大橋信の世界新で見えた「競泳ニッポン復活」 ロス五輪へ若手とリレー陣が示した可能性【松田丈志の手ぶらでは帰さない! ~日本スポーツ<健康経営>論~ 第32回】

文/松田丈志 写真提供/Cloud9

愛知・名古屋アジア大会の競泳競技が幕を閉じた。日本は金7、銀15、銅15の計37個のメダルを獲得し、前回杭州大会の30個を上回った。メダル総数では54個の中国に次ぐ2位だが、大橋信の世界新記録をはじめ、日本記録の更新は計8つに上る。倉沢利彰競泳委員長が「競泳ニッポン復活と言ってもいいぐらい」と語ったように、2年後のロス五輪へ大きな弾みをつける大会となった。今大会の総括として、東京アクアティクスセンターの現場で目撃した歴史的瞬間と、次代を担う若手たちの躍動を綴りたい。

【大橋信の2分4秒台と、24年前の記憶】

今大会最大のハイライトは、男子200メートル平泳ぎ決勝で17歳の大橋信(おおはし・しん、枚方SS)が樹立した世界新記録だ。中国の覃海洋(タン・カイヨウ)選手の持つ2分5秒48を大幅に更新する2分4秒83。自己ベストを1秒76縮め、しかも今大会8レース目という過酷な日程の中での快挙だった。

大橋の泳ぎは、水中で体が伸びる時間を極限まで減らし、テンポ良く水をかく現代のトレンドに沿ったスタイルだ。テンポを上げることで減速局面を極端に減らし、加速局面を増やす。理論的には正論でシンプルな話だが、これを200mでやり切るのは並大抵の体力ではできない。キャリアの初期からこの「速いけどキツイ泳ぎ」を身につけたまさに新世代であり、師事する太田伸コーチのもとで積み重ねた圧倒的な練習量がそれを支えている。

大会直前にコロナに感染し、39度の発熱というアクシデントに見舞われながらも、驚異の世界新記録を樹立した大橋選手。身長は169センチと競泳選手としては小柄ですが、「速いけどキツイ泳ぎ」をさらに進化させてロス五輪でも大いに活躍してほしいです大会直前にコロナに感染し、39度の発熱というアクシデントに見舞われながらも、驚異の世界新記録を樹立した大橋選手。身長は169センチと競泳選手としては小柄ですが、「速いけどキツイ泳ぎ」をさらに進化させてロス五輪でも大いに活躍してほしいです
この瞬間、私の脳裏には24年前の記憶が鮮烈に蘇った。2002年の釜山アジア大会、高校3年生で初めて日本代表に選ばれた私が目にしたのは、当時20歳の北島康介さんが同じ200メートル平泳ぎで叩き出した2分9秒97の世界記録だった。あの世界新が、翌年の世界水泳での2冠、そしてアテネ、北京両五輪での平泳ぎ2種目連覇へと続く「ビクトリーロード」の始まりとなった。同じアジア大会の舞台で、同じ種目の世界記録を、今度は17歳が塗り替えた。大橋の姿はまさにあの時と重なる。スタートやターンなど壁際のテクニック向上や、海外レースで世界のライバルと渡り合う経験など課題はあるが、そのポテンシャルは計り知れない。

【光永翔音と小島夢貴 ―新世代の底力】

躍動したのは大橋だけではない。男子100メートルバタフライでは、身長191センチの光永翔音(みつなが・しょうおん、中央大学)が水沼尚輝選手の日本記録を塗り替える50秒56で金メダルに輝いた。高校時代は野球部にも所属して異なる種目での二刀流を貫いていた彼は、チーム種目であるリレーで闘志に火をつけ、今回の代表活動を通じて個人種目の泳ぎ方も磨かれ、「水泳IQ」が高まってきた。1かきで2.4メートル進む日本人離れしたストローク長を武器に、今後49秒台への突入を十分に予感させる。前向きで明るいキャラクターも含め、チームへの影響力は大きい。

