とある都内のビジネスホテルで論文執筆にいそしむ筆者の「カンヅメ」のイメージ(AIで作成)
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第199話
2022年春、まだ誰も注目していなかったオミクロンBA.5株。その数ヵ月後、日本では「第7波」が始まり、社会はBA.5に注目することになる。だが、そのときG2P-Japanは、すでにBA.5の特徴を解明し、論文にまとめていた。そう、まるで漫画『ONE PIECE』に登場する「見聞色」のように――。
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【2022年春、新しいカンヅメスタイル】
ビジネスホテルで、小さな机にかじりつき、チェーンスモーキングしながら進めた論文執筆作業「カンヅメ」。
2021年末から22年のはじめにかけてのオミクロンBA.1株(17話)やオミクロンBA.2株(43話)の論文は、東京・目黒の安宿にこもり、汗水をにじませながら命がけで書き上げたものだ。
今回のコラムは、オミクロンBA.2株の論文をまとめ上げ、「第6波」も下火になりつつある、2022年の春頃のお話。連載コラムの時系列だと、44話の後、15話の南アフリカ出張の前に位置するエピソードとなる。
――2022年も春になり、新年度を迎えると、私のカンヅメスタイルにすこし変化が生まれた。ホテルがまだまだ安かったこと(2026年現在の4分の1から5分の1くらいだった)から、カンヅメの定宿を、東京・芝にあるホテルに移してみることにしたのだ。
その理由はいくつかあるが、やはりいちばんの理由は、「もうすこし心身に負担のかからない方法を模索した方がいい」ということだった。
短期間で一気に論文を書き上げるためには、やはり「カンヅメ」というスタイルに頼らざるを得ない。しかし、やんごとなき緊急事態だった2021年末(17話)はやむを得なかったとしても、これからもあのスタイルを続けていたら、さすがに体がもたない。
現実的な価格帯で泊まることができて、ある程度快適な環境が整っていて、きちんとしたライティングデスクがあり、室内は禁煙でも、ホテルのどこかに喫煙所があるホテル。そのようにして、新しい根城を探した。
そのホテルでは、CNNを見ることができた。海外出張に行くと、なんとなくCNNを見たくなる。逆の言い方をすると、CNNのニュースを見ていると、海外出張している感じがする。
当時、2022年の春頃には、海外に渡航すること自体は可能になってはいたものの、気軽に国外脱出できるような空気感はまだなかった。そのホテルでは、BGMの代わりにテレビをつけ、CNNを流しっぱなしにして、少しでも海外にいるような雰囲気を作りながら作業をしていた。
ちなみにCNNでは、1時間おきくらいに、「60-Second Vacation」という世界各地の風光明媚なシーンが1分間だけ流れるプログラムがある。これがとても良い。時間帯によって映る場所も違うので、世界のいろいろな場所の景色を楽しむことができる。これが流れると筆を止め、テレビを眺めながら小休止するようになった。
レッドブルと缶酎ハイと缶コーヒーの空き缶が散乱した部屋で、チェーンスモーキングしながら歯を食いしばって「カンヅメ」していた、最初の「オミクロンスクランブル」(17話)の頃とはえらい違いである。
【BA.2の「亜系統」?】
2022年の初頭は、オミクロンBA.2株が世界の主流となっていた。それが春先になり、多様化を始めた。BA.2から派生したBA.2.9.1やBA.2.11、BA.2.12.1などの「亜系統」、そしてさらに新たなオミクロン、BA.4株とBA.5株が世界の各所で確認され、新たな流行拡大のきざしを見せ始めたのだ。
それまでの流行のトレンドは、デルタ株、オミクロンBA.1株、オミクロンBA.2株、という具合に、ひとつの流行の「波」はひとつの株によって引き起こされていた。そのため、その株さえ早い段階に捕捉することができていれば、その株にだけ注目した研究を邁進すればよかった。
しかしこのときには、同時多発的にいろいろな株が出現した。こうなると、ひとつの株に「全集中」というわけにはいかない。手堅そうな複数の株を選定し、それらを網羅する形で、手探りでプロジェクトを進めた。
