五輪史上初の試みとなった、競技会場外での開会式――セーヌ川沿いにて。「当日はあいにくの雨でしたが、私も日本選手団の船に向かって大声で声援を送りました」(松田) 五輪史上初の試みとなった、競技会場外での開会式――セーヌ川沿いにて。「当日はあいにくの雨でしたが、私も日本選手団の船に向かって大声で声援を送りました」(松田)
夏季五輪としては東京五輪から3年ぶりの今大会は、この3年間、常に私の中にあった不安が払拭される大会でした。

自国開催の東京五輪ではさまざまな問題が噴出し、多くの批判が国民の皆さんから寄せられました。一方でアスリートのパフォーマンスは素晴らしく、メディアを通して多くの感動を与えてくれました。東京大会では無観客だったこともあり、取材する立場として会場にいた私は、アスリートのパフォーマンスに感動しつつもそこに観客の熱狂はなく、アスリートと運営サイド、メディア関係者だけで五輪をやっている感覚がありました。それがまさにコロナが及ぼした「分断」だったのかもしれませんが、アスリートのパフォーマンスへの賞賛と、噴出する数々の問題に対する批判とのあいだで、五輪に憧れ、経験してきた者として、今後も五輪が世界的に必要とされるのか正直不安に感じていました。

「Games Wide Open」

パリ五輪のテーマとして掲げられた「広く街に開かれた大会」は、見事に達成されたと思います。試合会場では競技に熱狂している観客を目の当たりにし、パリの街中には祝祭感が漂い、「五輪にはまだまだ可能性がある」と、私の不安は一掃されました。

陸上競技の会場となった「スタッド ド フランス」の外観。「Games Wide Open」(広く街に開かれた大会)の大会コンセプトが示されている 陸上競技の会場となった「スタッド ド フランス」の外観。「Games Wide Open」(広く街に開かれた大会)の大会コンセプトが示されている
良かった点として一番に挙げられるのは、五輪というイベントと接点を持てる人の数が飛躍的に増えたことです。セーヌ川沿いでの開会式にはじまり、チャンピオンズ・パークでは各競技のメダリストのセレモニーが競技終了後、別日に設けられ、そこでも15万人以上の観衆とアスリートとの接点が生まれました。アスリートとしても、競技場以外の場所で再び喜びを感じられるというのは貴重な経験だったと思います。ステージ上を歩く選手を見ながら私も、ロンドン、リオ五輪後に開催された銀座でのパレードに参加したときの感動と喜びを思い出しました。

チケット販売も好調で、組織委員会によるとその数は950万枚を超え、五輪史上最多となりました。私がその後押しとなったと考えるのが、今大会で採用されたチケットの完全ペーパーレス化です。チケットはスマホの専用アプリ上でQRコードに電子化されていて、メールひとつでやり取りが可能となります。大会期間中はチケットのリセールも活発にされていて、トーナメント競技においては、ファンが自国の勝ち上がり方や組み合わせによってチケットの売買を行ない、それを公式サイト及びアプリ内で完結できていました。私もスケジュールと照らし合わせながら空いた時間で観に行ける競技はないかと検索しました。簡便にチケットのやり取りができ、ひとりでも多くの観客が競技を観られるという点で、非常に良い試みだったと思います。

また、競技会場の95%が既存施設、あるいは仮設だったことも良かった点として挙げられますが、加えてパリという街が持つ歴史ある建造物の景観とポテンシャルを最大限活かす会場の魅せ方も上手でした。

ブレイキンを含むアーバンスポーツ4競技の会場となったコンコルド広場「アーバンパーク」も、連日多くの観客でにぎわった。「ブレイキン初代五輪女王に輝いたAMI選手の金メダル獲得の瞬間も観ることができました」(松田) ブレイキンを含むアーバンスポーツ4競技の会場となったコンコルド広場「アーバンパーク」も、連日多くの観客でにぎわった。「ブレイキン初代五輪女王に輝いたAMI選手の金メダル獲得の瞬間も観ることができました」(松田)
一方、大会運営では課題が多かったと感じます。

今大会は環境への配慮として、ペットボトルをできるだけ使わないようマイボトルが支給され、給水所で水を確保することが推奨されました。そのために大会前半は選手が十分に水分をとれない状況になり、日本オリンピック委員会(JOC)は独自にペットボトルの水を確保・常備しました。

