たった1館から全国公開へ...。"カメ止め!"以来の大旋風を巻き起こした『レンタル家族』上坂龍之介監督の戦略と泥臭さ

取材・文/赤山恭子 写真/榊 智朗


現在、邦画界の台風の目となっているインディーズ映画『レンタル家族』をご存じだろうか。たった1館での限定上映からスタートした自主映画が連日満員となり、7月31日の本公開後も22日間にわたって完売が続くという快挙を達成。あの『カメラを止めるな!』に続く勢いで、破竹の快進撃を続けている。

監督を務めたのは、現在31歳の上坂龍之介。彼にとって人生初の監督作だ。いきなり花開いたサクセスストーリーの裏側では、10年間「映画監督になりたい」と思い続けながらも、その夢に手が届かない場所でもがき続けていた姿があった。

話を聞けば、持ち前の泥臭い根性とあふれんばかりの熱意のみならず、ビジネス視点で戦略を立てたことも、本作を成功に導いた大きな要因だった。「令和のヒットメーカー」に化けるかもしれない、上坂という男と彼の作品について迫った。

――K's cinemaでの満席立ち上げから全国拡大へと至った、"今最も熱いインディーズ映画"として話題の『レンタル家族』ですが、まず昨年12月の連日完売についてはどう感じていましたか?

上坂 ありがたい、うれしいのひと言に尽きます。「何が何でも満席にしたい」という気持ちだったので、自分ができることは何でもやろうと、仕事の調整がつく日は毎日、朝から晩までK'sさんに行き、チラシ配りをやっていました。

――毎日? 朝から晩まで、ですか!?

上坂 はい。朝から夜まで上映前後のお客さんを狙って、チラシを配っていました。ただ配るだけでなく、とにかくコミュニケーションを取るようにもして。出身が兵庫というのもあり、普段から会話量が多いタイプなんです。お客さんと雑談したり、ときには自主映画を拡げていくための秘策さえ聞いたり(笑)。そうして頼ると、皆さんが身内意識を持ってくれるんです。「じゃあ、俺も友達いっぱい呼ぶよ!」と言ってくれたりして、その拡がりがありました。

――地道な草の根活動+αのコミュニケーションで、チラシ配りが功を奏したと。

上坂 1週間限定上映だったので、84キャパ×7日間=588人あまりの方が来てくださり、満員にできました。取材などで「今の時代だからSNSを頑張らなかったの?」と言われるんですが、僕としてはSNSでバズるにはネタがないとダメなのではと思っていて。ユーザーが書きやすい状態を作らないと、火種にならないじゃないですか。だったら1週間限定でやって、なんとか埋められたら「初の自主映画で1週間埋まった」というワードができるな、と。その後がSNSの出番で、口コミが始まるかなと思ったんです。ただ、まさか本当に埋まるとは思っていませんでした。お越しいただいた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

――きちんとビジネス的に戦略を立てていらしたんですね。結果、本当に口コミが集まりこの夏の全国公開へとつながったわけなので。

上坂 ビジネス的思考は、そう...なんですかね(笑)? ただやれることをひたすらやったでけです。 7月31日からの本公開では、K'sさんで1日1回の上映で1カ月間やっていただくことになりました。結果として12月の上映と合わせて22日間の満席になり、そのタイミングでTOHOさんなど全国50館ぐらいが一気に開くとなって。(※取材時。最新の上映情報は公式HP参照)もうびっくりしましたね。本当に、チラシを受け取って広めてくれた皆さんのおかげですね。


――監督ご自身のこともお伺いしたく。もともと昔から映画好きで監督を目指していたんですか?

