サンプリング2日目の朝、サパのホテルにて。トンさんと私。コウモリ生態学者のトンさんのスマホのカメラにはいろいろな記録機能がついていて、写真の右上には、撮影日時や場所の座標、標高などの情報まで記録されている。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第190話
綿密な作戦会議を経て臨んだ2日目。しかし、海外でのフィールドワーク研究の現実に翻弄され続ける。
* * *
【作戦会議と、ある衝撃の事実】
2日目の朝。前日に続いて、この日も快晴。
(左)サパ湖の朝。晴れていて気持ちの良い朝である。(右)気温も湿度も快適。
気持ちの良い高地の朝の空気の中で、ホテルのテラス席で朝食のフォーを食べる。練乳入りの甘く濃いベトナムコーヒーを飲みながら、今日の予定をひとつひとつトンさんに確認することにした。
昨日の経験から、ベトナムチームに流れに任せたままでは、予定がぐずぐずになることがわかった。それを避けるために、今日はきちんと予定を組んで、ルートを確認し、予定到着時間も決めて、それを全体に共有してもらうことにしたのだ。何度もしつこいくらい、今日の段取りとスケジュールを、ベトナムチームのリーダーであるトンさんに繰り返し確認した。
2日目の今日は確実にたくさんのコウモリを捕獲したい。ということで、サンプリングサイトを変更し、ラオカイ省の別の街ヴァンバン(Van Ban)に拠点を移すことになった。ヴァンバンは、観光客が訪れるような街ではなく、オンラインで予約できるホテルなどはないということで、トンさんが人数分の部屋を電話で予約してくれた。
――そこでトンさんに何度も繰り返し確認した、今日のスケジュールはこうだ。
10時にサパを発ち、2時間ほどかけて、ヴァンバンのホテルに到着。
チェックインした後、12時過ぎにみんなでランチ。1時間ほどの食後休憩を挟んで、14時にはサンプリングサイトに向けて出発。
ホテルからサンプリングサイトまでは車で30分ほど。18:30の日没前にトラップを洞窟前にセットすれば良い、と考えればむしろ「早すぎる」、余裕たっぷりのスケジュールである。
トンさんには何度もこのスケジュールを確認した。そうだ、その通り、これでいい、間違いない、とトンさん。これであれば、昨日のような後手後手になるリスクは消えた。それを、日本チーム(=私のラボメンバー)、NIHEチーム、NHKテレビクルーチームにも日本語で伝達した。
今日の予定の綿密な打ち合わせを終えると、やはり甘く濃い練乳入りのベトナムコーヒーを飲みながら、しばしの間、トンさんと談笑した。
今日のサンプリングサイトに定めたヴァンバン近郊の洞窟には、トンさんとその弟子のルンが下見に出かけていて、そこには数百匹のキクガシラコウモリが生息していることを確認していた。その動画も見せてもらった。
それからわずか1週間。トンさんいわく、昨日の「サパの洞窟」のように、「ハンター」のような人たち(トンさんたちベトナムチームは、彼らのことを「ローカルピープル」と呼ぶ)が洞窟に棲むコウモリを食べ尽くしたりしていなければ、大量捕獲は十分に見込めるという。
「――それにしても、昨日の『サパの洞窟』のコウモリを食べ尽くしたハンターというのは、いったいどういうやつなのかね」。コーヒーをすすりながら私が言うと、「何を言ってるんだケイ、昨日会ったじゃないか」とトンさん。
――?
私が頭に?マークを浮かべていると、なんと、洞窟の案内役だった地元の男こそが、「サパの洞窟」のコウモリを食べ尽くしたハンターだったというではないか! つまり私たちは暢気にも、洞窟の中のコウモリを食べ尽くした張本人と一緒に、コウモリがいなくなった洞窟の中に入って、コウモリを探していた、ということになる。
そして、洞窟の中に転がっていた竹の棒を使ってコウモリを捕まえていた張本人に、その使い方を訊いていた、ということだ。マヌケにもほどがある。
【ヴァンバンへ】
予定通り、10時過ぎにサパを出発。
サパは丘陵な田園地帯で、棚田が広がり、どこか牧歌的な雰囲気があった。サパの知名度は日本ではあまり高くないと思うが、欧米では人気の観光地だという。
それが一転、ヴァンバンに向かう車の車窓には、岩肌に苔のように木が生えた、水墨画のような急峻な山々が連なる景色が広がった。まさに私の先入観の中の、中国・雲南省の山奥のようなイメージと重なる。
舗装されていない道も多く、とんでもないオフロードで車内を揺さぶられるところもまた、「辺境」に近づきつつある空気を醸し出しているようにすら感じた。
ヴァンバンに向かう道の一景。オフロードの先に、おそらく岩山であろう、中国の山奥を連想させるような山々が見える。
12時過ぎ、ほぼ予定通りに、ヴァンバンのホテルにチェックイン。
ヴァンバンのホテルの部屋の洗面所。シャワーブースとトイレが一体型。気が抜けていたのか、東南アジアでは必須の「用を足す前のトイレットペーパーチェック」を怠って用(大)を足してしまい、東南アジアでよく見かけるハンディータイプのウォシュレットシャワー(右)を初めて使うハメに。当然床はびちゃびちゃになった。
標高が下がったのか、サパから一転、ヴァンバンは暑かった。聞いたことのない鳴き声の蝉が鳴いていたが、木の高いところで鳴く蝉のようで、残念ながらその姿は見えなかった。
みんなでランチをとって、1時間ほどホテルで休憩する。そしてやはり、予定通りの14時、身支度を整えた大旅団はいざ、2日目のサンプリングサイト「ヴァンバンの洞窟」に向かう。昨日とは打って変わって、すべてが予定通りに進んでいた。
