医療テクノロジーが「一線を越えた」現代で、命との向き合い方を改めて考える一冊!『堤未果の「すばらしい新世界」スマホで赤ちゃんを注文する日』(著:堤未果)

取材・文/川喜田 研 撮影/佐々木里菜

医療テクノロジーが急速に発達する中、人生との向き合い方を再考する著者の堤未果氏医療テクノロジーが急速に発達する中、人生との向き合い方を再考する著者の堤未果氏

医療や生命科学に関する技術の急激な進歩が、人間の死や病との関わり方を大きく変える現代社会。それは約100年前の「ディストピア小説」の世界そのものだった。

医療とは何か、「命」とは果たして誰のものなのか、国内外の事例を紹介しながら、国際ジャーナリストの堤未果氏が鋭く問いかけるのが本書だ。

* * *

――この本を書こうと思われたきっかけから教えてください。

 2021年に『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)という本を書いた頃から、デジタルだけでなく、バイオテクノロジーが、社会や人間のあり方を大きく変え始めていることに注目していました。

例えば18年、中国でHIV感染を防ぐ目的でゲノム編集を施した赤ちゃんが誕生して、大騒ぎになったのを覚えていますか?

そのとき私が衝撃を受けたのは、「時期尚早ではないか」という議論が展開したことです。つまり、「やるか、やらないか」ではなく、「いつやるか」の話になっていた。

いつの間にか、人が生きる上で必ず向き合う「生老病死」にまで、テクノロジーが猛スピードで入り込んできていることへの危機感から、取材を始めました。

――本書のタイトルにもなっている『すばらしい新世界』というのは、イギリスの作家、オルダス・ハクスリーが約100年前に書いた有名なディストピア小説の題名ですね。

 はい。私は学生時代からこの本が大好きで、昔から何度も読み返しています。

ただ、アメリカに住んでいた頃は「最新科学技術が社会を高速で進歩させる」ことが華やかに見える価値観に漬かっていたのでしょう。このディストピア小説も、むしろある種の科学ユートピアのように、肯定的に受け止めていたのですね。

しかしその後、AIやロボットが高速で進化していくにつれ、世界のほうがどんどんSFに追いついていきました。

例えば遺伝性疾患を回避する目的だった着床前スクリーニングが、優秀な遺伝子を持つ子供を望む親のためのサービスとして登場し、亡くなったペットを復元させるクローンビジネスも著名人の間で大人気です。

――そのように急速に進化する医療が「越えてしまった一線」とは、なんなのでしょう?

 医療における「治療」と、「改良」の線引きについての議論がマーケットの速度に追い越されてしまったことでしょう。

本来、病気や苦痛を治すための医療が、「もっと集中力を高めたい」「気分を良くしたい」という個人の欲望を満たす目的で売られ始めるとき、それはもはや医療を超えた、人間の〝改良〟です。

例えば抗精神薬の安易な処方が加速するアメリカでは、ADHD(注意欠陥多動性障害)の薬を集中力を高め成績を上げるために服用する若者が増え、セレブの間では一種のファッションのようになっている。

あたかも自分のスマホをカスタマイズするように、「身体」や「脳」や「性格」をカスタマイズして何が悪いのか? それも個人の権利であり、自由なのだという「資本主義的価値観」が世界中で広がっている。私はそこに大きな危うさを感じるのです。

――本書の後半では身近な方の死にも触れながら、「安楽死」という非常に重いテーマを扱われていますね。

 がんを患い、近代医療による一切の治療を拒否して「尊厳死」を選んだ母と、米カリフォルニア州で合法化されている「医師が処方する致死量の薬を飲んで自らの命を絶つ」ことを選んだ叔母。

私の愛する人たちが、ふたり続けて自らの意思で人生の幕を引いたという経験が、「命は誰のものだろう?」と考えるきっかけをくれました。安楽死は米国だけでなく、多くの国で合法化が進み、16年に導入したカナダは24年だけで1万6000人を超える人が医師の手によって亡くなる「安楽死大国」になっています。

その背景には、終末期患者の立場に立った「彼らには痛みや苦しみから逃れ、自分の最期を選ぶ自由と権利がある」という声がある。私もそれは否定しません。物理的苦痛から救済するテクノロジーも、医療や福祉の場で大いに活用すべきでしょう。

ただその一方で、本書の中でも紹介した「一度は安楽死を決断したものの、直前に思いとどまった女性」のように、人間は最後の瞬間まで揺れ続けるものだということを、私たちは忘れてはならないと思うのです。

二元論だけで進められない、複雑な分野だからこそ、制度設計は注意しなければならない。

ところが、一度安楽死という制度が合法化され、そこに効率化とタイパが融合すると大変です。制度が独り歩きし始めて、違う方向に進んでしまう。スピード重視で手続きを簡素化した結果、カナダで何が起きたのか? 本書を読んでみてください。

仮に日本のような同調圧力の強い社会で安楽死が合法化されたら、「迷惑をかけるな」という空気に負けて申請してしまう人は少なくないでしょう。

――最新のテクノロジーを使った医療の進歩も、安楽死を巡る議論も、それぞれにプラスとマイナスの面があり、簡単には答えの出ない問いだと感じます。

 はい。この本は、まさにそれを感じてほしくて書きました。問題は、科学や制度そのものがいいか悪いかではなく、「なんのためにそれを使うのか?」のほうだからです。今、AIや市場が、答えが出ない分野にまで入ってきて私たちをせかしてくる。

母と叔母を亡くした後、喪失感が大きすぎて、私は長い間前に進めませんでした。

「早く元気になって」「精神科で抗不安薬を処方してもらえば」と、周りから善意の声がけをたくさんもらう一方で、「いつも元気でいなければいけない」という社会の圧に、悲しみや寂しさの行き場がないようにも感じて苦しかった。そして思ったのです。テクノロジーに委ねてはならないものがあると。

自然に湧き上がる感情をありのまま感じる自由や、何が幸福で何が不幸なのかを決める自由、最後までどう生きるかを決める自由。快適さと引き換えに、人間性まで失わないために、私たちができること。それはまさに今おっしゃったような、「正解のない問い」を持ち続けることだと思うのです。

■堤未果(つつみ・みか)
東京都生まれ。国際ジャーナリスト。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号。国連、米国野村證券などを経て現職。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』(海鳴社)で黒田清日本ジャーナリスト会議新人賞、『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)で日本エッセイスト・クラブ賞と新書大賞をW受賞。『沈みゆく大国 アメリカ』(集英社新書)、『日本が売られる』(幻冬舎新書)など著書多数。Web番組『新・堤未果のアンダーワールド』配信中

■『堤未果の「すばらしい新世界」 スマホで赤ちゃんを注文する日』
富裕層が不老長寿を金で買う一方で、安楽死制度の整備と手続きの簡略化が進み、「医療費を逼迫する」末期患者の死へのハードルは下がっている。人間の生や死でさえも資本主義のシステムの中に組み込まれる中、自らが納得する人生の終わりを迎えるためにはどうすればいいのか?という難解な問いに向き合った一冊。9月にはNHKの人気番組『100分de名著』で、本著でも取り上げたハクスリー『すばらしい新世界』の講義を著者が担当する

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  • 川喜田 研

    川喜田 研

    かわきた・けん

    ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。

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