
武田葉月
たけだ・はづき
武田葉月の記事一覧
山形県山形市出身。ノンフィクションライター。清泉女子大学文学部出身。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に、取材、執筆中。著書に『ドルジ ~横綱・朝青龍の素顔~』『横綱』(講談社)、『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士たち』『インタビュー ザ・大関』(双葉社)などがある。

大相撲九州場所の番付が発表された10月末、十両力士・炎鵬は、所属の伊勢ヶ濱部屋が宿舎を構える福岡・太宰府天満宮で満面の笑みで会見に臨んでいた。
炎鵬と言えば、土俵上でひねり技などの多彩な技でファンを沸かせ、「ひねり王子」という異名を持つ人気力士だった。ところが、2023年夏場所前に痛めた首のケガで一時は序ノ口まで番付を下げた。そして壮絶なリハビリの末、今年夏場所、十両まで戻ってきたのだ。
炎鵬の隣には、新婚の妻・美希さんが寄り添う。
「明日のことを考えられないような真っ暗な日々の中、(美希夫人は)光を照らしてくれたというか、太陽なような生きる希望を与えてくれる存在だった」
炎鵬は、苦悩の日々をこう振り返る。
炎鵬が負ったケガは、頚椎損傷。手足が動かなくなり、一時は寝たきりの生活になった。退院してからも、指を動かす地道なリハビリ生活が続き、担当医からは「もう、相撲はやめたほうがいい」と告げられたほどだった。
けれども、炎鵬には「覚悟」があった。
「ここで(相撲を)辞めてしまったら、ただの人。続けていけば、きっと『ケガをしてよかった』と思えるような日も来る」
関取復帰を目指して、歯を食いしばってリハビリに取り組んだ。
この頃から、炎鵬の「食生活」も変わった。167センチ、100キロ前後と小兵の炎鵬がなかなか太れなかった原因の1つは、白米が食べられないことだった。
美希夫人のアドバイスもあったのだろう。自宅で米を炊いて、食べるようになったという。
「たまたま知人から、おいしいお米をいただいたんですよ。それを炊いてみたら、『うまい! 食べられる!』って(笑)。今までは混ぜゴハンとか鮨くらいしか食べられなかったんですが、白米がこんなにおいしいとは『発見』でしたね!」
リハビリ中に白米を食べ続けたことも功を奏したのか、復帰の序ノ口の土俵から連続して勝ち越しを続けて、今年夏場所で3年ぶりに十両力士という切符を手にしたのだった。
167㎝、107㎏と角界では「小兵」と言われる体格ながらも、高い技術を誇る
夏場所、名古屋場所は8勝7敗と勝ち越したものの、9月の秋場所は7勝8敗と惜しくも負け越し。それでも炎鵬が土俵に上がると、幕内時代と同じ、いやそれ以上の拍手が館客から沸き上がる。
それは、10月におこなわれた秋巡業でも同じだった。
現在、地方巡業に参加できるのは、原則、幕内力士とその付け人たちとなっているのだが、秋巡業は休場力士が続出。また今回の巡業の工程に、炎鵬の出身地・金沢市が含まれていることもあって、巡業初日から最終日までフル稼働することになったのだ。
「地方巡業に出るのは、3年ぶりですからね。今、支度部屋で関取衆のメンバーを見ていても年下の若手力士ばかりで、しゃべったことのない力士がたくさんいるんですよ(笑)。
自分と同世代となると、(大関)霧島さんくらいかな? (同じ小兵で活躍している)21歳の藤ノ川とかともしゃべってみたいなと思っています(笑)」
と、久しぶりの巡業を楽しんでいるようだ。
巡業中、ほかの力士とも交流しながら楽しそうな笑顔を見せる炎鵬
楽しむ以上に、力を入れているのが他の部屋の力士との稽古だ。取材に訪れたこの日も、大関など上位力士の申し合いに加わったり、胸を出すなど、最後まで積極的に稽古に加わっていた。
「ウチの部屋はほとんど出稽古に行かないので、いろいろなタイプの関取と稽古できるのは新鮮です。頚椎のほうですか? それは、すごく(再発が)怖いですよ。バス移動も長くて、同じ体勢が続くとつらいですしね......。
だから、快眠枕とかネックピローを持参したり、あとホテルで使う入浴剤なんかも持ってきて工夫しているんです」
と、前向きな炎鵬。
十両10枚目で挑む九州場所に向けて、メッセージをお願いした。
「諦めない気持ち、相手に挑んでいく気持ち、立ち向かっていく気持ち。そういう姿を見てほしいと思いますね。とにかく15日間、ケガのないように相撲を取り切って、来年には幕内の土俵に戻りたいです!」
炎鵬の「第二章」は始まったばかりだ。
土俵に上がると多くの人の歓声に迎えられる。ファン人気が高い理由にはその人柄の良さもあるのだろう