日本の皇位継承のあり方を巡る、「歴史的転換点」を知るための一冊!(『継体天皇 六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」』著:河内春人)

取材・文/小山田裕哉 撮影/渡邊りお

「そもそも『日本書紀』などの歴史書は編纂当時の権力者の正統性を主張するためにまとめられたもので、フィクションも多く含まれます。だからこそ、事実の検証が欠かせません」と語る河内春人氏「そもそも『日本書紀』などの歴史書は編纂当時の権力者の正統性を主張するためにまとめられたもので、フィクションも多く含まれます。だからこそ、事実の検証が欠かせません」と語る河内春人氏

6世紀初頭、子供のいなかった武烈天皇の崩御により、天皇家は直系の血筋が途絶える危機に直面。そこで北陸地方にいた遠い血筋の親類から継承者として招聘され、第26代の天皇として皇位に就いた人物がいた。

それが「継体天皇」だ。この1500年も前に即位した天皇が、今年7月に成立した改正皇室典範に伴う問題に絡み、にわかに注目を集めている。

そもそも継体天皇とは、どのような人物であり、なぜ遠縁から皇位継承することになったのか。そして、後世にいかなる影響を与えたのか。その真相に迫った本書は、皇位継承の議論が過熱する中、刊行2ヵ月ほどで6万部超のベストセラーとなり、今もなお売れ続けている。

改正案が成立した今、継体天皇という存在の重要性と注目される理由について、あらためて著者の河内春人さんに聞いた。

* * *

――河内さんが考える、継体天皇の重要性とは?

河内 まず、継体天皇は現在の天皇家への血筋を学術的にたどることができる「最古の天皇」のひとりとされています。

天皇家の古代における系譜は記紀(『古事記』と『日本書紀』)の記述が根拠となっていますが、これらの内容には神話も含まれ、本当にあったことなのか不明な点が多い。

その点、継体天皇は記紀以外の史料でもその存在が確認されているだけでなく、欽明天皇(嫡子)や推古天皇(孫)という有名な天皇との血縁関係も確認されており、実在性が極めて高いと評価されています。

また、継体天皇は皇位継承のルールを変えた天皇でもあります。これ以前の皇位継承は単純な血統主義ではなく、必ずしも血縁の近くない複数の王族から選ばれていました。

しかし、継体天皇以降は血統を重視する世襲的側面が強まっていきます。この体制が今も続いていることから、継体天皇は現在までつながる世襲王権の「始祖王」であると言えます。

――なぜ今になって継体天皇が注目を集めているのでしょう?

河内 継体天皇は当時のヤマト王権と直接は血筋がつながっておらず、継承の正統性も「応神天皇の5世孫」という薄い血縁を根拠にしていました。

しかし、応神天皇そのものが神話の時代に属する天皇であり、そもそも本当に血縁があったのか学術的には不明です。

そのため、皇位の男系継承が問題になっている今、天皇家の万世一系という伝統を疑うための根拠として、継体天皇が注目されているわけです。

――河内さんの立場は?

河内 研究者としては、「血統が断絶したとも、していないとも言い切れない」という中途半端な立場になってしまいます。この時代の皇室のエピソードは事実か虚構か不明瞭なところが多く、確定的なことがほとんど言えないからです。

そのため、専門家以外には長らくニッチなテーマで、私自身も本書を書き始めたときは、こんなに売れるとは思いもしませんでした。それがこれほど話題になるのですから、刊行タイミングの大切さを痛感しました(笑)。

――では、継体天皇の功績には、どのようなものがあった?