上坂 はい。兵庫県加西市出身で、子供の頃は今みたいに配信がなかったので、レンタルビデオ店に行ってDVDを借りるのが楽しみでした。父親が大の洋画好きで、僕も影響を受けて、映画は海外の人しか出られないとまで思っていました(笑)。ある日『ラスト サムライ』を観たとき、「え!日本人出てる!じゃあ、日本人も映画作れんじゃん!」と目から鱗(うろこ)が。エンドロールで、監督はいつも最後に名前が出てくるじゃないですか。あれがかっこよくて、ただそれだけで映画監督になりたいと思いました。

――着眼点が独特ですねえ。

上坂 とはいえ学生でしたし、今のようにハウツー動画とかもないですから、学生時代はただただ映画を借りて観る生活でした。僕は小・中・高と野球部に所属していて、一日中練習していたんです。火~金は練習、土日は一日中練習試合。だから、映画を観られる時間は練習がない月曜日の学校終わりだけでした。

月曜日の放課後レンタルビデオ店に走って、1枚100円のレンタルDVDを10枚借りて。観られるだけ観て、残ったDVDは土日の練習試合に勝ったらちょっと早く帰れるので、そのときに観てたんです。僕はピッチャーだったので、三振だと時間がかかるから初球に打たせて内野ゴロという、一番早く終わるピッチングを意識してました。もちろん毎試合うまくいくわけではないんですけど(笑)。

――その後、大学進学で上京されたんですか?

上坂 そうなんですけど、あまり真面目には通っていなくて。最低限の単位だけババッと取って、あとはアルバイトに精を出していました。音楽系の番組の雑用のバイトで、すごく楽しかったんです。ほかにはアメリカに留学したり、語学学校にも行ったりしていました。

――その頃、作品を作りたいとは思っていたけど、なかなか手を出せない感じだったんですか?

上坂 卒業した後は1年間だけ制作会社でADとして働いていました。その間にも、やっぱりいつかは映画監督をしたい気持ちがありましたし、さらには海外でも挑戦したいと思っていました。まずは英語を話せるように、もう1回海外留学をしようと仕事を辞めて。その頃はすでに今の妻と付き合っていて、遠距離で別れたくなかったから、妻も一緒に来てもらったんですよ。

――彼女と一緒に留学した...と!?

上坂 ワーキングホリデービザを取って、一緒にオーストラリアに行きました。3年いる予定で。そうしたら、行って3カ月で妻が妊娠しまして、即帰国することになったんです。あちらで産んで育てるなんて到底できるわけなく、事情を知った前の制作会社の社長は「戻ってきていい」と言ってくれたんです。だけど、当時の僕の月給ではとても家族3人生活なんて無理で。それに、どうしてもこの業界にいたかったので、だったら独立するしかないと思い、今の制作会社を作りました。それが23歳のときです。

――伺ってきた中では、まだ作品作りの話はないですが、それでも制作会社をやれるという気持ちがあったということですか?

上坂 それまで映像を撮ることは何もやっていませんでした。でも、子供も生まれるしやるしかないので、もうがむしゃらに頑張りました。最初は企業のお問い合わせフォームに片っ端から営業メールを送り、会社紹介映像やYouTube動画、実写でカメラを回して編集できるものは「何でもやります!」と。本当に生きていくので必死でした。

――猪突猛進に頑張れる精神的強さと体力的強さを、ダブルで兼ね備えていらっしゃるんですね。

上坂 23歳のときは、ダブルでやれていましたかね。今も体力的には強いと思いますけど、精神的には結構しんどくなることもあります。だから、やっぱりスタッフに支えられています。


――『レンタル家族』の制作に乗り出せたのは、会社が軌道に乗ったからですか? 背中を押したきっかけは何でしたか?

上坂 数年前に父方の祖父が亡くなったんです。祖父は僕が映画監督になりたくて東京に行ったのを知っていたけれど、結局自分の映画は観せられず...。お葬式でその姿を見たときに、自分でもびっくりするほど泣いてしまって。そのとき、本当に何しに東京に行ったんだと強い後悔の念に駆られたんです。一念発起して、映画を撮ろうと決めました。

――『レンタル家族』の脚本やテーマは、どこから?

上坂 『レンタル家族』のテーマ自体は、大学のときに考えていたものを基にしました。作品を撮ったことはなかったけれど、「いつか映画監督でこういうのを撮りたいなあ」ということは常に考えていたので。

――本作は「家族や恋人をレンタルする」という設定のもと、本当の家族と偽りの家族についてや、介護問題、ネグレクトなど様々なテーマが内包されています。上坂さんとしては、特にどこに重きを置いていたんですか?

