酎とウイスキーの間くらいの感じ。彼らはこれを「白ワイン」と呼び、コーラのような色のもの(後出)を「赤ワイン」と呼んでいた(透明のものもある)。独特の薬草感のある味。彼らが「ローカルワイン」と呼ぶ謎の飲み物。おそらくどぶろく。アルコール度数はおそらく焼酎とウイスキーの間くらいの感じ。彼らはこれを「白ワイン」と呼び、コーラのような色のもの(後出)を「赤ワイン」と呼んでいた(透明のものもある)。独特の薬草感のある味。

その「ローカルワイン」をボウルに注ぐのは、トンさんの弟子のルン。ボウルに注いだその液体を、柄杓を使ってお猪口のような器に注ぎ、私を含めた周囲の人たちに配り始めた。

これを(左上)、これに(右上)、こうして(左下)、こうなる(右下)。これを(左上)、これに(右上)、こうして(左下)、こうなる(右下)。

「チャムチャム!」というルンのかけ声に合わせて乾杯をし、それをひと息に飲み干す。テキーラのショットグラスと同じ要領である。

「チャムチャム」とは、ベトナム語で「グラスを空ける」、という意味であるらしい。

......まあまだ初日。あまりいろいろと考えすぎても仕方がないのかもしれない。

「チャムチャム!」と私はルンに声をかけ、空になった器を見せ、やはり空になっている彼の器を指差す。私の意図を理解したルンは、ニヤッと笑い、柄杓で再び自分と私の器に「ローカルワイン」を注ぐ。「チャムチャム!」と唱和し、器を重ね、それをひと息に飲んだ。

そんなことを何度か繰り返していると、隣の席から、店内に流れるベトナムの民謡のような曲に合わせて吹く横笛の音が聴こえてきた。おそらく店員と思われる青年が、きれいな音色の横笛を吹いていた。

曲が終わるタイミングで何度か合いの手を入れているうちに、酔いも回って楽しくなってきた私は、ルンと一緒にその席に混ざり込んだ。ベトナム語でなにかの会話がなされているが、もちろん私にはわからない。

全員分の器に注がれた彼らの透明な「ローカルワイン」で何度も「チャムチャム」をした。青年が、私のために、と横笛で一曲演奏をしてくれたところまでは覚えている。

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  • 佐藤 佳

    佐藤 佳

    さとう・けい

    東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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