数を増していく「曖昧な弱者」を理解し、左右対立を超えた政治を考えるための一冊!『曖昧な弱者の時代』(著:伊藤昌亮)

ライター/佐藤 喬 撮影/佐々木里菜

リベラルが見落としてきた「曖昧な弱者」に目を向けることを提言する著者の伊藤昌亮氏リベラルが見落としてきた「曖昧な弱者」に目を向けることを提言する著者の伊藤昌亮氏

一見不思議なタイトルの『曖昧な弱者の時代』という新書が注目されている。

生活保護受給者や性的少数者、外国人、女性といった「明白な弱者」にはカウントされないが、社会的にやや不利な状態に置かれ、鬱屈した感情を持て余している「曖昧な弱者」がテーマだ。

彼らは社会に守られる明白な弱者に対し、「自分たちこそ本当の弱者なのに」と不満を募らせ、マイノリティに敵意を抱いたり、リベラル派を攻撃したりしている。さらには、ポピュリスト政治家たちと結びつくことで政治的にも影響力を増している不穏な状況だ。

メディアに登場することも多い明白な弱者と比べると、確かに見落とされがちな曖昧な弱者たち。著者の伊藤昌亮氏が、彼らに目をつけた狙いはなんだろうか。

* * *

――話題の一冊ですが、本の中で言及されているリベラル派の一部には、強く批判している人もいるようですね。

伊藤 批判は理解できます。マイノリティへの差別的な言説を振りまくような人々を〝理解しよう〟とするこの本の姿勢には、確かにリスクもあるでしょう。しかし、そこばかり見られるのは不本意です。

というのも、本書の眼目はリベラル批判ではなく、曖昧な弱者に支えられた右派的なポピュリズムの拡がりに対抗することですから。そのためには、右派的な言説を支える層をリベラルな立場から分析し、いわばポピュリズムに流れがちな層をリベラルの側に〝取り戻す〟必要があるというのが私の考えです。

ところが、出版の時期にちょうど、東京大学の五月祭で予定されていた参政党の神谷宗幣代表の講演会を巡る論争をきっかけにして、左右対立が激しくなってしまった。

私はこの本で左派と右派の不毛な「文化戦争」を乗り越えるための方策を考えたつもりだったのですが、むしろそれに巻き込まれてしまったのは残念です。

私は10年以上前から一貫して、「リベラルな立場から右派の論理を批判的に理解することが大事だ」というアプローチをとってきました。ですが、右派への「理解アプローチ」は、アカデミズムの世界などでは左派に受け入れられにくいところもあるんです。

理解することと同意することは違うのですが、そこの扱いが難しい。

一方で、私の政治的立場は明確にリベラルなので、ネット右翼やレイシストからの攻撃もすさまじい。左右からの十字砲火にさらされている状態です。

――伊藤さんに近い考えの人はいなかったのでしょうか。

伊藤 いえ、そんなことはありません。むしろ、曖昧な弱者への目線は、戦後のリベラルの出発点にあったとさえ言っていい。

例えば、社会学者の日高六郎や哲学者の鶴見俊輔といった戦後民主主義を立ち上げてリードした知識人は、常に無名の民衆のことを意識していました。

彼らは右派からは「進歩的文化人」などと叩かれたエリートでしたが、お高くとまっているのではなく、農民や労働者のことを理解しようと心を砕いていたんです。

ところが、いつの間にか左派はそういった曖昧な弱者たちのことを忘れ、明白な弱者たちを守る作業に集中するようになりました。

もちろんそれは非常に大事ですが、一方で、日本では等価可処分所得の中央値がこの30年で30万円ほども下がるなど、かなりの中間層が痛みを抱える状態になってしまっています。

――本では、まさにそこに訴求して支持を得ているのが参政党や高市早苗首相といった右派勢力だと分析されていますね。

伊藤 そうです。参政党などは、リベラル派が忘れた曖昧な弱者に対して、「自分たちはあなた方を見ていますよ」と寄り添っています。その上で、「皆さんが生きづらいのは、〇〇のせいです」と、わかりやすい説明を与える。

実はこれは、左派が大事にしてきたケアの論理に似たものなんですね。

右派ポピュリストは、左派の論理を曖昧な弱者たちに応用することで勢力を伸ばしているとも言えます。だからこそ、リベラルの復興のためには、曖昧な弱者を理解することが必須なんですよ。

――確かにそうですね。しかし、カギを握っている曖昧な弱者とは、具体的にどういう人たちなんでしょうか。

伊藤 明確な定義があるものではありません。本では主に経済的な側面に着目し、やや厳しい状況に置かれている非正規雇用労働者や中小企業勤めの人々、自営業者、フリーランスなどを想定しています。

没落した中間層という意味で、「ロウアーミドル」という言葉も使っていますが、この定義が曖昧であることは理解しています。

ただ、リベラル派の視界の外に不満を募らせた人々がいて、政治勢力になっていることは間違いない。この本は、「そういう人々に目を向けるべきだ」という問題提起なんです。

ですが、その次のステップはまだ見えていません。個人的には、豊かなアッパーミドルとロウアーミドルとに二分化されてしまった中間層のうち、上部に属する人々に対しては、長期雇用が前提の強固なメンバーシップ性や手厚すぎる福利厚生といった既得権益を分解する必要があると考えています。

――それはリベラル派が忌み嫌う、自己責任論に基づくネオリベラル政策そのものでは?

伊藤 いえ、続きがあります。既得権益を壊す一方で、苦しい状況に追い込まれているロウアーミドルに対しては、再分配や互助組織の設立といった形でケアや連帯を強めていくべきなんです。

経済的支援以外にも、彼らが失った文化的な誇りや承認を取り戻せるよう後押しするのも大事ですね。

――なるほど。しかし、曖昧な弱者の存在を認めることを含め、リベラル派の抵抗感は強そうです。

伊藤 そうですね。ただ、「このままではいけない」という危機感を持っているリベラル派の人々も増えていることを感じています。

私は以前から、この本に書いたようなことを立憲民主党の勉強会や部落解放同盟の講座などでも話していますが、非常に興味を持って聞いてくれる。

だからこそ、表面的な左右対立の文脈で読まれてしまうのは避けたい。その奥にある、戦後民主主義の出発点ともつながる問題意識が読者に届くことを祈っています。

■伊藤昌亮(いとう・まさあき)
1961年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。日本IBM株式会社、ソフトバンク株式会社勤務、愛知淑徳大学現代社会学部、メディアプロデュース学部准教授、ドイツ・エアランゲン大学日本学講座客員研究員などを経て、現在は成蹊大学文学部現代社会学科教授。著書に『炎上社会を考える』(中公新書ラクレ)、『ネット右派の歴史社会学』(青弓社)、『デモのメディア論』(筑摩書房)、『フラッシュモブズ』(NTT出版)など

■『曖昧な弱者の時代』
コロナ禍のロックダウンで飲食店が打撃を受けたとき、SNS上では応援の声が多く投稿された。しかし、政府が飲食店に対して補助金を交付することを発表すると、状況は一変。「明白な弱者」として特別扱いをされる飲食店に対し、「なぜあいつらばかり助けられるのか」と批判の声が渦巻いた。公的な補助を十分に受けていない「曖昧な弱者」が不満をため、このように別の弱者を攻撃する構図を近年の政治的現象としてとらえ、広く分析した一冊

『曖昧な弱者の時代』岩波新書 1012円(税込)『曖昧な弱者の時代』岩波新書 1012円(税込)

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  • 佐藤 喬

    佐藤 喬

    さとう・たかし

    フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。

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