川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
健康志向の高まりで「免疫力アップ」といった言葉をよく耳にする。また、新型コロナウイルスのパンデミックでは、集団免疫やワクチンなど、さまざまな形で免疫に関する話題が上がった。
その一方で、私たちの健康を守る免疫とはどのような仕組みなのか? そもそも免疫とは何を意味するのか? といった基本的な理解は、人によってバラバラでとても曖昧なようである。
そんな中、大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授で、日本免疫学会元会長の宮坂昌之氏が、免疫学の最新の知見をもとに、免疫の「きほんのき」を解説する新刊『あなたの健康は免疫でできている』(インターナショナル新書)を出版。なぜ今、免疫の基本のか、インタビューした。
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──長年、研究者として免疫学の最先端を歩んで来た宮坂さんが、改めて免疫学の基本を、一般の読者にもわかりやすく、一冊の本にまとめてみようと思われた理由は?
宮坂 大きく分けてふたつの理由があります。まずひとつは、新型コロナのパンデミックです。2019年に新型コロナウイルスという新しい病原体が現れて、それがあっという間に世界的な流行を引き起こし、今もウイルスはわれわれの周りにいます。
世界中であれほど多くの人たちの命を奪ったウイルス(死者数は全世界で公表されているだけで約700万人、実際は2000万人以上ともいわれる)ですから、当然、多くの方々が「怖いな」と思ったでしょうし、実際に一種のパニック状態に陥った人もいた。
そうした中で私が強く感じたのは、一般の人はもちろん、医師や研究者など、いわゆる「専門家」を自認されている人たちですら、免疫学、特にウイルスに対する免疫についてはしばしば正しく理解されていなかったということでした。そのためだと思いますが、感染状況について必要以上に煽ったり、逆にあまり大したことないとした「専門家」たちが出てきました。
例えば、感染症学やウイルス学、細菌学などは、私が専門とする免疫学とすぐ隣り合わせにある学問ですし、疫学は感染源、感染経路を推定してクラスター(感染者の集団)を見つけるのに必要な学問です。これらの領域の方々は、本来はコロナ禍のようなパンデミックでは免疫学に関する理解を正しく持つことが必要です。ところが実際は正しい理解ができていないことが多く、それによる新型コロナに関する誤解、分断や議論のすれ違いが少なくありませんでした。
その背景には、免疫学がこの10~15年ほどの間に急激な進歩を遂げたということもあると思います。ほかの分野の専門家の方はもちろん、実は免疫学者の一部でも、最新の知識、知見へのアップデートができていない人がいます。そうした状況をなんとかしたいと考えたのが、本書を書こうと考えた理由のひとつです。初心者向けに平易でわかりやすい表現を心掛けながらも、随所に免疫学の最新の知見を取り入れて紹介するようにしました。
もうひとつの理由は免疫学自体が社会の中であまりよく知られていないという事実です。マスコミの方々もあまり免疫学の知識をお持ちではありません。そんなことから、より幅広い一般の方々に免疫学の基本を正しく理解していただきたい、またそれを通じて健康や医療に関する科学的なリテラシーを身に付けていただきたいと考えました。
──科学的なリテラシーとは?
