シンガポールで食べた主な料理一覧。全体的に茶色いが、シンガポールは基本的になにを食べてもおいしい。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第168話
「限りなく境界に近い科学」――今回のコラムのタイトルは、村上龍氏のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』へのオマージュである。ちなみに先に補足しておくと、内容的なオマージュはまったくない。
新型コロナウイルスの「震源地」を探る――これが、これからの私の研究のひとつの軸となる。そのためには、タイ、ベトナム、カンボジアなど、東南アジアに生息するコウモリを対象としたサーベイランスが必要で、それを進めるためには、東南アジア諸国にサーベイランス拠点を作る必要がある。
――2025年、いよいよ機は熟した。シンガポールで客員教授の肩書を得た私は、シンガポールを「ベースキャンプ」として、東南アジア諸国との「アジアの連帯」を深めていく。
現在の私の研究室は、「次のパンデミック」に備えるために存在していると言っても過言ではない。そのためには、「次のパンデミック」の原因が出現する「窓口」となるであろう、「human-animal interface(ヒトと動物の接点)」に足を踏み入れる必要がある。
「次のパンデミック」に備える――「科学」を武器に、新型コロナウイルスの「震源地」に、そして、ヒトと野生の「境界」に限りなく迫っていく。これがこれからの私の研究室、そしてこの連載の軸となる。今回のタイトルには、そんなこれからの「姿勢」が込められている。
※今回のコラムは、これからの連載の「ランチパッド」、あるいは「プレリュード(前奏曲)」のような内容・位置づけになっています(担当編集K)。
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【2025年初春】
2025年3月。東京でも雪が降ったり、その数日後には夏日になったりと、三寒四温を繰り返す初春。少しずつ春の息吹が聞こえてくる季節である。
――その当時、シンガポールにいた私は、日本のそんな様子をウェブニュースで目にしていた。東京から5000km以上も離れた赤道直下にいた私にとって、「雪」や「春の息吹」など、すでに縁遠い世界のキーワードである。
3月中旬に、羽田からシンガポールへ。帰国の予定は4月上旬。今回は3週間強の長丁場である。
こんなに長い海外の滞在は、30年前のオーストラリア・スワンヒル(150話)、10年前のスコットランド・グラスゴー(88話)以来。あるいは「長期出張」という意味では、6年前の「京都疎開(35話)」まで遡る。
もともと私は、寒いところよりも暑いところを好むタチである(寒いところでセーターやコートを着込んでガタガタと震えるよりも、真夏の炎天下で汗をダラダラ垂れ流す方が好ましい)。であるからして、雪の散らつく肌寒い東京を離れて赤道直下のシンガポールに出張できるというのは、私としては好都合なのであった。
さて、新型コロナの研究がひと段落を迎えつつある今、「新型コロナウイルス学者」たる私の研究室は、「次のパンデミック」に備えるために存在していると言っても過言ではない。そのためには、「次のパンデミック」の原因が忍び寄る「窓」となるであろう、「human-animal interface(ヒトと動物の接点)」を探り、そこに足を踏み入れていく必要がある。
――そこにどこまで深く踏み入る必要があり、また、どこまで踏み入ることが許されるのか?
2025年、いよいよ機は熟した。シンガポールで客員教授の肩書を得た私は、シンガポールを「ベースキャンプ」として、いよいよ「アジアの連帯(158話)」を進めていくことにした。そして今回の長期出張は、その足場を固めるためのもの、というのが私の位置づけだった。
研究のフェーズが変わり、いよいよ新しい研究が始まる......!
