広がるアジアの網~クアラルンプール(1) 【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

文・写真/佐藤 佳

クアラルンプールのランドマーク、「ペトロナスツインタワー」。写真ではわかりづらいが、ライトアップの具合が独特で、現地で見ると写真よりも存在感がある。クアラルンプールのランドマーク、「ペトロナスツインタワー」。写真ではわかりづらいが、ライトアップの具合が独特で、現地で見ると写真よりも存在感がある。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第182話

クロアチアから帰国してわずか3日後、今度はマレーシアへ。世界ウイルス学会での基調講演を前に、新型コロナウイルス学者は「アジアから世界へ」という新たな挑戦の第一歩を踏み出す。「限りなく境界に近い科学」シリーズ第2弾!

* * *

【「世界」へ!】

2025年5月。クロアチア(178話)から帰国して3日後の夜、私はふたたび、ゴールデンウィークのUターンラッシュでごった返す羽田空港にいた。

羽田発の深夜便で、マレーシアのクアラルンプールへ。その目的は「世界ウイルス学会」。日本ウイルス学会(7話)、ドイツウイルス学会(19話)、ヨーロッパウイルス学会(178話)に続いて、いよいよ舞台は「世界」である。

......というのはもちろん冗談だが、この学会は歴史がまだ浅く(今回の会議が3回目)、実態がよくわからないものだった。しかし、ズルをしたヨーロッパウイルス学会とは違って(詳細は180話を参照)、今回は何度もしつこく依頼を受けての、正真正銘の基調講演、招待講演である。

東京→クアラルンプール(飛行時間7時間半、クアラルンプールと東京の時差は-1時間)東京→クアラルンプール(飛行時間7時間半、クアラルンプールと東京の時差は-1時間)

【世界ウイルス学会】

本来なら時差ぼけになるはずのない東南アジア出張であるが(日本とマレーシアの時差は1時間)、今回はクロアチアから帰国した直後(180話)。ヨーロッパにフィットしてしまった体内時計による「逆時差ぼけ」を感じる中でこの国際会議は始まった。

1週間前にクロアチアで会ったばかりの、アメリカ・ロッキーマウンテン研究所のアンドレア(178話)とマレーシアで再会する。

彼女のほかにも、オーストラリア・シドニー大学のエディー(149話159話)や、シンガポール・Duke-NUSのリンファ(157話159話)など、旧知の研究者たちと並んで、12人の基調講演者のひとりとしての参加である。

正体不明の学会からの招待というのは、実はよくある。いわゆる実態のない「詐欺学会」である。この打診を受けたときにも、聞いたことがない、実態がよくわからない学会ということもあって、最初は正直訝(いぶか)しがっていた。しかし、アンドレアやエディー、リンファなど、信頼できる研究者たちが基調講演の演者として名前を連ねていることがわかり、私もそれにあやかって参加させてもらうことにしたのであった。

そしていざそのフタを開けてみると、マレーシアの大臣が開会の挨拶をしたり、その様子が地元のテレビで放送されるなど、日本の学術会議ではなかなかみられないシーンに出だしから驚かされた。

【しかし、ちょっと奇妙な国際会議】

――しかし。会議が始まってからどうしても違和感を禁じ得なかったのは、その雰囲気と進行である。300人ほどが集まる会場でプログラムが進んだが、これまでに見たことがない奇妙な光景が散見された。

まず、その進行のユニークさ。私の知る学術会議の場合、発表が終わると、聴衆との質疑応答を経て次の演題に移る。しかしこの会議では、発表が終わると、質疑応答はなく、ステージの上で演者と座長(進行役)がツーショット写真を撮って次の演題に移るのである。

会場の空間もかなりユニークだった。発表する会場の後方にはなんと立食スペースがあり、ちゃんと軽食まで用意されていた。そのせいで聴衆は、会議が進む中でも、会場の中で飲み食いをしながらぺちゃくちゃとお喋りができてしまうのである。

ぺちゃくちゃと雑音が聞こえ引き続ける中でのプログラムの進行を、口の悪いオーストラリアのある友人は「アマチュアのシンガポール」と揶揄(やゆ)していた。

これらがはたして、この「世界ウイルス学会」の特徴なのか、はたまたマレーシアのお国柄なのかまではよくわからない。しかし、私にとっては少なくとも、これまでに経験したことのない、ちょっと奇妙な体験となった。

会場のそこかしこに並べられた軽食。ずっと置いてあり、なくなるとすぐに補充される。そして、演題の発表中でも、いつでもどこでも食べられる。会場のそこかしこに並べられた軽食。ずっと置いてあり、なくなるとすぐに補充される。そして、演題の発表中でも、いつでもどこでも食べられる。

【思わしくない体調】

マレーシアは2度目の訪問であるが、前回訪れたのはボルネオ島(120話)。マレー半島、そして首都のクアラルンプールは初めての訪問である。Google Mapsで調べてみると、ホテルの近くには、「アロー通り」という有名らしいナイトマーケットがあった。

近頃の私がパッと思いつく「幸福を感じるシーン」と言えば、晴れた夜のテラス席で、軽く汗ばみながら冷えたビールをぐびぐびと飲むシーン。ボルネオ島のコタキナバルの夜に覚えたようなシーン(122話)である。

――しかし、「逆時差ぼけ」の影響もあったのか、体調が良くない。ただただ「めまい」がする。こんな不調は初めてだった。

今回の旅は長い。始まりから無理をして、長旅のスケジュールがめちゃくちゃになってしまうことだけは避けたかった。そこでこの日は無理をせず、ホテルで大人しく過ごすことにした。幸いにして部屋にはバスタブがあったので、そこにお湯を溜め、日本から持ってきた入浴剤を入れて、ゆっくりと体を温める。

異様に水圧の強いシャワーで頭と体を洗い、日本から持ってきたレトルトパウチのお粥を食べて、やはり日本から持参したハーブティーを飲んでからだを整える。飛行機から拝借した「翼の王国」などを斜め読みしながらめずらしくゆったりとした時間を過ごし、翌日の基調講演に備えた。

(左)私の海外出張でたまにある「さもしい」シーン。昼に軽食代わりに食べたミニカップヌードルの容器を洗って使い回し、そこに温めたレトルトのお粥を注ぎ、部屋に備え付けのティースプーンで食べた。こういう「手近なもので工夫して食べる」というのも海外出張あるある。ちなみに昼のミニカップヌードルも、やはり部屋備え付けのティースプーンで無理やり食べた(割り箸を忘れることが多い)。(右)食後のハーブティー。奥にはANAの「翼の王国」。 (左)私の海外出張でたまにある「さもしい」シーン。昼に軽食代わりに食べたミニカップヌードルの容器を洗って使い回し、そこに温めたレトルトのお粥を注ぎ、部屋に備え付けのティースプーンで食べた。こういう「手近なもので工夫して食べる」というのも海外出張あるある。ちなみに昼のミニカップヌードルも、やはり部屋備え付けのティースプーンで無理やり食べた(割り箸を忘れることが多い)。(右)食後のハーブティー。奥にはANAの「翼の王国」。

★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★

  • 佐藤 佳

    佐藤 佳

    さとう・けい

    東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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