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「ヒトラーこそ、現代の衆愚政治の祖ではないか。危ない方向に今、世界が向かっているからこそ、ただ怪物というレッテルではなく書くことが求められているのかなと」と語る佐藤賢一氏
西洋歴史小説の第一人者として30年以上もの作家生活であまたの作品を執筆し、余人の追随を許さぬ評価を得てきた佐藤賢一氏。
これまで『小説フランス革命』『ナポレオン』など大長編作にも果敢に挑み、圧倒的筆致と壮大なスケールの物語を世に送り出してきた。今回、全3巻1500頁超の新作で描いたのは、あの言わずと知れた......!?
いまだアンタッチャブルとも思える悪名高き存在を今、あえてテーマに選んだ意義、そして問いかけるものとは?
* * *
――まず率直に、ヒトラーを題材とする怖さというものはなかったんでしょうか。
佐藤 そうですよね。本当にリスキーな部分がありますから、そこは本当に気を使いながら。難しいラインを常に探りながら書いていました。
――構想としてはいつ頃から?
佐藤 デビューしたてくらいから「いつかは」という思いはあったんです。やはり西洋史をやってきて、その歴史の行き着く果てにひとつの帰結として出てきた、この怪物的な人物を書かねばという思いがありました。
一方でやはりアンタッチャブルな感じもあって、手を出しかねていた。ですが、すでに戦後80年を超えました。
歴史が歴史になるのに100年かかるといわれているので、フライングではあるんですけど(笑)、今またネオナチなどの新しい動きも出てきました。そういったタイムリーさもあって、書いておく意味があるのではと思ったんです。
――いまだ過去にはしづらい中、その暗愚の歴史が繰り返される予兆が世界で今......。
佐藤 本当にまだ生々しい。現代と地続きの部分がすごく難しいんですけど、まだ欧州の人がなかなかできないであろう、客観視できるという強みが日本人の自分にはあって、だからこそ許されるのではと思ったんです。
ヒトラーこそ、現代政治の悪い部分、衆愚政治の祖なのではないか。ただ悪、怪物というレッテルを貼ることで、理解することを怠(おこた)ってきたのではとも思います。危ない方向に世界が向かっている今だからこそ、書くことが求められているのかなと。
――三十数年のキャリアで実績を重ね、自信も含め、今まさにタイミングを得たという。
佐藤 これだけのスケール感のあるテーマでも、体力負けしないでいけるという感触もありました。フランス革命やナポレオンで積み重ねて歩んできた道のりの果てにあるものですから。
今までやってきたことの大変さ、苦しさもわかっているからこそ、ようやく今ならできるかなと。年齢的にはどんどん、しんどくなってきますから(笑)。
――実際、ヒトラーに関する書籍や映画もあまたあり、いまだ検証され関心を引く中、どういうアプローチのイメージを?
佐藤 まずは素のまま、本当にフラットにどういう人間だったのかを書きたい気持ちがあって。
政治的な手法は前衛的だし、演説のうまさや迫力、カリスマ性はもちろんある。ですが、ナポレオンのように二度と出てこないと思わせる傑物とも違って、結局無謀な戦争をやって国を負けさせた、政治家として失敗した人なんです。
第1次世界大戦後のドイツはまさに非常時でしたが、ラジオが登場したことによって、〝生身のヒトラー〟と〝虚像のヒトラー〟が成立してしまった。そこから誰も手出しできない独裁体制が生まれ、しかも続いてしまったのです。
だから、実は再現性の高い人間であり、その継承者みたいな政治家が今また多いですよね。非常時だからとトップダウンでなんでも決める。テレビやSNSによってさらに虚像ができていく。その怖さを伝えるために、ヒトラーを偉人や怪物としてではなく、普通の、等身大の人間として書くことから始めなければと思いました。
――第一部では、一兵卒のヒトラーがいかに脆弱(ぜいじゃく)な精神性を持った揺れ動く若者であり、なぜ偶々(たまたま)成り上がったか、そんな人物がよくぞと思えるほど......。
佐藤 本当にそうなんですよ。失敗したら、ただの挫折した人間で終わっていたのが、偶々成功してしまったから、これだけ恐れられる存在になった。ただ、ほかにいないかといえば、今もけっこういるわけです。そこが不思議なところでもあります。
彼なりの正義を貫いて、ずっと〝わが闘争〟をし続けたんでしょうが。そういう現代的な再現性が怖いし、嫌ですね。
――一方で、第二部から登場し親衛隊に入隊するハンス・ノルトバウアーという青年の視点が重要な役割を持って描かれます。
佐藤 ヒトラーが政治家として台頭し、虚像として遠い存在になっていくにつれ、周囲の人間を通して描くことが必要になる。虚像の彼を熱狂的に支持した人物の目からも描かなければ全体を書き切れない。それこそ小説的な手法ではないかと思って作り出したキャラクターですね。
――リアルな衝撃を伝える意味でも重要な役割だった?
佐藤 結局、ハンスはわれわれなのです。普通の人間が経験するつらい思い、良心を問われる経験を通してでないと、読者にも迫ってこない。彼を出すと決めた時点で、ラストもヒトラーが死んで終わりではなくなりました。
なぜ彼が絶対悪かといえば、やはりホロコーストやユダヤ人大虐殺という、絶対に許されないことをしたから。それにきちんと向き合い、答えを出さないと本当に描いたことにはなりません。ハンスという存在を通して、最終的にはそこにまで到達しないと終われない。この小説を描き切り、成立するために彼はどうしても必要でした。
――第三部のラスト、裁判でのやりとりは感動的な印象で救いとも思える余韻を残します。ヒトラーにおいても最後は自死を選びつつ救いを感じました。
佐藤 救われてる場合じゃないし、勝手だなと思いながら書いていたんですけど。エヴァ・ブラウンという女性と結婚して自殺するという結末を選んだ、人間としてのヒトラー個人の歴史の最期はやはり書きどころではあったなと思います。
――完結させた今、改めて気づきや感じられたものとは?
佐藤 書き切ったと思いながらも、一方で何か問題提起できたのか?と。特定の民族や人種を悪者にして差別が助長される世界で、どこまで教訓として伝わるのか。ヒトラーと同じことが繰り返される現実の恐ろしさを今、本当に感じますね。
●佐藤賢一(さとう・けんいち)
1968年生まれ、山形県出身。93年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。99年『王妃の離婚』で第121回直木賞受賞。2014年『小説フランス革命』で第68回毎日出版文化賞特別賞を受賞。ほか、小説に『遺訓』『ナポレオン』(第24回司馬遼太郎賞受賞)、『最終飛行』『チャンバラ』『釣り侍』など、ノンフィクション・随筆に『英仏百年戦争』『テンプル騎士団』『フランス王朝史』(全3巻)、『よくわかる一神教』『王の綽名』など、著書多数
■『小説 ヒトラー』全3巻
集英社 各2970円(税込)
〈Ⅰ戦後篇〉1918年。ひとりの上等兵が、陸軍病院から退院した。その名はアドルフ・ヒトラー。〈Ⅱ戦前篇〉政治家を志し、ついには政権奪取――独裁者は、戦争へと突き進んだ。なぜ誰も、止められなかったのか。それは過去のこと、なのか? 〈Ⅲ大戦篇〉戦線を拡大させるも、敗北が続く中、撤退・降伏を認めないヒトラーの暗殺計画はなぜ失敗したのか。人間の善悪の根源を問う。圧倒的なスケールの歴史巨編、全3巻1500頁超! 堂々完結
