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「復興のシンボル」である熊本城は県民に元気と希望を届けるため、日没から日の出にかけて夜通しのライトアップを地震が起きた日から続けている(8月4日現在)
7月28日、熊本県で最大震度7を記録する大地震が発生した。同県ではわずか10年前の2016年に同じく震度7の地震があったばかり。また、地震だけでなく、台風や大雨の被害にも頻繁に遭遇する土地だ。
しかし、そこには数々の災害にめげず立ち向かう人々がいた。10年前の熊本地震を取材し、自身も阪神・淡路大震災の被災者であるライター・日野和明氏が、現地を歩き回った。
熊本県でM(マグニチュード)7.1、最大震度7の大地震が発生したのは7月28日午後4時27分。8月3日時点でその被害は死者38人、避難所に約8200人が避難し、住宅被害は1万2000棟余りが確認されている。
熊本県は今から10年前の2016年にも大地震に見舞われている。また、昨年8月には1日に500㎜を超える豪雨が降り、3000世帯以上の家屋が浸水被害に遭っていた。
そして3日時点では、最大瞬間風速60mを超える大型台風13号が沖縄、九州地方へ接近中。さらに、熊本では観測史上初の40℃を超える「酷暑日」を記録した。
地震、猛暑、台風。複数の異なる災害が同時、または時間差で発生する現象を「複合災害」というが、その意味で熊本は不幸にも現在進行形で複合災害に見舞われていると言っていい。
そのただ中で、現地の人たちはこの困難にどう立ち向かっているのか。地震から2日後の7月30日から熊本へ行き取材を開始した。
爆発事故の痛々しい痕跡が今も残るイオンモール熊本
博多からバスに乗り、市内のホテルに到着したのは午後11時前。部屋に入った瞬間、ぐらっと大きく床が揺れた。慌ててテレビをつけると「震度4」の緊急テロップが表示された。10年前の地震時にも震度7近い余震が起きており、まだまだ警戒が必要だと痛感する。
翌31日の朝、熊本市から車で国道3号を南下し、まずは最大震度7を観測した宇城(うき)市へと向かった。
市内豊野町(とよのまち)で真っぷたつに割れた住宅を発見した。片方の家屋部分は倒壊し、その下で車がぺしゃんこになっている。家主の坂田和子さん(73歳)に話を聞いた。
「10年前の地震とはまったく別モノ。地震警報も間に合わないほど、いきなりどかんと最大の揺れが来ました。それもどれだけ続いたか、わからんほどの長ーい揺れ。主人とふたり、土間から飛び降りて脱出しました。普段はそんな高い所から飛び降りるなんてできないのに、そのときはできた。火事場のバカ力です」
坂田さんはこう言う。
「この家にはもう住みとうない。この家は役場が目の前にあって、銀行も郵便局もすぐそば。市内でも一等地の立地とみんなに自慢していたんです。でも、こんなひどい地震が来るような家はもうこりごり。安全な所に引っ越します」
熊本県でも最大級の揺れ(震度7)を観測した宇城市豊野町。この町に住む坂田和子さんは、崩壊する自宅から命からがら脱出することができたという
自宅での寝起きが不可能となれば、住民は車内泊か避難所暮らしをするしかない。市内の松橋(まつばせ)中学校に設置された避難所では5世帯7人が武道場の畳の上で避難生活をしていた。ただし、そのときは急ごしらえのためか、エアコンがなかった。この日の気温は40℃を超えていた。
「現状はスポットクーラーと扇風機でしのいでいますが、この暑さですからとても足りない。できるだけ早くエアコンを入れるつもりです」(宇城市職員)
同中学にエアコン4台が設置されたのは取材時から3日後の8月3日だった。
宇城市の避難所となっている松橋中学校の武道場に設置される業務用クーラー。同避難所はこの日まで扇風機とスポットクーラーで暑さをしのいでいた
宇城市とともに震度7を記録した氷川町(ひかわちょう)の被害も甚大だった。
傾いた電柱、倒壊した墓石、アスファルトの地面が刃物のように隆起した道の駅駐車場。町内の至る所に凄惨な被害の光景が広がる。
氷川町の道路で見つけた、地震で斜めに傾いた電柱
家屋が倒壊し、4人の家族と共に庭の倉庫で避難生活をしている主婦のAさん(50代)が地震当日の恐怖の記憶をこう語る。
「家具に続いて周囲の壁、そして天井までもが崩れてきました。助かったのは本当にたまたま。強烈な揺れでテーブルの下に投げ出され、落下してくる天井に潰されずに済んだおかげです。