男子400メートル個人メドレーでは、初出場の17歳・小島夢貴(こじま・ゆめき、豊川高校)が4分7秒02の大会新記録で、パリ五輪銀メダリストの松下知之を破り、金メダルを獲得した。200メートル個人メドレーでは0秒06差で松下に敗れており、見事に雪辱を果たした。178センチと大柄ではないが、4泳法すべてが抵抗の少ない「省エネ泳法」でありながら、スピードもあるところが末恐ろしい。伸びしろも大きく、この種目の五輪王者レオン・マルシャン選手からも意識される存在へと駆け上がった。初めての日本代表の試合でも自分をコントロールし、想定通りのレースができる精神力は大物感たっぷりだ。
400m個人メドレー金メダルの小島夢貴選手。彼のお父さんとは2006年ドーハアジア大会で一緒に800mフリーリレーを泳ぎ金メダルを獲得しました。私も自分の息子を見守るような気持ちで彼のレースを見ていました400m個人メドレー金メダルの小島夢貴選手。彼のお父さんとは2006年ドーハアジア大会で一緒に800mフリーリレーを泳ぎ金メダルを獲得しました。私も自分の息子を見守るような気持ちで彼のレースを見ていました

【リレー陣の日本新ラッシュと、ロス五輪への道筋】

もう一つの大きな収穫が男子リレー陣の奮闘だ。4×100m・4×200mフリーリレー、4×100mメドレーリレーの3種目で日本新記録を樹立した。金メダルには届かなかったが、確かな成長を示した。光永がバタフライで叩き出した49秒72という引き継ぎタイムや、世界記録を持つ大橋の平泳ぎ、村佐達也や松元克央の活躍など、日本のストロングポイントが噛み合い始めている。4×200mフリーリレーは2009年から更新できていなかった記録で、長年止まっていた歴史の針が確実に動き始めた。

今の若手世代には「ロス五輪で金メダルを取ろうぜ!」という明確な共通認識とエネルギーがある。もちろん簡単な目標ではないが、全員が本気で挑み、悔しさを分かち合うからこそ、日本の最大の武器である「チーム力」が磨かれる。男子800mフリーリレーと400mメドレーリレーは、今シーズン世界ランキング3位のタイムだった。今後の強化では一点突破の戦略として、まずはこの2種目を重点的に強化していくことが、世界一を実現する可能性を高め、同時に日本チーム全体の強化に繋がるはずだ。

【「やれることは全部やる」覚悟】

今大会で日本競泳は確かな手応えをつかんだ。大橋が世界記録という最高の結果を出し、光永や小島といった若い才能が開花してきた。一人のエースの快挙が周囲を刺激し、チーム全体が上昇気流に乗っていく。24年前、私の現役時代にもあったその理想的なサイクルの始まりを感じさせる大会だった。

2028年ロサンゼルス五輪に向けては、世界最強の水泳大国アメリカが、自国開催のプライドをかけて一層強化してくることは確実であり、今大会でも強さを発揮した中国もさらにギアを上げてくるはずだ。世界の頂点を見据えるなら、時間を無駄にせず強化を推し進め、「やれることは全部やる、最大限やる」という泥臭くも強い覚悟が求められる。

ロス五輪まであと2年、選考会まではもう約1年半しかない。まずは来年の世界選手権で彼らがどこまで成長した姿を見せてくれるのか、引き続き応援していきたい。

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  • 松田丈志

    松田丈志

    Takeshi MATSUDA

    宮崎県延岡市出身。1984年6月23日生まれ。4歳で水泳を始め、久世由美子コーチ指導のもと実力を伸ばし、長きにわたり競泳日本代表として活躍。数多くの世界大会でメダルを獲得した。五輪には2004年アテネ大会より4大会連続出場し、4つのメダルを獲得。12年ロンドン大会では競泳日本代表チームのキャプテンを務め、出場した400mメドレーリレー後の「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」の言葉がその年の新語・流行語大賞のトップテンにもノミネートされた。32歳で出場した16年リオデジャネイロ大会では、日本競泳界最年長でのオリンピック出場・メダル獲得の記録をつくった。同年の国体を最後に28年の競技生活を引退。現在はスポーツの普及・発展に向けた活動を中心に、スポーツジャーナリストとしても活躍中。主な役職に日本水泳連盟アスリート委員、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員、元JOC理事・アスリート委員長、日本サーフィン連盟理事など

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