そういう高揚感とともにシンガポール向かうが、到着してその気分が一変する。
そのときのシンガポールをちょうど、「モンスーン」が直撃していたのである。
中学校の地理の授業で習ったことがある「モンスーン」という用語。たしか、「(東南アジアに吹く)季節風」を指した用語のはずだったが、それ以上の記憶も知識も、私の頭の中には見当たらなかった。
その実、少なくともシンガポールにおける「モンスーン」とは、ゲリラ豪雨のような土砂降りが、日本の梅雨のような感じでずっとザバザバと降り続ける、というものであった。知人に地下道を教えてもらうまで、ほとんど外を出歩くこともできなかったほどだ。
そんなシンガポールに、まずは3日間だけ滞在。教えてもらった地下道を通って、私がVisiting Professor(客員教授。詳細は158話を参照)を務める、デューク・シンガポール国立大学医学部(Duke-NUS Medical School、通称『Duke-NUS』)」の感染症部門に足を運ぶ。今回は長逗留ということもあり、私専用のオフィスを用意してもらった。
Duke-NUSの中に用意してもらった私のオフィス。殺風景だが、普段使いするには申し分ない。仕事しやすいように、自前で用意した外付けディスプレイも設置した。
「――で、3週間も何するの?」とは、東京でもシンガポールでもよく訊かれた問いであった。これからの研究の足場を固める、と言いつつも、その実、滞在スケジュールの中に予定が何もない日がちらほらとあったのは事実である。
しかし私のこれまでの経験上、そのくらいの時間的精神的な余裕がないと、満足のいくまでじっくりと打ち合わせをすることは難しい。
誰かと打ち合わせをするたびに新しいネタが湧き出てきて、「じゃあ、これについてはまた別の日に相談する?」となるのである。あるいは、私がシンガポールにいることを聞きつけた別の誰かが、「ぜひ会って話したい」と提案してきたりもする。
数日間の滞在の場合、「明日(あるいはあさって)には日本に帰らなきゃならんので、申し訳ないけどまた今度でいい?」とその申し出を断らざるを得ない。しかし、3週間という時間的な余裕があれば、そのような事態は避けることができる。
そして、やはり私の読み通り。誰かと話せば話すほど、どんどん新しい打ち合わせの予定ができて、カレンダーの空白が埋まっていくのである。3日滞在して数人と会っただけで、私の3週間の滞在のうち、まったく用務のない日はすでに2日だけになっていた。
【ふた月ぶりにバンコクへ】
シンガポールに来て4日目の朝。4日分の着替え(主にTシャツと下着)とビーチサンダルだけを小さなボストンバッグに詰め込み、そのほかの荷物は、東京から持ってきた104リットルの大きなスーツケースに収める。それをそっくりホテルに預け、ボストンバッグだけを持ってチャンギ空港へと向かった。
シンガポールのチャンギ空港からタイ・バンコクのスワンナプーム国際空港まではわずか2時間。空港からチュラロンコン大学までタクシーで直行し、東京から先着していた、私のラボのタイ人ポスドクのCと現地で合流した。
ちなみに私は、2025年3月に、イギリスのグラスゴー大学(90話)、シンガポールのDuke-NUS(158話)に続いて、タイのチュラロンコン大学のVisiting Professor(客員教授)にも着任していた。そしてその皮切りとして、チュラロンコン大学での招待講演を慌ただしくこなしたのだった。
夕方、バンコクの都心に位置するサームヤーン地区の定宿にチェックインし、やはりルーティーンになっている(79話、139話も参照)パッポンストリートの屋台でビールを一杯。これでようやく「バンコクに来た」という実感が湧く。
(左)夕暮れのパッポンストリート。まだ人影は少ない。(右)まずはチャーンビールを一杯飲んでひと息。
それから、タイ人ポスドクCや、顔馴染みになっていたチュラロンコン大学のメンバーたちと一緒に、「カオソーイ」というタイ料理を初めて食べた。そのドロっとしたスープ(要はカレー?)は、日本の「天下一品」のこってりラーメンのような質感でありつつも、まったく動物性脂の重さを感じないもので、とてもおいしく食べた。
カオソーイ(左)。汁が濃いので、混ぜるとこんな感じにまぜそばみたいになる(右)。
翌朝の集合が早いこともあり、早々に解散する。ホテルに戻って熱いシャワーを浴び、途中のセブン-イレブンで買った「シンハービール(タイの定番ビールのひとつ)」の缶ビールを1本飲んで床に就いた。
――もう6度目のバンコク。思い返せば、バンコクに滞在するときにはほとんどいつも同じホテルに滞在している。
11話や79話でも触れているが、このホテルに初めて宿泊したのは、新型コロナパンデミック前夜の2020年2月のことだった。それと同じホテルの一室で、このコラムの初稿を書いている2025年3月下旬。パンデミックの始まりから、もう5年の月日が経っていることにはたと気がついた。
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