それでもやはり、論文化は急がなければならない。東京・芝の新たな根城でカンヅメをし、5月26日にプレプリント(査読前論文)を発表した。BA.2株の亜系統やBA.5株に注目した論文は、われわれG2P-Japanのものが世界初だった。
――しかし。プレプリントを発表し、それをTwitter(現X)で拡散しても、国内外問わず、ほとんど反響がなかった。
それまで、デルタ株(62話)やミュー株(45話)、オミクロンBA.1株(17話)、オミクロンBA.2株(43話)で、新しい変異株についてのプレプリントを発表したときのSNSでの反応は肌感覚で記憶していたが、このときには、そのような感覚はまるでなかった。
ちょうどその時期は、世界中で新型コロナの流行が下火になっていて、新たな変異株に関する社会の関心がまるでなかったのだ。
これは正直、というかかなり拍子抜けだった。社会からの反応という手ごたえのないまま、肩透かしを食らったような形で、この論文を科学雑誌『セル』に投稿した。当初はエディターの反応も鈍く、査読することに否定的だった。
しかし、「こんなデータも追加する」「あんな実験もやる」とてんこ盛りにし、熱心にアピールを続けたら、しぶしぶ論文を受け入れてくれて、査読に回してくれることになった。
【G2P-Japan、「見聞色」が覚醒!?】
無事に最初の査読が終わり、その論文の「リバイス(改訂)」の作業をしていた2022年の初夏。そこでまた、新型コロナの流行が全世界的に急拡大する。日本の「第7波」にあたる時期で、その原因となった株は、オミクロンBA.5株だった。
社会はまた新型コロナへの関心を取り戻し始め、その原因となっているオミクロンBA.5株について、大手既成メディアからの取材が殺到した。
このときは、逆の意味で拍子抜けだった。なぜなら、われわれG2P-Japanは、社会の関心事を、その数ヵ月前にすでに解明してしまっていたからだ。
社会の感染症に対する関心には、明らかに波がある。流行が拡大すれば注目が集まり、下火になれば、驚くほどすぐに関心が失われる。大手既成メディアが社会の関心を扇動しているのか、あるいは逆に、それに踊らされているのかまではわからないが、社会の関心と大手既成メディアの報道の熱量には関連があるように見える。
新型コロナパンデミックが収束する前の2022年、エムポックスウイルスが突如出現し、これに対しても国際的な緊急事態が宣言された(91話)。2024年には、アメリカの乳牛で鳥インフルエンザが流行した(130話)。そして2026年になってからも、旅客船でのハンタウイルスのアウトブレイク(176話)や、アフリカでのブンディブジョエボラウイルスの流行など、感染症有事は枚挙にいとまがない。
このように、感染症をめぐる状況は、新型コロナパンデミック以前とは明らかに変わってきている。しかし、それを取り扱う大手既成メディアが、その変化に合わせて姿勢を変えようとしているようには見えない。
G2P-Japanは、「科学に基づいた情報をリアルタイムに社会に還元する」ことを標榜してコロナ禍を走り続けた。「第5波」の流行のピークを過ぎてからその特徴を解明したデルタ株。「第6波」の流行拡大とほぼ同時に、リアルタイムに社会に情報提供したオミクロンBA.1株とBA.2株。
そしてついに、オミクロンBA.5株については、「第7波」としての流行が始まる前に、その特徴の解明に成功していた。つまり、漫画『ONE PIECE』の「見聞色」が覚醒したかのごとく、社会の関心が向くのを先回りしていたのだ。
どの株が主流になるかわからない、という手探りの中で作り始めた論文は、最終的にはBA.5株が主流になったことに引きずられる形で、「オミクロンBA.5株の論文」という体裁でまとめられ、8月23日に、トップジャーナルのひとつである『セル』に採択された。
オミクロンBA.5株による「第7波」の流行のピークは8月の半ばごろ。流行が広がる前にその原因となる株の特徴を解明し、その株の流行がピークになる頃に論文化を完了するという、まるで未来を予見したような研究となった。
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