【突如発覚した「新しい」5つの事実】
いまさら言うまでもないが、今回の私たちの旅の目的は、コウモリのサンプリング。20人を超える大旅団を組んでたった6匹では、目的達成とは言いがたい。そもそも『水曜どうでしょう』じゃないのだから、想定外のトラブルやドタバタ劇などいらないのである。
私が立ち上げたプロジェクトのための大旅団であるが、サンプリング活動のリーダーはベトナムチームのリーダーであるトンさん。そしてサンプリングに参加するのは、私はこの旅が初めてだった。であるからして、このツアーそのもののリーダーは私でなかった。
指揮系統がハッキリしていないからなのか、NHKチームが雇ったベトナム人通訳やバンのドライバーが、どうやら私たち日本チームの預かり知らないところで、勝手にスケジュールを変えていることがわかった。
「こっちの道の方が早いと思ったから」という理由で勝手にルートを変更する。5台あるバンのうち、なぜか1台だけ道を間違える。地図アプリに道が載っていなかった、と言い訳をする、などなど。
Google Mapsを見ながら、現在地を確認しながら私たちのバンは進んだ。
トンさんが事前に教えてくれていた目的地まではもうすぐ。細かなトラブルはいくつかあったものの、それでもこの日はなんとか、目的のサンプリングサイト「ヴァンバンの洞窟」には、予定より早めに到着できそうだった。
......しかし、バンはなぜかそこを素通りする。
そして、サンプリングサイトであるはずの場所から10分ほど進むと、道路は通行止めになり、封鎖されていた。
通行止めになっていた未舗装の道路。
NHKチームが雇ったベトナム人通訳によると、ちょうど5分前に落石があったのだという。そして現在は、安全確保のために、なんと地雷を設置して、落ちそうで落ちない山壁の石をすべて撤去しようと作業中であるらしい。道路が復旧するまで、1時間ほどかかる見込みとのこと。
......なんという間の悪さ。しかしまあ、1時間くらいの遅れであれば、まだまだ全然許容範囲。今日はそういう、多少トラブルも織り込み済みでスケジュールを組んだのである。
車を停め、みんなバンから降りて、なにが起きているのか、これからどうするのか、という情報共有をする。
日本語、英語、ベトナム語が入り混じる錯綜した状況だったが、いずれにせよ、私を含めた日本メンバー全員が浮かべた疑問はただひとつ。
「というかそもそもなぜ、サンプリングサイトを通り過ぎる必要が?」
――そして、ここで突如判明した、新しい5つの事実。
1つ目。大旅団の5台のバンのうち、トンさんが乗るベトナムチームの車だけがこの通行止めの先に進んでいて、「あちら側」にいるトンさんが乗るベトナムチームの1台と、「こちら側」にいるわれわれ4台が分断された状態にあること。
2つ目。トンさんは、この落石ポイントからさらに30分ほど先にある「事務所」に向かっている。そしてそこで、サンプリングとテレビ撮影の申請と許可を得る必要があること。
3つ目。今回のツアーに、NHKの撮影クルーが同行していることは187話で述べた。社会主義国であるベトナムでは、外国のテレビの撮影の際には政府関係者の同行することが義務付けられていて、私たちの大旅団にも1名の政府関係者が同行していた。現在、トンさんが「事務所」で進めようとしている申請手続きには、トンさんだけではなく、この政府関係者の同席が必要である、ということ。
4つ目。この政府関係者は、トンさんが乗っている「あちら側」のバンではなく、「こちら側」のわれわれのグループのバンのひとつに乗っていること。
そして5つ目。サンプリングと撮影のために「ヴァンバンの洞窟」に入るには、この「事務所」での申請を終え、許可を得て、トンさんと政府関係者が揃ってそのサンプリングサイトに到着している必要があること。
つまり、「ヴァンバンの洞窟」でのサンプリング(と撮影)を始めるためには、
①通行止めが解除されるまでに最低1時間、
②「こちら側」にいる政府関係者が、通行止めの先にある「事務所」に着くまでに30分、
③トンさんと政府関係者が、「事務所」で申請し、許可を得る(所要時間不明)、
④トンさんと政府関係者が、「事務所」から現在地に戻るまでにまた30分、
⑤そしてさらに、ここ(現在地)からサンプリングサイトまで10分。
つまり、いくら短く見積もっても、最低2時間以上の時間が必要になる。
これが判明したのが16時前。かなりゆとりをもって出発したはずなのに、2時間もすれば日没である。
189話でも紹介したように、コウモリを捕獲するトラップは日没までに仕掛けておかなければならない。日没から夜にかけて活動を始めるコウモリは、薄暗くなると巣から一斉に外に飛び出していくという。つまり、日が暮れる前にトラップをセットしておかなければならないのだが、これではもう日没に間に合うかわからない。
――なんてこった。これじゃあ結局、昨日とまるで同じ展開ではないか。
......というかトンさん、そんな申請と許可が必要だなんて、朝の打ち合わせではひとことも言ってなかったじゃん。このタイミングでの落石はアクシデントなので仕方がないにしても、そんな申請が必要なのであれば、ランチの後に休憩なんかしないで、すぐに出発すればよかったじゃん。
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