
安藤海南男
あんどう・かなお
安藤海南男の記事一覧
ジャーナリスト。大手新聞社に入社後、地方支局での勤務を経て、在京社会部記者として活躍。退社後は警察組織の裏側を精力的に取材している。沖縄復帰前後の「コザ」の売春地帯で生きた5人の女性の生き様を描いた電子書籍「パラダイス」(ミリオン出版/大洋図書)も発売中。
取材に応じたAさんは、トクリュウと誤認定されて人生が破滅した壮絶な体験を話した(写真はイメージです)
「俺はトクリュウなんかじゃない」国家権力に押された〝烙印〟に苦しむ男性は涙ながらに訴える。
警察庁が摘発に心血を注ぐ「匿名・流動型犯罪グループ」の犯罪に加担したとして逮捕され、その後不起訴となったが、世間からの偏見に苦しみ、大切な〝家族〟も失ったという。
「トクリュウ」とはなんなのか。誰がそう決めるのか。男性の過酷な経験を通して、警察権力暴走の危うい実態と、それを助長するマスコミが抱える問題を暴く。
5月14日、栃木県上三川(かみのかわ)町の閑静な住宅街で事件は起きた。男3人が強盗目的で民家に押し入り、69歳の女性をバールで殴打した上にナイフで突き刺すなどして殺害。犯人は、駆けつけた女性の息子2人にも重傷を負わせて逃走した。
事件発生から2日のうちに運転手役の男を含む4人が逮捕されたが、犯行グループの身元が明らかになると衝撃はさらに広がった。
「4人はいずれも高校生を含む少年でした。その後、実行犯への指示役として横浜市の20代夫婦が逮捕され、事件の主導役として48歳の男の関与も浮上した。
グループは秘匿性の高い通信アプリでつながっており、警察は『トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)』による事件として捜査を進めています」(全国紙社会部記者)
栃木県の民家で女性が殺害された事件に関して、指示役とみられる容疑者の自宅アパートを捜索する捜査員ら。高校生らが実行役として参加していたことが世間に衝撃を与えた
これに限らず、トクリュウが関与する事件は頻発している。時事通信社によると、昨年全国で起きたトクリュウ関連の事件で1万2178人が検挙され、そのうち1322人が10代だったという。
トクリュウの脅威がいかに社会をむしばんでいるかがわかる。だが、これから記すある男性の告発を聞くと、この数字をどこまで額面どおりに受け取っていいものか、という疑問も浮かんでくるだろう。
「トクリュウというレッテルを貼られてすべてを失いました」と力なくつぶやくのは、西日本の地方都市に住むAさん(40歳)。
異変があったのは昨年5月上旬。個人間で暗号資産(仮想通貨)を売買する「相対(あいたい)取引」をしていたAさんの銀行口座が突然、凍結された。
銀行に問い合わせると「不正な取引に使われた可能性がある」と思いがけない答えが返ってきた。口座取引をストップさせたのは、島根県警だという。縁もゆかりもない土地の警察による介入に戸惑いながらも、Aさんは事情を聴くため県警に問い合わせた。
「そこで初めて、私に振り込め詐欺の『出し子(現金引き出し役)』の疑いがかけられていることがわかったんです。
被害者は島根県内に住む女性で、警察官をかたる人物に200万円をだまし取られたという話でした。身に覚えがありませんでしたし、島根には足を踏み入れたことがないと説明したんですが......」
Aさんは対応した捜査員から任意聴取を求められ、数日後に自宅近くの警察署で取り調べを受けることになった。
「すぐに疑いが晴れるだろうと思っていましたが、甘かった。6時間も聴取され、現場検証のつもりだったのか、口座凍結されたことに気づいた際にお金を下ろそうとしていたATMにまで連れていかれました」
現場では「本当のことを言え」「今から令状(逮捕状)を持ってきて逮捕に切り替えてもいいんだぞ」などと迫られたが、その言葉は単なる脅しでは終わらなかった。
「ある朝突然、警察官が令状を持って自宅を訪ねてきたんです。そのままガサ入れ(家宅捜索)されて、島根の警察署に連れていかれました」
署での取り調べも苛烈を極めた。捜査員は取調室で、腰縄をつけてパイプ椅子に座らせたAさんに執拗に自白を迫ったという。
「『あなたは詐欺の片棒を担いでいるんだ』と何度も詰められました。ただの暗号資産の取引だったと何度も言っても聞く耳を持たない。最初から事件の筋書きを決めつけている印象でした」
担当刑事はAさんを威嚇するように机をたたき、「いいかげんにしろ」「ふざけんなよ」などと暴言も吐いた。その後、勾留期間中は「接見禁止」の措置も付された。外部から遮断される孤独な日々は23日間続いた。
「取り調べの調書も作られましたが、ほぼほぼ警察官の作文です。サインできないと拒否したら、すごい剣幕で『ここまで労力を使わせておいてそれか。弁護士に言われたのか』と迫られました」
取り調べの記録を取っておくようにと弁護士から渡された「被疑者ノート」には、追い詰められていくA氏の心情がつづられている。
「私はしてないことはしていません。担当の刑事さんは、私から何を言わせようとしているのか。事件に関係ない話が多くてよくわかりません」
「決めつけや臆測の話が多いと感じる。余罪がまだまだあるみたいと言われた」
