メイド・イン・ジャパン衣料品「1.1%」からの再起への道

取材・文・撮影/吉岡 俊

時間はかかるが、手織りに近い風合いを出せるションヘル織機。糸への負担が小さいため、最新の織機では難しい、柔らかな生地も織り上げられる時間はかかるが、手織りに近い風合いを出せるションヘル織機。糸への負担が小さいため、最新の織機では難しい、柔らかな生地も織り上げられる

日本のモノづくり崩壊へのカウントダウンか――。国内に流通する衣料品のうち、国産品はわずか1.1%。市場の99%を海外製に奪われ、絶滅の危機にある「メイド・イン・ジャパン」。買いたたかれる工賃、激増する倒産、消えゆく職人たちの技術......。だが、世界をうならせる圧倒的な技術で、反撃ののろしを上げる現場もあった。日本の繊維産業が直面するリアルと再起への道とは?

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【来年か再来年には1.1%を切る可能性も?】

日本国内で流通する洋服のうち、国産(国内縫製)はわずか1.1%という事実をご存じだろうか。

帝国データバンクの調査によれば、今年1~9月のアパレル関連企業の倒産は210件。5年連続で増加の見込みだ。

さらに繊維工業の就業者数は2007年の約67万人から16年で約半数の35万人に激減(うち約4人に1人が65歳以上)。人材難もあり、店頭に並ぶ服の約99%は海外製となった。

この数字の意味を、現場はどう受け止めているのか。縫製工場と直接取引を続けてきたアパレル関係者が明かす。

「大口発注を条件に、丸首のTシャツ1枚の工賃を300円ほどで押し込まれた工場を知っています。原材料費や輸送費が高騰する中、真っ先に削られるのは人件費なんです」

構造的な問題は工賃だけではない。特定の大手メーカーへの依存度が高い工場ほど、発注側の都合に振り回され、取引停止が即座に経営危機へ直結する。前出のアパレル関係者が続ける。

「コロナ禍で中国生産が止まったとき、大手が『国内製造を8割に戻す』と発注してきたが、事態が収束すると再び海外へ回帰していった。防護服の受注に対応するため高額の設備投資を行なったものの、最終的に倒産に追い込まれた工場もあります」

人気ブランド「MARKAWARE(マーカウェア)」のデザイナー・石川俊介氏によると、国内生産の衰退は1970年代のニクソン・ショックや85年のプラザ合意に伴う急激な円高が起点にあるという。

90年代以降の低価格SPA(製造小売り)ブランドの台頭も重なり、かつて約50%あった国内生産比率は2000年代初頭にかけて約10%へ急落した。

「そこから25年間でさらに10分の1です。来年か再来年には、1%を切る可能性もある。残念ですが、経営に行き詰まった縫製工場の社長が自ら命を絶つケースも複数ありました。保険金で負債を整理する例も決して珍しくない」

石川氏は業界の利益構造におけるゆがみにも触れる。

「服が完成して売られるまでの工程で利益の大半はブランド側に偏り、価格決定権は販売側が握っている。中間の中小事業者は設備投資もできず、最低賃金水準の雇用を余儀なくされている状況です」

メイド・イン・ジャパンを盛り上げたいと声高に叫ぶ関係者の中には、工場への正当な対価や量の確保といった行動を伴わず、単に宣伝文句として国産を利用するケースも少なくないと石川氏は嘆く。

【丼勘定や受注待ちからの脱却】

こうした厳しい構造の中で生産を続ける現場は、どのような状況にあるのか。実態を探るため現地を訪ねた。

千葉県南房総市にある90年創業の縫製工場「内房スバルソーイング」は、折り伏せ縫いや高密度ステッチなど世界水準の技術を誇る。

分業制が主流の業界で、シャツ1枚を1人で縫い切る熟練職人を数人擁し、その技術力が高い品質を支えている。

同社の現場を率いるのは3代目の大阿久(おおあく)俊孝専務(46歳)。もともとは東京で美容師として店舗経営まで経験。家業とは無縁だったが、23年に代表を務める母に声をかけられ南房総にUターンした。