河内 「磐井の乱」の平定ですね。継体天皇の即位後に起こった、九州北部の有力豪族による反乱です。5世紀までは天皇が必ずしも絶対的権威を持っていたわけではなく、有力豪族が各地を治める連合体制でした。だからこそ、皇位の継承も有力豪族の支持が必要だったわけです。

しかし、豪族たちが権力を持ちすぎると、内乱のリスクが生じる。実際、磐井の乱を起こした「筑紫君(つくしのきみ)」という豪族も、独自に朝鮮半島と交流を持つほどの権勢を誇っていました。

継体天皇は、この反乱を平定することで豪族たちの力を抑え込み、「屯倉(みやけ)」という、中央政権が地方行政を直接管理するための拠点を各地に設置していきました。

――「豪族は天皇に仕えるもの」という位置づけが明確になり、最高権力者である天皇が世襲で選ばれるようになった。

河内 そうです。継体天皇の代から徐々に豪族たちの力がそがれ、推古天皇と聖徳太子の時代に制度的な統治への道が開き、やがて律令国家での中央集権体制が完成しました。

つまり、統一政権への転換点をつくったという意味でも、継体天皇は重要なのです。

――今回の改正皇室典範では、男系男子の継承維持のために「旧宮家からの養子縁組」が可能になりました。保守派議員が「日本古来の伝統」として男系維持を強固に主張したためですが、継体天皇がわざわざ遠縁から招聘されたように、当時の権力者たちも男子による継承にこだわっていた?

河内 いえ、当時の権力者たちが現代のように男子にこだわったわけではありません。それこそ継体天皇の孫である推古天皇をはじめ、古代には複数の女性天皇がいました。

当時の血統観は父方・母方の双方が重視される柔軟なものであり、現代のような厳密な男系一辺倒ではなかったという指摘もあります。

中世以降に男性優位の考え方が広まりましたが、それでも江戸時代にすら女性天皇がいたように、「女性は即位できない」というルールができたのはあくまで明治以降のことです。

――しかし、改正された皇室典範では、いまだに男系女子の即位すら認められていません。

河内 男系男子に限定する現制度は、歴史的には最も継承の範囲が狭く、長く保たれてきた伝統とは言えないはずです。

――ただ、保守派からは「男系継承は2600年にわたる伝統」という主張も聞こえます。

河内 継体天皇の研究からも明らかなように、「確実に男系で継承されてきた」と言えるのは1500年前までで、神話の時代まで含めて歴史的事実のように語るのには疑問があります。

そもそも『日本書紀』などの歴史書は、編纂当時の権力者の正統性を主張するためにまとめられたものであり、フィクションも多く含まれます。だからこそ、事実の検証といった作業が欠かせません。

権力者が語る歴史観をうのみにするのではなく、そこにどんな政治的意図があるのかを読み解く必要があります。

今回の法改正で政権がどのような歴史観や価値観を正当化しようとしているのか、冷静に注視していくべきだと、ひとりの歴史研究者として強く思います。

●河内春人(こうち・はるひと)
1970年生まれ、東京都出身。明治大学文学部卒業、同大学大学院博士後期課程中退。博士(史学)。現在、関東学院大学経済学部教授。専攻は日本・東アジア古代史。著書に『東アジア交流史のなかの遣唐使』(汲古書院)、『倭の五王』(中公新書)、『ユーラシアのなかの「天平」』(角川選書)など

■『継体天皇 六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」』
中公新書 1100円(税込)
5世紀以前、複数の王族集団から適任者が即位していた大王(おおきみ)。だが6世紀初頭、ヤマト王権の招聘によって、王権との血縁が不明瞭な北陸の有力豪族が即位する。継体天皇である。彼はどのような背景を持ち、なぜ即位できたのか――。王位継承後、朝鮮半島の新羅、九州の国造磐井など敵対勢力と向き合い、反乱を収めて権威を確立していく。血統重視の世襲による天皇家を創った「始祖王」継体天皇と、6世紀の倭の実態を描く

★『“本”人襲撃!』は毎週火曜日更新!★

  • 小山田裕哉

    小山田裕哉

    おやまだ・ゆうや

    1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。

Photo Gallery

編集部のオススメ

関連ニュース

TOP