
土居正英
どい・まさひで
土居正英の記事一覧
欧州在住10年の経営者。慶應義塾大学卒業後、P&Gスイス本部でグローバル市場を担当し、ファーストリテイリングなどでCMOを歴任。その後、英国で起業し、現在は年商5億円規模の眼鏡事業とコンサルティング事業の2社を経営する。大企業での海外赴任、英国での起業、永住権取得という自身の経験を生かし、現在は海外に挑戦する事業家の育成にも力を入れている。

7月23日、東京外国為替市場で円相場が下落し、1米ドルが163円台となった。この値は、1986年末以来である。日本政府および日本銀行は、7月30日の夜から8月1日の早朝にかけて断続的に円買いを実施。それによって日本円は一時、1米ドル157円台前半となり、9月23日現在も同水準で推移している。以前として円が弱いことは述べるまでもない。
少子高齢化が進む日本に未来はあるのか。内閣府の発表によれば、2070年には日本人の2.6人に1人が65歳以上に、およそ4人に1人が75歳以上となるそうだ。次世代の若者は円だけではなく、ユーロやドルを稼がねば生き残れない、というのが常識人の見解である。とはいえ、簡単に道を切り拓ける筈もない。
そんななか、「ビザを取得して海を渡れ!」と日本人挑戦者を支えるコンサルタントがいる。土居正英。1979年7月30日生まれの47歳で、今日、20カ国で300名近い日本人をサポート中だ。彼の指導を受け、月収25万円だったウェブマーケターがオランダで200万円を稼ぐようになった。また、スイスで起業した女性が、月収470万円を超えたり、フランスに進出する日本企業をサポートすることで年商1億円を突破したりと、成功者が次から次へと生まれている。
それぞれへの後押しは後述するが、土居は日本の教育システムに警鐘を鳴らす。
「今、受講生と向き合っていて思うのは、正解や指示がないと動けない人間が多いということです。『マニュアルは無いんですか?』と質問してくる方が圧倒的です。『いや、自分で考えましょうよ』と応じますが、それができない。
日本という国は、社会のルールに適応させる力を養うことに重きを置きますよね。村八分や五人組に代表されるように、水田の水を共有する文化です。それに対してヨーロッパは戦争の歴史で、放っておくと争いになるから『個性を尊重しよう』という思考の上で成り立っている。ベースが違います。
ゆえに日本は、<覚えて出力>という行為を繰り返す。日本は、ルールもマニュアルも正解も与える。それってAIじゃないですか。想定外の答えを出すのが苦手なんですよ。改善は得意でも、イノベーションは出しづらい。
それはそれで素晴らしいし、日本社会で頑張るにはいい。でも、世界で戦う、起業する、となると合わない。スイスやイギリスの教育はとにかく議論させ、ワークショップをし、プレゼンさせる。テストも四択ではなく全部記述式で、議論を身につけていないと答えられない。
そうやって、自主性がつくんですね。何を勉強するか、どんな大学に進むかも親が介入するのではなく、自分で決めさせる。自ら選択することで責任が生まれる、ということです」
土居自身は、日本の教育を受けて育った。中高は、都内の新学校である私立、海城。大学は慶應義塾の商学部を卒業している。ただ、日本の大学生と決定的に違ったのは、常に海外に目を向けてきた点だ。
土居が小学4年の時、胃癌を患っていた父親が他界した。
「すごく元気だったのに、3カ月ほどで亡くなってしまった。当時は分かりませんでしたが、今でいうステージ4か5くらいだったのでしょう。進行していて全摘、という状態でした。手術後に会いに行ったら、まったく違う姿になっていて、子供心に見ていられなかったですね。
父は世界中を巡って、地質調査をする人でした。ブラジル、モロッコ、アルゼンチン、ヨーロッパ、アメリカ......。当時としては、そんなに行くのかというくらい、一年の半分以上、ジャングルなどに出かけていました。私が生まれた時も、南米のアマゾンの辺りにいたそうです。家に帰ってくる度に、写真やお土産を持ってきてくれました。『今回は、どこ行ってきたの?』『チリだよ』みたいな会話をしていましたね。私は幼かったのですが『世界ってすごいな』と。
父の言葉である『こんな広い世界を見ずに死ねるか』が、自分の原点です。すごく心に残っています。『世界は広い、冒険しろ』。そして『金は使え、貯めるな』と。冒険のために金を使え、という人でした。だから貯金箱にお金を入れていると『そんなことをやっている場合か、金を使って学べ。経験しろ。世界を見に行け』と告げられました」
土居はその教えを守り、大学時代にアルバイト代を貯めてはニューヨークやロンドンに赴く。語学学校に入り、様々な国からやってきたクラスメイトと交流した。
「単価の高い営業、具体的には携帯電話を一件売って2万円、というようなアルバイトをして稼ぎまくり、そのお金でアメリカやイギリスに行く、という日々でした。最低限、単位を落とさないようにして、ひたすら海外に滞在していましたね。
当地では、自分のベースがスカッと抜ける感じがありました。家族がいて、友達がいて、言葉が通じて、コンビニがあって......という当たり前のベースが無くなりますよね。コミュニケーションを取らないと飯も食えないし、全部自分でアクティブに取り組まないと何も実現できない。反面、自分が動けば何か形になっていく。言葉もまだ下手で、恥をかきながらもがくんですが、この『自分が全然通用しない感じがいいな』と思っていました。
