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本大会が開催された「リゾート・ワールド」内の様子
前代未聞のスポーツイベントが米ラスベガスで開催された。その名は「エンハンスト・ゲームズ」。「スポーツ倫理とか知らんわ」と言わんばかりの"ドーピングフリー"大会だ。
このイベントに、日本人スタンダップコメディアンであるSaku YANAGAWA氏が現地突撃取材! そこに「アメリカの支配者たち」が夢想する、マッドな理想郷の影を見た――。
日本時間5月25日、降り注ぐ太陽の光の下、ラスベガスの巨大カジノホテル複合施設「リゾート・ワールド」内の特設会場で、あるスポーツのイベントが行なわれていた。「エンハンスト・ゲームズ」と呼ばれる1日限定のこの大会に、2500人の観客と世界20ヵ国以上からの報道陣が詰めかけた。
普段は世界的ミュージシャンのコンサート広告が並ぶラスベガスの巨大ビルボードには、「Live Enhanced(強化した人生を生きよ)」というスローガンが大きく掲げられ、街でひときわ異様な存在感を放っていた。
取材したのはシカゴで活動する日本人スタンダップコメディアン・Saku YANAGAWA氏
エンハンスト・ゲームズは2023年に実業家のアーロン・デ・ソウザとマキシミリアン・マーティンが構想を発表した大会で、今回が1回目の開催となる。最大の特徴は、出場選手に国際大会では禁じられている、ステロイドやテストステロン、ホルモン成長薬などのPED薬(パフォーマンス向上薬)の使用を認めていることだ。
重量挙げ、競泳、陸上の3競技が行なわれ、42人の選手が参加した。そのうち29人が五輪出場経験者で、すでに引退した選手も含まれる。出場選手には高額の〝基本給〟が支払われるほか、世界記録を更新した場合には最大100万ドル(約1億6000万円)のボーナスが支給される。
主催者側はFDA(アメリカ食品医薬品局)の承認するPED薬の服用に限定することから、その安全面を強調するが、当然、スポーツ団体からは多くの批判が生じた。
国際オリンピック委員会(IOC)は、「これは私たちの理念への強い裏切りだ」と声明を発表し、世界反ドーピング機関(WADA)も「若い世代に危険なメッセージを送ることになる」と糾弾する。
世界水泳連盟は24年に「エンハンスト・ゲームズに出場、支援、関与した選手は今後、世界水泳連盟が主催するいかなる大会にも出場できない」という方針を打ち出した。これは五輪、世界水泳界からの事実上の永久追放に等しい。
そして、いつの間にかエンハンスト・ゲームズは「ステロイド・オリンピック」と呼ばれるようになっていった。
では、それほどまでに物議を醸すこの大会に、アスリートたちが出場を決意したのはなぜなのだろうか。
ベン・プラウド(31歳・イギリス)は、24年パリ五輪の男子水泳50m自由形で銀メダルを獲得したアスリートだ。彼は今大会の記者会見でこう語った。
「出場するのは端的に言って、カネのためだ。この大会が五輪の精神に反していることはわかってる。でも私は、もうそのカテゴリーには属していないんだ。引退しているし、二度と(五輪シーンに)戻らない覚悟もある」
イギリス人水泳選手のベン・プラウドは、大会出場の目的について「カネのため」と言ってはばからない
プラウドは過去に英BBCへのインタビューでもこのように語っている。
「スポーツ界にはカネがない。この先どう生きていけばいいか。大会で賞金を稼ぐには世界選手権を13年連続で勝ち続けなければならないんだ」
この日、プラウドは出場した50mバタフライで、世界記録の22秒27に迫る22秒32で優勝を果たし、見事25万ドル(約4000万円)の賞金を手にした。
ドーピング使用の「透明性」をアピールする出場選手もいた。女子陸上100mで決勝に進出したシャニア・コリンズ(29歳・アメリカ)は堂々とこう言い放った。
「私たちは最初から最後まで正直でオープンなの。情報を隠してないんだから、私たちのほうが誠実でしょ」
女子100m走決勝。ドーピング使用の透明性を皮肉っぽく話したシャニア・コリンズ(中央)は、2位だった
この発言は五輪でも秘密裏にドーピングを行なうアスリートがいることを示唆している、と話題を呼んだ。