宮坂 「リテラシー」とは一般的に読解力や理解力を意味する言葉ですが、「科学的リテラシー」というのは、科学に関する情報を咀嚼し、理解し、必要に応じて正しく判断し、発信できる能力のことです。
具体的に言うと、「新型コロナワクチンを接種した人が〇人死亡した」という情報があったとします。これに対して、単純に「ワクチンを打った人が〇人も死んだ!」と、その情報が示す表面的な部分に振り回されるのではなく、「それがほかの原因によるものではなかったのか?」「何人が接種し、どのくらいの割合の人が亡くなったのか?」「その割合は同時期に接種しなかった人の死亡率と比べて多かったのか?」など、情報の中身をよく吟味する必要があります。このような基本的な問いを発するためには基礎的な知識が必要ですが、そのような知識を一般の方々にも身に付けてほしいと考えたのです。
──いわゆる「専門家」も正しく理解できていない、あるいは最新の知見にアップデートできていない免疫学の知見を、一般の読者にもわかりやすく紹介するというのは、簡単ではない気がします。
宮坂 そうですね。そこで本書では、免疫の基本から最新知識までを幅広くカバーしながら、身近で具体的な50の問いを設けて整理し、免疫学にまつわるさまざまな風説や考え方、素朴な疑問などをフックに、わかりやすく答えてゆくQ&Aの形で構成することにしました。
項目ごとに、その部分だけを読んでも内容を理解できるように書いたので、読者のみなさんは必ずしも50のQ&Aを頭から順番に読む必要はありません。すでに知っているところは読み飛ばしてもいいですし、自分が気になるQを選んで、そこから読み進めても構いません。読みやすさや手軽さが本書の大きな特徴であり、私としては「わかりやすさ」ということにかなりの注意を払ったつもりです。
──そもそも免疫と何か? という基本的なところから聞きたいのですが、いわゆるウイルスや細菌などの病原体を含めて外から入ってくる異物が、自分の体に悪い影響を与えないために働く、人間も含めた生物が持つ仕組みといった理解で間違っていないでしょうか?
宮坂 そうですね。それは一部正しいのですが、一方で「異物」は外来性とは限りません。またほとんどの人は、免疫が感染症に対して働く仕組みだと思っているけれども、必ずしもそうではありません。
例えば、「がん」がそうですが、がん細胞のように、自分の細胞が変化して身体の中にできた「悪いもの」を排除しようとするのも免疫の働きですし、花粉や食物に対するアレルギーも、免疫の仕組みによるものです。
ちなみに、免疫反応には大きく分けて二段階あります。まず「自然免疫」。これは、ほとんどの人が生まれつき持っている免疫で、いろいろな細菌やウイルスなどの異物に幅広く働いて、外から入ってくる細菌やウイルスを身体の入り口で食い止めようと殺したり、その数を減らしたりします。いわば「門番」のような免疫です。
ただし、この自然免疫は個人によって大きな差があって、自然免疫が強い人ではそれだけで病原体を追い出します。一方、自然免疫が弱い人のところに病原体が入ってくると、からだの防御網を容易に通り抜けて、病原体が体内の奥深くに侵入することになります。
そこで次に働くのが「獲得免疫」と呼ばれる仕組みです。獲得免疫は、私たちが生まれてから成長する過程で一度出会ったウイルスや細菌などの病原体を指名手配犯のように記憶し、「この病原体は見たことがあるぞ」と認識して、同じものが二度目に入ってきたら排除しようとします。ワクチンは、この獲得免疫の仕組みを利用し、指名手配犯の顔写真を免疫に記憶させます。そうすると、すみやかに病原体を排除できるようになるのです。
このように私たちのからだには、生まれつき備わっていてさまざまな病原体や異物に対して働く自然免疫という最前線の防御と、それを突破した特定の病原体にピンポイントで働く獲得免疫という、ふたつの異なる免疫の仕組みが働いています。ところが、一般の方々の間では、この違いが十分に理解されていないことが多いのです。
例えば、自然免疫という言葉を誤解して「新型コロナをはじめ、いろいろな病気にかかったほうが、自然に免疫がつく」とか「人には自然免疫があるから、ワクチンは必要ない」などと言う人がいるのですが、これらはどちらも自然免疫と獲得免疫というふたつの異なる仕組みを正しく理解していないがゆえの間違いです。
──健康食品の宣伝でよく「免疫力アップ」といった言葉を目にします。「自然免疫は個人によって大きな差がある」というお話でしたが、自然免疫を鍛えたり、アップさせたりする方法はあるのでしょうか? そもそも「免疫力」は、測れるものなのでしょうか?
