
山本萩子
やまもと・しゅうこ
山本萩子の記事一覧
1996年10月2日生まれ、神奈川県出身。フリーキャスター。野球好き一家に育ち、気がつけば野球フリークに。2019年から5年間、『ワースポ×MLB』(NHK BS)のキャスターを務めた。愛猫の名前はバレンティン。
8月27日、試合後にどうしてもひとりで家に帰る気になれず、ヤクルトファンの仕事仲間たちと少しだけ飲んで帰りました。この日、石川雅規投手は久しぶりに神宮球場のマウンドに立ちましたが、連打を浴び、1回途中で左肩を痛めて降板。誰も口には出しませんでしたが、あの場にいた全員、ファンの頭にも、同じ言葉がよぎっていたのではないかと思います。私は正直、あの日以降ずっと祈るように過ごしていました。とにかく、この日だけは迎えたくなかった。
先日の引退会見は実に晴れやかでした。とてつもなく寂しいはずなのに、あの晴れ晴れとした表情にどこかほっとしている自分がいました。どこまでもかっこいい。心からそう思いました。
会見では石川さんらしい言葉の数々で思いを伝え、最後には報道陣への感謝を口にする。その瞬間まで、とにかくかっこよかった。
特に印象的だったのは、25年の歩みを「楽しかった」と振り返った場面です。
そして、野球人生において一番良かったことを問われた際には、てっきり2015年、2021年、2022年の優勝の話が出るのかと思っていたら、返ってきたのは「スワローズに入団できたこと」。仕事の移動中、電車の中でその中継を見ていたのですが、なりふり構わず泣いてしまいました。
入団会見で口にした"小さな大投手"という言葉を振り返る中で、石川さんはこう言いました。
「大投手になれたかはわからないけど、『自分がエースなのだ』という思いでマウンドに上がれたと思う」
石川さんの魅力は、まさにここに尽きると思います。小さな体でありながら、誰よりも負けず嫌い。その思いが、投球から、言葉から、立ち居振る舞いから、佇(たたず)まいから強く伝わってきます。決して速くはないボールを巧みに駆使して打者を打ち取り、投球術を磨き、努力を重ねて勝ち続けてきました。最後までひたむきに、心に闘志を燃やして、数字よりも何よりも、目の前の1勝だけを見つめていたのではないかと思います。
25年間で188勝。24年連続勝利。167cmの体で、先発ローテーションを守り続けました。私は今年30歳になりますが、人生のほとんどを石川さんの活躍と共に過ごしてきました。188勝の歩みを見られたことを、心から誇りに思います。
ただただ、感謝しかありません。気持ちが大きすぎて、うまく言葉にできません。
これまで数えきれないほど、石川さんの投球を見てきました。実家のテレビで。家族に連れられて。友人たちと一緒に。ひとり暮らしの部屋で。仕事の合間に局のテレビで。そして球場で。本当に長い年月を見てきたんだと実感します。
その中でも、やはり2015年は忘れられません。序盤は不調に苦しみながらも、8月末に復帰してから6連勝。9月は5戦5勝で月間MVPを獲得し、同じく復帰した館山昌平さんと共に、チームを14年ぶりのリーグ優勝に導く大活躍を見せてくれました。
その年で思い出深い試合をひとつだけ挙げるなら、優勝のかかった9月末(9月27日)、2位の巨人との直接対決です。石川さんは体調不良のなか、中4日で登板して5回1失点、しかも決勝点となるタイムリーまで放って13勝目を挙げた試合です。
そのあと10月2日に優勝が決定するのですが、ビジョンに映し出された歓喜の輪の中で、石川さんが嬉しそうに涙を流していたのが忘れられません。2002年に入団した石川さんにとって、悲願のリーグ初優勝の瞬間でした。
悲願の日本一を果たした2021年も忘れられません。11月24日、オリックスとの日本シリーズ第4戦。この日は東京ドームで現地観戦していました。石川さんは3イニング連続三者凡退も含めた圧巻の投球。6回に一度は同点に追いつかれましたが、その裏にサンタナ選手がヒットを放ち、"女房役"中村悠平選手が繋ぎ、オスナ選手のタイムリーで勝ち越しました。石川さんは6回1失点と最高の投球でした。
2021年。青木さんや石川さんのいるスワローズで日本一になれて、本当に嬉しかった。
石川さんの人間性の素晴らしさは周知の事実だと思いますが、少し個人的な話をさせてください。
最初に直接お話ししたのは、2018年のファン感謝デーでした。テレビの仕事で神宮球場を訪れ、他の選手にお話を伺っていたところ、石川さんが横を通りかかり、「なになに?」と会話に入ってきてくれたのです。
今思えば、インタビューとも言えないほど拙(つたな)かった私の質問にも、ユーモアとサービスたっぷりに答えていただき、最後は自社製品であるヤクルトのお茶を宣伝して去っていきました。まだ大学生の若造に、こんなふうに対応してくださるのかと、信じられない気持ちでした。
それ以降、何度かお話しさせていただく機会がありましたが、球場で会うたびに「山本さん!」と声をかけてくださいます。2024年6月には、この連載で「拝啓、石川雅規様」という、かなり重たいラブレターのようなコラムを書いたのですが、本当に偶然にも、公開から2日後にスワローズの番組でインタビューをすることが決まりました。
インタビューの部屋に入るなり、いつもの爽やかな笑顔を見せてくれます。
「連載、読みました!本当にありがとうございます。嬉しかったです!」
これからインタビューをするというのに、私は泣きそうでした。
宝物の1枚です。
石川さんの言葉はいつも美しく、でも飾らず、聞き手の思いを汲み取り、何歩も先まで想像して答えてくれる。それは、人間としてのあたたかさが根底にあるから。
私もいつかこんな素敵な人になりたいと、心から思います。
生まれてきてくれて、ヤクルトのユニフォームに袖を通して、ここまで188勝、3165と2/3イニングを投げてくれた。本当にありがとうございました。
今までも、これからも、ずっと大好きです。