同じく今大会に出場した男子水泳のジェームズ・マグヌッセン(35歳・オーストラリア、13年の世界選手権の100m自由形で金メダルを獲得)も、「大きな大会でも4分の1近くの選手は隠れてドーピングをしているだろう」とあけすけに話していた。
さて、これらの選手たちが具体的に使用している薬物に関しては大会側の意向で公表されていない。ただ、俳優兼重量挙げ選手のハフソー・ユリウス・ビョルンソン(37歳・アイスランド)は記者会見で、筋力の増大と回復速度の向上に効果のある「アナボリック・ステロイド」の使用を公表した。
この日、「超人化」を掲げ、世界記録の515㎏のデッドリフトに挑んだが、惜しくも失敗に終わった。
一方で、〝ドーピング未使用〟を宣言して出場した選手もいた。
今大会の目玉選手のひとり、男子陸上のフレッド・カーリー(31歳・アメリカ)は、22年の世界選手権100mで金メダル、21年の東京五輪で銀、24年のパリ五輪でも銅メダルを獲得するなど華々しいキャリアを誇るスプリンターだ。
しかし現在、ドーピングの検査逃れで陸上競技インテグリティ・ユニット(AIU)から27年8月までの出場停止処分を科されている。
ドーピング未使用を宣言して出場したアメリカ人スプリンター、フレッド・カーリーは100m走で見事優勝
28年のロス五輪に出場する意欲を見せているカーリーは、今大会に「クリーンな(ステロイドを使用しない)状態で出場する」と記者会見で発表。そして当日、予選を1位通過すると、9秒97で優勝を果たした(自己ベストは9秒76)。
この大会が大きな注目を集めたもうひとつの要因は、主催者の背後にいる巨額の出資者たちの存在だ。
エンハンスト・ゲームズが発表している資料によると、大会の出資者リストにはドナルド・トランプ・ジュニアや、ピーター・ティールといった〝大物〟の名前が並ぶ。
トランプ・ジュニアは、言わずと知れたトランプ大統領の息子だ。彼は出資の意義について記者に聞かれた際、このように答えている。
「これは未来を象徴する大会なんだ。本物の競争、本物の自由、そして本物の記録更新だ。これまで100年以上、世界のスポーツを支配するエリートたちはイノベーションを抑圧してきた。だが、そんな時代はもう終わった。
この大会を開催することは卓越性、イノベーション、そしてアメリカの支配を意味する。まさに、MAGA(Make America Great Again アメリカを再び偉大に)」の運動そのものなんだ」
本大会のメインの出資者であるドナルド・トランプ・ジュニア(左)
規制よりも「自由」を重んじ、個人の「強さ」を求める姿勢、さらには「アメリカの復権」までを掲げる彼の主張は、現在のアメリカの「テック右派」の思想と重なる。
テック右派とは、AIの発展や宇宙開発などのテクノロジーによる革新を最優先し、民主主義やそれに伴う規制を批判する、シリコンバレーのIT長者たちのこと。
例えばピーター・ティール。電子決済サービス「ペイパル」の創業者にして、シリコンバレー最大規模の投資家でもある彼は、J・D・ヴァンスを見いだし、副大統領に育て上げたほか、現トランプ政権にも多額の献金を行ない、大きな影響力を持つことでも知られている。
本大会のメインの出資者であるピーター・ティール
そんなティールのモットーは「科学技術を用い、人類を成長させる」。敬虔なクリスチャンでもあり、キリスト教の理念にのっとりつつ、科学技術を「正しく」使用し、社会を発展させることを目指してきた。
その思想は、アンチエイジングや再生医療、長寿とも結びつく。それらの研究団体にも数百万ドルを超える献金を行なってきたティールは、過去に「人類は死をも克服すべきだ」とも発言している。
このように自身の身体や脳を最適化、改造することで、より高いパフォーマンスや寿命を獲得することを目指す考え方を「バイオハッキング」と呼ぶ。データと科学で健康を管理すれば、人類の限界を超えることが可能だという思想は近年のシリコンバレーのトレンドとなりつつあった。
科学技術によって新記録を狙う本大会の理念と、こうしたティールの思想はぴたりと合致している。
実際、大会当日、その姿勢に共感した多くのテック関係者がラスベガスの特設スタジアムに駆けつけていた。競技の後に開かれた豪華なアフターパーティでは、若い起業家たちがカクテルを傾けながら、スポーツのことよりもむしろサプリや暗号資産の話をしていたのが印象的だった。