80代の父がテレビの角に頭をぶつけて血を流したくらいで、家族全員が無事でした。本当に奇跡というほかない。揺れが収まって天井の裂け目から青い空が見えたとき、『ああ、助かったんだ』と思いました」
震度7を観測した氷川町。同町に住むAさんは築31年の豪邸が無残に崩壊するも、死者が出なかったことは不幸中の幸いか
地震当日の揺れの激しさを「ドラム式の洗濯機の中に放り込まれたような感じ」と表現するのは、氷川町内でバー「エクライザル」を営む佐藤敬明さんだ。
「耳を下にして横になっていたんです。すると、ご~っという地鳴りのような音がして、これまでに経験したことのない横揺れが延々と続いた。妻は庭にいたんですが、あまりの揺れに立っていられず、ただただしゃがんでいました。10年前の地震は南北に揺れましたが、今回は東西の激しい揺れだと感じました」
10年前の地震で、バーカウンターの背面に並べていたウイスキーボトルは落下し、そのほとんどが割れてしまったという。
「地震後、落下防止策として、2本の太いヒモでボトルをガードしていたんですが、揺れが大きすぎてまったく効果がありませんでした。多くのボトルが床に落ちてしまいました。10年前の揺れを1とすれば、今回の揺れはその5倍くらいに感じた。10年前の地震では冷蔵庫はそのまま無事に立っていましたが、今回は見事に倒れてしまいました」
氷川町のバー「エクライザル」のマスター・佐藤敬明さん。2016年の地震の教訓を踏まえ、棚にボトル落下防止のヒモを張っていたが、今回の地震は想定以上の揺れで、ほとんどのボトルが床に落ちてしまったという
氷川町では8月に入り、電気は復旧したものの、水道はまだ。道路は寸断されるなどで流通が滞り、食料品の入手が難しい状態が続いているという。
「地震翌日にクーラー内の氷が溶けた水を沸かし、カップ焼きそばを作ったんです。それまで食べるものといえば、スナック菓子くらいしかなかったので、本当においしかった。これまで食べたカップ焼きそばで一番の味でした」
氷川町の避難所となった竜北東小学校の様子。食料が配布され、避難所に入っていない人も食料や水などを取りに来ていた。熱中症対策用の「塩タブレット」の用意も
氷川町をさらに南下して足を運んだのは八代(やつしろ)市だ。
八代市の震度は6強。市内を走る日奈久(ひなぐ)断層を中心にあちらこちらに深い地割れや1m以上の隆起が現れ、まるで段々畑のように見える地点もあるほどだった。
自宅敷地内に断層ができた家もあった。住宅のカベは剥落し、屋根瓦も大きくずれている。この家の住人であるYさんが驚く。
「自宅の横にある平たかった畑に、隆起による大きな段差ができてしまいました。しかも、この段差、自宅向こうの高速道路の橋脚の所まで続き、さらに奥にある墓地にまで延びている。
きっとさらに先のほうにも段差ができているんだと思います。ただ、奇妙なことにこれだけ断層が表に出ているのに井戸水は枯れていないし、電気も止まらずに済んだ。不思議です」
Yさんの近所、Kさん宅の庭には、大きな断層が出現していた。隆起の高さは1mほど。玄関口をふさいで盛り上がっているので、家に入るにはこの隆起を乗り越えるしかない。Kさんが不安な表情でこう語る。
「Yさん宅と違って、うちでは井戸水が枯れました。しかも、敷地内にひび割れがたくさんあって、余震のたびにその割れ目が大きくなっているんです。今は家はまだ真っすぐ立っていますが、そのうち傾いてしまうのではと心配しています。日ごとに深くなっている割れ目を見ていると、このままここに住むのはちょっと怖いなと」
九州自動車道は各地で亀裂や上下にずれるなどの被害が発生した。八代インターチェンジ(熊本県八代市)の高架下付近ではくっきりと断層が現れた所もあった
ここ八代市内でも被害は甚大だった。しかし、意外に感じたこともある。これほど何重もの災害に見舞われているにもかかわらず、人々の表情が思ったほど暗くないことだ。それどころか、被災の状況を笑み交じりに語ってくれた住民もいたほどだ。
市内に住む60代男性のSさんもそのひとりだ。Sさんは昨年8月の豪雨でも被災し、自宅は腰の高さまで浸水、保有する自家用車も3台が水没してしまったという。
そのわずか1年後にこの大地震だ。なぜ、Sさんは笑顔でいられるのか? その胸の内を聞いてみた。
