ガールズバンドのパイオニアで、日本ロック界のレジェンドであるSHOW-YAが今夏、世界デビューアルバム『SHOWDOWN』をリリースした。

今でこそ女性バンドは当たり前のように存在するが、SHOW-YAがデビューした1980年代は、「女バンドは大変だった」とヴォーカルの寺田恵子(てらだ・けいこ)は言う。酸いも甘いも噛み分け、後輩ミュージシャンに「姐さん」と呼ばれ慕われる寺田が、SHOW-YAの世界進出やコロナ禍での思い、今のガールズバンドについて前編記事に続き語る!

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――コロナ禍が本格化して以降、この2年間は配信をやったりと?

寺田 配信やったり、少しだけお客さんを入れてライブをやったり。国や都が定めた基準で活動は続けてるけど、チケットを売り出してるところで突然無観客になったりすると、とにかくスタッフが大変だよね。チケットを買ってくれた人と連絡取らないといけないでしょう。払い戻しにするのか、次回に繰り越すのかとか。毎回、国が何か言う度にスタッフはてんやわんやだったもん。

私たちは私たちで、配信だけになったら、そのためのパフォーマンスを何かやらなきゃとか、いろんなことを考えた。お客さんを入れる場合でも誰も声を出せないから、そこはちょっと寂しかったよね。「みんなー、楽しんでるかー!」シーン......だもん。心が折れそうになる(笑)。

――やっぱり姐さん的には、ライブは絶対に生ですか?

寺田 うん。ただ、配信ライブのいいところは、当日に体調が悪くなっちゃった人とか、体が不自由な人とか、親の介護とか、いろんな理由で会場に来られない人も自宅で楽しめることだなって。これが新しい音楽の形なんだなって思ったけど、やっぱり会場の空気感というのかな、熱い寒いとか、音圧とか、体で感じるものは大事だと思うんだよね。

だけど、今は声を出せないから、みんなで楽しめるグッズを作ったりしてる。会場でみんなにペンライトを振ってもらうとキレイだし、アイドルってこういう景色を見ていたんだっていう発見もあった。

今年の「NAONのYAON」(SHOW-YAが87年に始めた女性ミュージシャンだけのロックフェス)は無観客だったんだけど、たくさんのアーティストが出てくれてるのにお客さんからのリアクションが何もなかったら寂しいじゃん? だから、配信で見てくれている人がリアルタイムでメッセージを書き込めるモニターをステージ上とステージ袖に設置して、出演者からも「みんな楽しんでる?」とか書き込んだり。いろんな地域の人とひとつになって、すごく盛り上がった。

――歴史に残る「NAONのYAON」になったんですね。

寺田 思い出に残るっていう意味では一番になったかもしれないね。今の苦しいときを一緒に乗り越えようとしている感覚をファンの人たちと共有できれば、それはそれで楽しいかなって。で、何年かしてまた普通にライブができるようになったときに、「あのときはこうだったよね」って思い出話ができればいいじゃん。

震災もそうだけど、大きな出来事があったときって、みんなでひとつになりやすいのかなって思うんだよね。時間が経つにつれて忘れてしまうのはいけないことだけど、そのときのひとつになった感覚を、常に心のどこかに持っていればいいのかなって思う。

――本当にそうですね。その中でSHOW-YAはニューアルバム『SHOWDOWN』で世界進出。このコロナ禍で、大きな一歩を踏み出した理由は?

寺田 実は、アルバムを出そうって決めたのは2018年で、まだコロナ前だったのね。レコーディングは19年で、そのときはマスクもなしで普通に生活できてたんだけど、冬くらいから「ヤバイんじゃね?」ってなってきて、去年リリースする予定だったのがコロナで延びて。

今年もまだコロナは続いているわけだけど、せっかく「35周年で世界進出しよう」ってみんなで覚悟を決めて作ったアルバムなんだから、出しましょうって。

――コロナが収束したら海外でのライブも?

寺田 行けるんだったら行きたいね。バーッと勢いで行くほど若くはないので、多少は慎重になるかもしれないけど、世界目指すって決めてやっている以上はライブもやっていかなきゃいけないかなって。

――近年、日本のガールズバンドが海外で人気を得ているじゃないですか。後輩たちの活躍に刺激を受けた部分もありますか?

寺田 いや、それはなくて。SHOW-YAがいなかったら、この子たちもいなかったくらいに思ってるから。

――それはそうです!

寺田 今は女バンドもやりやすくなってるけど、世界的にCDを売るのが大変な時代になってるから、そういう状況で活動する彼女たちはちょっと可哀想だなって、バブル経験者としては思う。

ただ、自分たちで売り込む前に、海外のロックファンが自分たちをネットで見出してくれる機会も増えてきたし、海外からしたら日本の女の子ってかわいいと思うんだよね。だから、若い子たちはそれでバーッと行けばいいし、それはそれはですごく素敵なことだなって本当に思う。ウチらはかわいさでは行けないんで、音楽で勝負するしかないけど(笑)。

27歳のときにアメリカを目指そうって話があったんだけど、私がその直後にバンドを抜けてしまったので、メンバーにとっては30年越しの夢。その夢に向けて、みんなで新たに走り出したって感じです。

――今の若いガールズバンドの人たちには、男性バンドへの対抗意識ってあるんですかね?