複数の選手に話を聞くと、選手村での食事は味・量ともに東京大会より劣っていて、部屋でも電気がつかない、水やお湯が出ないということが日常茶飯事だったそうです。選手を輸送するバスが遅れる、道を間違えるということもあったそうで、複数回五輪に出場しているあるベテラン選手は、これまで経験した五輪の中で選手村の環境は一番良くなかったと語っていました。総じて、運営面では東京五輪のほうが良かったと語る選手が多く、これは日本人がもっと誇りに思っていいことでしょう。

選手や審判、関係者への誹謗中傷も世界的に問題となりました。

SNSの普及に伴い、テレビ以外で五輪に触れる人も増えてきています。今大会は国際オリンピック委員会(IOC)もJOCも、SNSでの情報発信にこれまで以上に注力しました。また、選手は自身のSNSを通じて、メディアを介しては伝えきれないパーソナリティを発信し、ファンとの距離を縮められる利点もあります。

選手に届くコメントには好意的なものがほとんどである一方、単なる誹謗中傷も散見されます。選手を誹謗中傷する言葉は、積み重なれば時に選手生命や命すら奪いかねないものですから、発信する前に冷静になって考えていただきたいです。

日本がメダル1個と苦戦した競泳は、4冠を達成したフランスのレオン・マルシャンが登場する日には競泳会場から最寄り駅まで数百メートルの行列ができた 日本がメダル1個と苦戦した競泳は、4冠を達成したフランスのレオン・マルシャンが登場する日には競泳会場から最寄り駅まで数百メートルの行列ができた
個人戦での敗戦後、自身のSNSに誹謗中傷ともとれるコメントが寄せられた柔道の阿部詩(あべ・うた)選手は会見でこう話してくれました。「もちろん応援してくれる言葉のほうがうれしい」としつつ、批判的なコメントに対しては「近くで応援してくれる人の言葉が大事だと思っているし、その人たちの言葉を信じて頑張っていきたい」と。

これは、批判的なコメントを見たとしても意識的に自分の中でそれらを排除するということで、これができる選手や、できているあいだは良いのですが、批判的なコメントが積み重なり排除しきれなくなる可能性が誰にでもあり、そのキャパシティは人によってさまざまです。

私も人前に出る仕事をしているので、いろいろなコメントをいただきます。今時点ではどんなコメントも一度は見るようにしていますが、明らかにただ批判したいだけ、攻撃したいだけの類のものはすぐに忘れます。自分にとって何のプラスにもならないからです。

男子マラソン当日の朝に、コース沿いをランニングしたという松田。「42㎞地点では選手が来る前にコース内に入り写真を撮ることができました」 男子マラソン当日の朝に、コース沿いをランニングしたという松田。「42㎞地点では選手が来る前にコース内に入り写真を撮ることができました」
私は選手としての現役生活の中では、SNSのない時代からある時代の両方を経験しました。前回のコラムで述べたように、アスリートは時に孤独なものです。数ヶ月に及ぶ海外遠征の際には、家族や友人の日常がまったくわからない時代もありました。今ではSNSを通して、世界中どこにいても誰かとつながることできます。厳しいトレーニングと向き合うとき、応援してくれる人たちの言葉は間違いなく選手にとって力となります。SNSに功罪ある中で、その良い面を伸ばしていくことができればと考えています。

パリ五輪は課題も多くありましたが、異例の大会となった東京大会では感じられなかった観客の熱狂を感じられ、私としてはうれしくもあり、可能性を感じられる大会となりました。まだまだ五輪は未完成です。その可能性を最大化しつつ、課題をひとつひとつ改善していくことで、五輪自体も進化していけるのだと思います。

次は8月28日からパラリンピックが始まります。

スポーツ観戦が大好きで、盛り上げ上手なフランスの人たちです。パラリンピックも盛り上がる予感がします。

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松田丈志

松田丈志Takeshi MATSUDA

宮崎県延岡市出身。1984年6月23日生まれ。4歳で水泳を始め、久世由美子コーチ指導のもと実力を伸ばし、長きにわたり競泳日本代表として活躍。数多くの世界大会でメダルを獲得した。五輪には2004年アテネ大会より4大会連続出場し、4つのメダルを獲得。12年ロンドン大会では競泳日本代表チームのキャプテンを務め、出場した400mメドレーリレー後の「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」の言葉がその年の新語・流行語大賞のトップテンにもノミネートされた。32歳で出場した16年リオデジャネイロ大会では、日本競泳界最年長でのオリンピック出場・メダル獲得の記録をつくった。同年の国体を最後に28年の競技生活を引退。現在はスポーツの普及・発展に向けた活動を中心に、スポーツジャーナリストとしても活躍中。主な役職に日本水泳連盟アスリート委員、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員、JOC理事・アスリート委員長、日本サーフィン連盟理事など

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