「ひとつは自分よりひどい被害に遭った人がたくさんいるということ。昨年の水害では家を丸ごと流された人もいた。それに比べれば、弱音を吐くことはできません。もうひとつは災害対処への経験値が上がっていると思えるからですかね。
なんせ、地震だってこの10年で2回も経験しているんです。さすがにこれだけ何度も災害に遭うと、わが家の復興のために次に何をすべきか、自然と頭に浮かんでくる。避難所で余震におびえながらぼんやりしているより、被災した家の片づけをしているほうが気がめいらず、気持ちが楽なんです」
冒頭に登場した宇城市の坂田さんも「地震が来るような所にある家に住むのはもうこりごり」とこぼしながらも、その表情は終始、柔らかかった。
「安全な所に小さくてもいいから新しい家を建てて、新しい人生をスタートさせる。人生、諦めたら終わりばい」と今後のプランを語ってくれた。73歳でこのバイタリティはすごい。
氷川町でも同じようなシーンに出くわした。前出のバー「エクライザル」店主・佐藤さん、そしてその義父の田中繁明さんもまた、インタビュー中は朗らかな空気だった。
「10年前に一度大きな地震を経験しているので、さほど不安はない。このくらいの地震ならまだまだ大丈夫だって思えますから。だから、いつまでも落ち込んではいられない。断水が復旧しさえすれば、すぐにでもバーの営業を再開するつもりです」
そう語る佐藤さんに、義父の田中さんがこうつけ加える。
「災害続きで横のつながりが強くなりました。困っている人がいたら助け合おうって。実際、手持ちの発電機で井戸水をくんで近所の人に配っている人もいる。うちもその水、分けてもらいました」
米の備蓄があることも人々の表情を和らげている理由のひとつなのだとか。田中さんが続ける。
「被災した人たちがそれでも明るくしていられるのは、米のことも大きいね。この辺りは農業をやっている人が多く、自家消費用の米を持っている。どんなに困っても米さえ手元にあれば、なんとかやっていける。その余裕が明るさにつながっているんじゃないかな」
氷川町役場の防災担当者はこう言う。
「10年前の地震で熊本のシンボルである熊本城が崩れてしまったことにショックを受けた熊本県民は多かったはず。無残に壊れた熊本城を見て涙が止まらなくなった人もいたほどです。
そのつらい経験がある分、熊本の人々の防災意識は格段に高まっている。困ったときは助け合う。そんな共助の大切さを学び、災害に前向きに向き合うことができるようになったと思っています」
今回の地震で熊本城の石垣が広範囲で崩落。10年前の熊本地震でダメージを受けた後、2052年度までの"完全復旧"を目指し、少しずつ修復していたが、その進行にも影響が出そうだ
その担当者が続ける。
「氷川町では地区ごとに防災組織をつくり、避難所をどこに設置するか、誰がどのような役割を果たすか、住民が自主的に集まって決めている。防災への取り組みは格段に進歩しました。その結果、これだけ大きな地震だったにもかかわらず、人的被害は想定よりも少なく済んだのでは、と評価しています」
前出の八代市のSさんはこう言っていた。
「八代市でも災害時に地域住民同士で助け合うネットワークが機能しています。例えば、断水しても地域のネットワークを通じて、どこそこの家の井戸水を分けてもらえるとか、何時にあの小学校に行けば給水車が待っているとか、ちゃんと教えてもらえる。こういう地域ネットワークの存在が災害時には功を奏するんだと思っています」
八代市民からは、市庁舎建て替えを巡るこんなジョークめいた提言も聞いた。
「市庁舎の建て替えが検討されているようだけど、もし建築するならプレハブ造りにしてはどうか。プレハブなら軽いから地震に強いし、免振装置なんてものもいらない。建設費も安く上がるし(笑)」
今回の地震も含め、熊本を襲った災害はそれぞれ決して〝笑えるような〟軽いものでは決してない。例えば避難所においても、今後もしばらくは普通に生活を送るための設備の設置や食料配給など、さまざまな支援が必要になるだろう。
しかし、今回取材した住民たちは被害の深刻度こそそれぞれ異なるものの、皆前を向いていた。彼ら、彼女らがいる限り、熊本は早期に復興を果たすはず。そう思えるのだ。
●日野和明(ひの・かずあき)
関西を拠点に、主に西日本エリアを幅広いテーマで取材するライター。神戸で阪神・淡路大震災を経験。被災マンションの理事長としてマンションの建て替えを経験。熊本地震は10年前に続いて今回が2度目の取材