上坂 僕としては、「これまでの人間関係の否定と、これからの人間関係の肯定」をテーマに撮りました。僕自身が東京や留学先の海外で生活していく中で、性別・年齢・社会的地位などの外的要因に邪魔されて、本当は愛して愛される関係の人たちが一緒にいられないな、と感じることが多かったんです。それはなんか違うし、本人たちが求め合っているんだったら一緒にいたほうがいいと思っていたので、その人間関係をまず描きたかったんです。

――ご自身の経験で感じられたことがテーマの基になっているんですね。

上坂 もう一つ、主人公はアラフォーの洋子という女性なんですが、とにかくやさしい性格なんです。いろいろな人に挟まれて、理不尽なことも受け止めて。洋子のようにやさしいから自分で全てを抱え込んじゃう人が、老若男女問わず多いのではと思っています。そのやさしさに気づいてあげられる世の中であってほしいし、「気づいている人がいるんですよ」と証明したかったんです。

レンタルサービスについては、僕がやりたかった人間関係の物語をやるために、要素として入れやすかったので入れた、というのが正直なところです。

――何度も恐縮ですが、短編も撮らず、いきなり監督した作品が『レンタル家族』だったわけですよね。初めての作品で、なぜここまで完成度を高くできたと分析しますか?

上坂 教えてくれる人がいるわけでもなく、誰かについていたわけでもなく、ガチで初めてやってみたということが、僕には逆によかったのかなと思っています。いわゆる映画業界の当たり前が、僕の当たり前ではなかったので。思うがままに、撮りたいように撮っていたことがよかったのかなと。

――撮る前、意図的に勉強しようとも思わなかったんですか?

上坂 是枝裕和監督がすごく好きなので、是枝さんの作品はカメラマンの子と一緒にめちゃくちゃ観ました。勝手に教科書のようにして研究したり。けど、いざ現場でやろうとすると本当に難しかったです。経験のなさゆえの弊害は多々あり、反省点も山ほど。「次撮るときはこうしよう」と課題にしています。何よりもこれで終わらないように、どんどんやっていきたいです。

――ではぜひ、今後のキャリアプランを教えてください。

上坂 映画監督として走り始めたばかりなので、とにかく頑張っていきたいです。僕は商業志向がすごく強く、やるからには一番になりたいタイプなんです。きちんと結果を出していきたいですし、一人で成し遂げるというよりも、ずっと一緒にやってきた『レンタル家族』や制作会社のスタッフと一緒にやりたくて。彼らは僕がほんまに何もなかった頃から支えてくれて、横にいてくれた人たちなんです。スタッフを守るためにも、商業として成果を残したいです。

――『レンタル家族』はヒューマンドラマの要素が強い映画でしたが、商業作品となるとどんなジャンルをやっていきたいですか?

上坂 基本的にどのジャンルも挑戦したいですが、特に人間のリアルが好きなので実話系をやりたいです。あとは恋愛・青春モノもやってみたいですね。あ、ホラーだけはほんまに苦手なので避けたいんですけど(笑)。

――監督はまだお若く、これからが本当に楽しみです!

上坂 ありがたいことに『レンタル家族』以降、ドラマや映画のお仕事をいただくことが増えました。30代はひたすらがむしゃらに、様々なことに挑戦していきたいと思っています。オファーお待ちしております!


●映画『レンタル家族』
東京の会社に勤務する洋子は仕事で多忙な日々を過ごす傍ら、実家の父とともに認知症の母のケアをしている。ある日、取引先から「レンタル家族」というサービスを紹介され、洋子は夫と娘を借り家族を演じてみることに。洋子は自分を取り巻く"家族たち"と過ごす時間で新たな幸せのかたちに触れていく。現在、全国で順次公開中。最新上映情報はHP【https://rental-kazoku.com/】まで。


●上坂龍之介(こうさか・りゅうのすけ)
1995年1月30日生まれ、兵庫県出身。株式会社KOHSAKA Pro代表取締役。2025年初監督した自主映画『レンタル家族』を発表。第23回中之島映画祭グランプリ、ハンブルグ日本映画祭ノミネートなど国内外の多数の映画祭で評価を受ける。2025年12月K's cinemaにて1週間限定で上映され、全日満員御礼を記録。2026年7月31日に本公開が決定した。

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