会場はこれまで私がアメリカで取材をしてきたいかなるスポーツイベントとも異なる独特の雰囲気に包まれていた。レース前の選手紹介の際には、世界的なスプリンターであっても大きな歓声を集めることはなく、選手が自己ベストを更新したことが電光掲示板でアナウンスされても、客席から拍手や声援が飛ぶことはほとんどなかった。
その一方で、大会から招待されていた多くのインフルエンサーが、自撮り棒を片手にスタンドにいる様子や、テック企業が協賛するフードトラックの前で動画撮影をしながら、互いに交流する光景がよく見られた。
観客席の様子。かなりの数のインフルエンサーがいて、一般客はむしろ少ないように見えた
また、YouTubeでの生中継のコメンテーターに「不老不死系インフルエンサー」をうたうブライアン・ジョンソンが起用されていたことも、ほかのスポーツイベントとは明らかに一線を画していた。
今年の5月8日、エンハンスト・ゲームズを運営するエンハンスト・グループはニューヨーク証券取引所に上場。一時、企業価値は12億ドル(約1900億円)とも報じられた。この突然の価値高騰には、市場がエンハンスト・ゲームズというスポーツイベントに期待する別の顔が透けて見える。
それはすなわち、「人体強化」「アンチエイジング」「長寿医療」というエンハンスト(強化された)身体を手に入れるためのビジネスの、巨大な〝広告塔〟という役割だ。
かつてのあるメディアによるインタビューで、前出した本大会の創設者、アーロン・デ・ソウザはこう話している。
「(記録が更新されるのを見たら)みんな最初にこう聞くはずだ。『あいつ何を使ってるんだ? そしてどうやったら手に入る?』と」
大会創設者のひとりであるオーストラリア出身の実業家、アーロン・デ・ソウ
この発言からは明確に、アスリートたちが人類の限界を超えるパフォーマンスを世界に見せつけることで、人々の欲望に火をつけ、自社の製品の購買をあおる狙いが見える。
こうした中でアメリカのメディアは本大会に懐疑的な目を向ける。ニューヨーク・タイムズ紙は本大会を「スポーツ大会はあくまでも飾りに過ぎない」とし、CNBCは「スポーツの名を借りた巨大ヘルステック、バイオビジネスの見本市」と評した。
エンハンスト・ゲームズのオフィシャルサイトでは、大会でも使われたであろうPED薬のほかアンチエイジング薬やダイエット薬なども販売されている
それでも、大会のフィナーレとして行なわれた男子水泳の50m自由形でクリスティアン・グコロメエフ(32歳・ギリシャ)が世界記録となる20秒81を記録した際には、会場全体からスポーツイベントさながらの歓声が起こった。
グコロメエフは「仲間に感謝する」と繰り返した。今大会では、競技の垣根を越えて選手同士が声援を送り合う姿が目立った。本大会前の数ヵ月間、選手たちはアラブ首長国連邦の首都アブダビで医療チームの指導の下、PED薬を用いてのトレーニング合宿を行なったが、そこで生まれた交流もあったのだろう。
しかし、100mを走り終えたばかりの五輪メダリストが、水泳会場に移動し、祈るような視線をプールに送るという光景は、いまだかつて見たことがなかった。そこには「強化された者」だけが共有する(?)奇妙な一体感があった。
水泳50m自由形で"世界記録"を打ち立てた、ギリシャ人のクリスティアン・グコロメエフ
* * *
アスリートに科学技術を与え、その「進化」をエンタメとして世界に見せること。それは人々の欲望をかき立て、人体強化やアンチエイジング、果ては〝不老不死〟という未来のビジネスを発展させることに直結している。
そして、それらを背後で支えるのは現在のアメリカの政権の中枢を担い、まさにアメリカの「未来」を形作るはずの人物にほかならない。
老いや衰えという人間がこれまで長い間向き合い、受け入れてきたものを拒み、科学と巨大資本によって克服し続けようとする姿勢を貫く先にある「未来」は、明るく幸せに満ちた世界なのだろうか?
それとも人間の欲望の果ての、ディストピアなのだろうか?
●Saku YANAGAWA
1992年生まれ。アメリカ・シカゴで活動する日本人スタンダップコメディアン。シカゴのクラブにレギュラー出演しながら、全米でツアー公演を行なう。2021年、フォーブス・アジア「世界を変える30歳以下の30人」選出。著書に『スタンダップコメディ入門』(フィルムアート社)や『どうなってるの、アメリカ!』(大和書房)ほか。公式Instagram【@saku_yanagawa】