宮坂 この免疫力という言葉も、誤解を生みやすいところがあって、すでにお話したように免疫というのは多様で複雑な仕組みですから、その人の免疫の働き全体を単純に数値化して表すことは難しいのです。そのため「免疫力という言葉は科学的ではない」と指摘する専門家もいます。
しかし私は、「免疫力」という言葉にはれっきとした意味があると考えています。本書の中でも、免疫力を「その時点での個体の免疫的な能力」を広く指す言葉として使っています。例えば、「生命力」は現時点で数値化はできませんが、「生き延びる力」あるいは「生きるにあたって発揮できる能力」といった言葉で使われています。
その上で、結論から言うと、サプリメントも含めて何か特定の食品で、食べたり飲んだりすればそれだけで単純に免疫力がアップするようなものはないと私は考えています。
もちろん、われわれの健康を維持するために食べ物が重要であることは間違いありません。例えば、アメリカやヨーロッパで行なわれた長期的な研究では海産物を食べると心疾患のリスクが下がるというデータが出ています。じゃあ、海産物に多く含まれるのは何なのか、ということで注目されたのが「オメガ3脂肪酸」です。
だったら、オメガ3脂肪酸のサプリメントを飲めば心疾患のリスクが下がるのでは? と考えたくなりますよね。ところが、実際に臨床試験をやってみると心疾患のリスクを減らすという結果にはなりませんでした。つまり、食べ物そのものが健康に良い影響を与えることはあるけれど、有効だと思われる成分だけを抜き出して摂取しても、効果が出るとは限らないのです。
これと同じようなことが免疫でも起きていて、例えば、乳酸菌や発酵食品を食べると健康増進に役立つ、というようなことが言われていて、食品メーカーが出している広告を見ると、ある乳酸菌によって○○細胞の能力が上がりました、といったデータを出したりしているのですが、その多くは試験管内の実験データであって、それらを摂取したからといって、からだの免疫の働きが急に良くなったりするわけではなく、それを示す個体レベルでの確かなデータもありません。
確かに、ある免疫細胞を取り出してきて、特定のものを加えると、その細胞の能力がアップしたりするものは見つかっています。しかしそれによって、われわれの自然免疫や獲得免疫がすぐに上がるのかというと、そうではないのです。
その一方で、何か特定の食べ物や栄養素が不足すると免疫の力が落ちることもわかっています。その場合は、食べ物やサプリによって不足した分を補えば、免疫力が元のレベルまで戻ってくるということは十分にあり得ます。
つまり、免疫力を維持するには「バランスの良い食事」を心掛けることが大事で、偏食や過食をしないことです。サプリメントのような単品だけに頼るのは良くありません。また、睡眠や運動、ストレスの軽減なども自然免役に重要な役割を果たすことがわかっていますから、定期的に運動をすることも大切です。しっかりと睡眠を取り、できるだけ、余計なストレスを溜め込まないような生活を送るようにするという、あたりまえのことが免疫の働きをいい状態に保つ秘訣といえます。
従って、日常的にそれが実践できていれば、あまり余計なことは考えなくてもいいのではないかと思います。サプリや食品など、口から入れるもので簡単に免疫力アップ......というのを期待されている人がいたら、そこには「幻想」が含まれていると考えた方がいいかもしれません。
※後編はこちらから
●宮坂昌之(みやさか・まさゆき)
大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授、大阪大学名誉教授。1947年、長野県生まれ。京都大学医学部卒業、オーストラリア国立大学大学院博士課程修了。金沢医科大学血液免疫内科、スイス・バーゼル免疫学研究所、東京都臨床医学総合研究所を経て、大阪大学医学部教授、同大学大学院医学系研究科教授を歴任。日本免疫学会元会長(2007年から08年)。著書に『ウイルスはそこにいる』(共著・講談社現代新書)などがある。
■『あなたの健康は免疫でできている』インターナショナル新書 1045円(税込)
わたしたちの健康を守っている「免疫」。しかし、その仕組みや働きについて、きちんと理解しているだろうか? 本書は、免疫学の第一人者が、誰もが知りたい「免疫のきほん」を、50のQ&A形式でわかりやすく解説。免疫が働きすぎるとどうなる? 病原体を記憶する免疫細胞とは? 免疫はがんに効く? などさまざまな問いに、最新の知見を交えて答える。健康に役に立つリテラシーと、免疫の新常識が身に付く入門書!
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。