日本だと、どうしても看板やブランド――『◯◯大学です』『慶應です』といったラベルをかざして、ちょっと調子に乗るような雰囲気がある。海外ではそれが全部吹っ飛んで、人間としてどうなのかだけになります。英語がイマイチなただの人、というところから友達を作り、物事を進めていく面白さ。精神的に不安定にもなるし、『ここは、どこだっけ?』と心配になる。でも、そのストレスに快感を覚える自分がいました」
自然と海外で働こうと考えるようになる。大学卒業後は日用品メーカー、P&Gの一員となった。
「世界で働けるリーダーになりたいという強い思いがありました。商社に行くか迷ったのですが、最終的には、P&Gが世界的経営層で活躍する人を排出する企業だったことで選びました」
当初は群馬県の店舗営業だったが、入社6年目に念願だったマーケティング部に配属される。
「営業とはまるで違う世界で、リーダーシップや戦略的思考など、全てを叩き直されました。まったく刃が立たず、できない自分が悔しくて、土日もずっと会社に籠もってデータ分析したり、英語を勉強したりと、四六時中、仕事と勉強に明け暮れていました。
朝から晩まで英語の会議。そして、会社を出たら、毎日23時まで英語のプライベートレッスンを受けました。平日も土日も空き時間には、ずっと英語の先生と会議の練習などをやっていましたよ。当時、辛かったのが、会議でのリーダーシップです。自分の言いたいことを瞬時に言える、議論をリードできるようになるために、とにかく課題を練習しました」
やがて、P&Gからスイス赴任を任命されると、複数の企業からヘッドハンティングの声がかかる。
「ファーストリテイリング社CMOのポジションは、給与面や組織の大きさで魅力的に見えました。スイスで働き始めてから1年半後、『飛行機代も出すから、日本の本社に来てくれ』と言われ、柳井正社長をはじめとした幹部全員と一日でお会いし、その日のうちに内定を頂きました。決断が早い会社でしたね。
まったく違う業界が見られて楽しかったですし、若い時から憧れていたような地位と高収入を得ました。でも17カ月の勤務中、自分の幸せ度がスイスの時と比べてどんどん下がっていくのが分かったんです。心が動く瞬間が無くなってきて、海外で働きながら得た喜びが失われ、日本での生活に魅力を感じられなくなってしまいました」
子供の教育面を考慮しても、日本を離れたい。再度ヨーロッパに挑戦したいーーーそんな思いが止まらなくなる。
英国にヘッドクォーターがある医薬品、日用品、食品を扱うメーカーのマーケティングディレクターとして2年間で結果を出し、本社のグローバルディレクターにステップアップした。妻子と共にロンドンで生活するなか、更なるヘッドハンティングを受ける。欧米において転職は、キャリアアップを意味することが常だ。しかし、土居が見据えたのは起業だった。
「遠視が進んでいまして、ロンドンで眼鏡を作りに行ったんです。コロナ禍の時期でした。右の部屋に行け、あの部屋に行けとサービスがとても粗く、人を人とも思わないような扱いを受けました。『なんだこの対応は』と思ったのが起業を考えたきっかけの一つです。
もっと高級感のある、いい空間で接客してほしかった。眼鏡はファッションでもあり、ヘルスケアでもある。ユニクロでファッションとリテールを、P&Gでヘルスケアをやってきた私にとっては、今までやってきた経験が活かせました。2021年に開業し、現在は5店舗。全てイングランドにあります」
現在では日本円で年商4億円以上を売り上げている。
「成功の要因を挙げるならマーケティング、つまり集客ですね。仕組みは分かっていましたから。予約システムを入れ、Googleや地図対策など、リテール、ローカルマーケティングを一通り導入しました。あとはニュースレターを手書きにするなど、自分の言葉でお客様に手紙を書くような<真心を尽くすマーケティング>です。
一人ひとりにきちんと応対することを従業員に伝えました。しょっちゅう店舗に行ってトレーニングし、"こういうプロセスでやろう"と説いたんです。そして、最新機器を導入して単価の高い、良質なサービスに切り替えたことも大きいと思います」
そして2023年、コンサルティングに着手した。
「やはり自分のアドバンテージは、海外ビジネスで人を救う、収入を得られるということに尽きます。海外挑戦する人を応援したい、と。実際、世界中に問題を抱えている人がいる。ビザで困っている。経営難による赤字、借金......と、いろんな人が海外で足掻いていることに気付きました。世界中にコネクションを築けたら、自分のライフワークになる。競争要因でも、他社は模倣できない。個人でつながるネットワークだからです。
一度入ればそれ以上お金はいらないし、コミュニティで活躍する人が増えるほど、その地は活性化する。例えば、『バルセロナに行きたい』と言う人がいれば、『バルセロナには私の知り合いが10人くらい住んでいます』と、年齢、性別を問わずに適切な人をすぐに紹介できます。世界をボーダレスにしていこう。世界への挑戦を皆で応援することを生涯の仕事にしていこう、無期限でサポートしよう、というのがきっかけです」
これから4回にわたり、土居の助言を受け海外で羽ばたいた女性事業者たちの成功までの道のりを紹介していく。