昨年10月に新設された「警視庁匿名・流動型犯罪グループ対策本部」のホームページ。トクリュウの摘発はもちろん急務だが、思わぬ"副作用"を生まないよう注意も必要だ
Aさんから筋書きどおりの〝自供〟を引き出せなかった県警の捜査を受け、検察は起訴を断念。勾留期限いっぱいで処分保留により釈放されたが、県警側からの謝罪は一切なかったという。
社会復帰を果たしたAさんだったが、不起訴処分となるまでにはさらに時間がかかった。捜査の影響で刑事処分の最終的な判断は福井地検に委ねられ、同地検が「不起訴処分」を決めたのは今年6月1日。逮捕から1年以上もの歳月を要した。
元東京高検検事で、Aさんの弁護人を務めた阪井光平弁護士は憤りをあらわにする。
「Aさんが行なっていた仮想通貨の相対取引は正当な取引であり、彼は詐欺グループによる暗号資産という〝獲物〟の獲得に自分の銀行口座を悪用された被害者です。
警察はAさんを特殊詐欺の出し子と見立てて捜査したのでしょうが、そもそも犯罪者が自分名義の口座を使うことに疑問を持たなかったのか? 基礎的な捜査能力の欠如さえ疑われる事例です」
島根県警は、詐欺グループをトクリュウと見立てて捜査を進めていたとみられる。だが、どのような基準で事件とは無関係のAさんのことをトクリュウと判断したのか? そこに捜査当局の恣意的な判断があったのだとすれば、Aさんの災難はわれわれにとっても人ごとではなくなる。
阪井氏はこう指摘する。
「島根県警はAさんをトクリュウと認定した根拠について、なんら合理的な説明をしませんでした。彼らはあいまいな捜査情報に基づいて決めつけたのです。
各都道府県の公安委員会が認定する『指定暴力団』とは違い、トクリュウは組織としての実態が希薄で、認定基準はブラックボックスになっています。警察によって恣意的に認定される可能性があり、誰もがその被害に遭う恐れがあると言えます」
また7月10日から、マネーロンダリング抑止の名目で犯罪収益移転防止法が改正され、「送金犯罪」の罰則が新たに追加された。本件と同様の「知らずに送金犯罪に加担した場合」も有罪になることが記されており、犯罪に巻き込まれた人がトクリュウと混同されるリスクが危惧される。
Aさんを追い詰めたのは、国家権力だけではなかった。マスコミ報道によって、さらなる苦境に立たされたのだ。
「逮捕直後、NHKが『詐欺グループの一味だ』と私の実名を報じました。そればかりか、私をトクリュウのひとりだとまで伝えたんです」
問題のニュースは、NHK松江放送局が昨年6月5日午後に報じたものだ。同局は島根県警がAさんを詐欺容疑で逮捕したことを実名入りで報じ、「松江 警察官かたり200万円詐取か 会社員逮捕 容疑を否認」の見出しでウェブニュースも配信した(現在は削除)。末尾には、次のような情報もつけ加えられていた。
「警察は、SNSで実行役を集め、さまざまな犯罪を繰り返すトクリュウの実行役だとみて調べています」
この一報はAさんの地元でも瞬く間に拡散したという。
「実名で報じられたことが致命的でした。あいつはトクリュウだ、という話が広がって会社もクビになりました。何よりしんどかったのは、婚約者との関係が壊れてしまったことです」
女性のおなかには新たな命も宿っていた。しかし、Aさんの突然の逮捕とトクリュウ報道によって堕胎を決意。Aさんは、生まれてくるはずだったわが子との永遠の別れまでをも余儀なくされたという。
「彼女の中に、犯罪者の子供を産むわけにいかないという思いがあったのでしょう。それを責めるわけにはいかない。ただ、ふたりの関係もおかしくなってしまったし、逮捕されていた時間は本当に取り返しのつかないものになってしまいました」
警察官らに訓示をする警察庁の楠芳伸長官。トクリュウ捜査に力を入れるため、新部署の設置や予算の拡充などさまざまな施策を行なっている
全国の警察本部には新聞社やテレビ局などの報道機関が所属する「記者クラブ」が設置され、取材対応が行なわれる。今回のNHK報道では情報源を「警察によると」としている点から、記者クラブ所属の記者が県警側の発表をうのみにしたことが、誤った発信につながったとみられる。
前出の阪井氏は、警察発表に依存した報道のあり方に警鐘を鳴らす。
「マスコミが島根県警による人権侵害の片棒を担いだ格好です。しかも、それを唯一の公共放送であるNHKが行なったという点で問題は深刻。マスコミ報道が記者クラブ制度に依存し、警察発表を垂れ流すことに終始していれば、同じような被害はこれからも起こりうるでしょう」
一連の問題について、本誌編集部からも島根県警とNHKに質問状を送った。
NHK広報局は文書で回答し、Aさんの逮捕を報じた一報について「捜査状況をお伝えした」と回答。その上で、「(Aさんへの)検察の不起訴処分を受け、名誉回復を図る必要があると認識し、NHK松江放送局のニュースにおいて不起訴処分となった旨を報じた」などとした。
一方、島根県警の捜査員は電話で回答。「逮捕を含め、捜査については適正に行なったと考えている」とした一方で、トクリュウの認定に至った明確な根拠は示さなかった。さらに、Aさんが受けた被害への見解については、「コメントする立場にないので、回答は差し控える」と述べるにとどめた。
Aさんが受けた被害の深刻さと対照をなすかのような両者の冷淡な対応は、暴走する国家権力と無思慮のマスコミとの危うい共犯関係を浮き彫りにした。