寺田 私が知る限りは、ないと思う。男の子バンドの中に入っていってセッションしたりとか、男も女も関係なく自分たちの音楽を突き進んでいるし。だからもう「男だから、女だから」っていう感じで活動している人はいないのかなって思う。

ただ私の中では、男にしかできないことがあるように、女にしかできないことがあるって思ってるから、女としての武器は使えるだけ使えって、本当に思ってる。『限界LOVERS』の下着姿が受け入れられたように、核となる音楽さえちゃんとしていれば、認めてもらえると思うんだよね。

――姐さんの時代は、男性バンドへの対抗意識は......。

寺田 私の時代は強かった。絶対負けないって気持ちがあったよ。当時は対バンするときも、どうしても相手は男バンドなわけさ。そうすると比較されちゃったりするでしょ。女にはパワーがないとか言われると、「クソ!」と思って、やみくもに暴れまくったりしてた(笑)。

――それがエネルギーになったと。でも、だんだん自分たちが大御所になってくると、そういう意識もなくなってくるのでは?

寺田 いや、なくなってはないと思う。そのへんは体に染み付いちゃってるから。肩で風を切って歩くみたいなことはなくなったけど、やっぱりSHOW-YAは女バンドだなとは思う。男とか女は関係なく、私たちはミュージシャンよ、というふうに私は思わない。だからこそ、女バンドの良さを出したいと思ったりする。

――姐さんは、男に生まれればよかったって思ったことはないんですか?

寺田 あ~~~(笑)。それはないけど、「男に生まれればよかったね」って周りから言われることはある。最初に言ったのはウチの両親だけど。ウチは建築業で跡継ぎが必要だったから。

私は子供時代、建築にも興味があったから、親父が「男の子だったらよかったのにな」って言ってたのを覚えてる。子供の頃の写真を見ても、女の子らしい格好はほとんどしてなくて、ズボンばっかり。

――女の子にはかわいい格好をさせたがるものでしょうけど。

寺田 かわいい写真なんか1枚もない(笑)。男に生まれればって考えたことはないかな。でも20代の頃は、男はこういう苦労はしないよねって思ったことは何度かある。

セクハラだったりパワハラだったりっていうのは少なからずあったので、女の立場は弱いな、やっぱり女ってなめられてるなと感じることは20代......30代のときもあったかな。50代になってやっとなくなってきたわ(笑)。

――長い道のりでしたね。今でこそ独身という生き方も尊重されますが、昔は「早く結婚しなさい」とか、特に女の人は言われたと思いますが。

寺田 ウチは言われなかったね。「あんたは結婚には向いてない。結婚しないでずっと仕事してなさい」って、親に言われてたから。

――へぇ~!

寺田 でも28歳のときかな。結婚しようと思って実家に帰ったとき、すごく冷たかった。普通、喜んでくれるじゃん? それが仕事やめて結婚するって言ったら針のむしろで、「なんで結婚するの?」って。

――そんなことがあったんですね。

寺田 27歳でSHOW-YAを辞めるって決めて、その後に結婚が決まって。でもすぐに破談になったんで。というか、その前に私がこの世界に戻ってきたら破談になっちゃったんだけど(笑)。

――やっぱりこの世界が好きなんですね。これからも姐さんとSHOW-YAは変わらずに女バンドの戦いを続けていく?

寺田 うん。核をしっかり持って、音楽はずっと続けていきたい。SHOW-YAを、今だけじゃなく、後世にも伝わるバンドにしていきたいし。歴史に名前を残していくために、これからも頑張っていきますってことです!

寺田恵子(てらだ・けいこ) 
1963年7月27日生まれ。高校1年生でバンド活動を始め、85年、「SHOW-YA」のヴォーカリストとしてデビューし、実力派として脚光を浴びる。シングル「限界LOVERS」は売り上げ30万枚を突破し代表曲に。91年にグループを脱退、その後ソロ活動を開始。05年、14年ぶりにSHOW-YAを再結成。以降、ソロと平行して活動中。最新情報は『SHOW-YAオフィシャルサイト』『寺田恵子オフィシャルサイト』にて。

●SHOWDOWN 
35周年を迎えたガールズメタルの女帝・SHOW-YAが、35周年と36年目の節目に若井 望(DESTINIA)をプロデューサーに迎えて放つ、SHOW-YA史上、最もハードでヘヴィメタルなニューアルバム。全編英詞、海外までも視野にすべてのロックファンを貫く。「私は嵐」のセルフカバー「Ⅰ am the storm/WATASHI WA ARASHI」も収録。

SHOW-YAライブ情報 
"SHOW-YA『組曲』~Battle Orchestra~" 
2022年1月30日(日) 
LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂) 
Open 17:15/Start 18:00