そこで目にしたのは「業界の不透明な取引慣行だった」と大阿久氏は振り返る。

3年前までは美容室経営に携わっていた大阿久俊孝氏。前職での経験が工賃の交渉や、積極的な営業に生きている3年前までは美容室経営に携わっていた大阿久俊孝氏。前職での経験が工賃の交渉や、積極的な営業に生きている

「契約書もなく、納品後に丼勘定で金額を提示されるのが常。これでは縫製工場が手を携え、適正な工賃アップにつなげていかないと、経営が成り立たないと思いました」

工程と所要時間を細かくデータ化し、適正な工賃の必要性を提示し続けた結果、1枚当たりの平均工賃は3年前と比べ約1500円上昇した。

さらに「受注を待つだけの態勢からの脱却」を掲げ、主力であった百貨店向けブランドへの依存度を下げ、国内コレクションブランドへの営業開拓を進めた。

「飛び込みで行って相手にしてもらえないこともありましが、サンプルを評価されたことで取引獲得につながり、生き残ることができています」

最大の課題は人材確保だ。同社を支えるベトナムからの技能実習生は制度上、在留期間に期限があり、熟練した段階で帰国を余儀なくされることも多い。

日々の生産を支えるベトナムからの技能実習生。中には母国に子供を残して働きに来ている女性の姿も日々の生産を支えるベトナムからの技能実習生。中には母国に子供を残して働きに来ている女性の姿も

「手順や技術を習得した時期に帰国となり、また新しい人にイチから教えなければいけない。将来的には実習生に依存しない体制を構築したいところです」

工場内には地元の高校の家政科を卒業した新入社員の姿も。

「ボタンホールの縫いつけ担当です。穴を開けるので失敗すると生地を替えなきゃいけない。周りに迷惑をかけることもありますが、みんな優しいですね。自分たちの手がけた服をコレクションのモデルさんが着ているのを見るとテンションが上がります」

大阿久氏の前職の後輩だった駒沢さん(手前)。大阿久氏に同行する形で入社し、現在は裁断士を務める大阿久氏の前職の後輩だった駒沢さん(手前)。大阿久氏に同行する形で入社し、現在は裁断士を務める

そう笑顔で話すと作業に戻っていった。大阿久氏が話す。

「従業員たちは素直で一生懸命やってくれているので給料もアップしてあげたい。他工場の廃業に伴い、新規の相談も持ち込まれていますし、近年は正当な価値を理解してくれるブランドさんも増えてきています。現状は厳しいですが、生き残るチャンスはあると思っています」

手元の一針に集中する職人たちの姿には、経済効率だけでは測れない日本のモノづくりの意地と熱量が宿っていた。

【91歳の職人もいる大正元年創業の老舗】

国の有形文化財でもある葛利毛織工業の木造建物群。採光用の高窓がついた「ノコギリ屋根」が目を引く。映画のロケ地にもなった国の有形文化財でもある葛利毛織工業の木造建物群。採光用の高窓がついた「ノコギリ屋根」が目を引く。映画のロケ地にもなった

日本最大の毛織物産地、愛知県の尾州(びしゅう)地域。この地に大正元(1912)年の創業以来、独自の製法を守り続ける織物工場がある。国内外の高級ブランドから高い技術力を評価されている老舗、「葛利毛織工業」(一宮市)だ。

4代目の葛谷 聰(くずや・さとし)代表(53歳)は元プロボクサーという異色の経歴。同社の中心は製造から90年以上経過したシャトル織機「ションヘル」だ。

現在主流の高速織機はションヘルの5~10倍の速度で生地を織り上げることが可能だが、ションヘルは50mを織るのにも5~6日を要し、準備段階だけで1週間以上かかる。

非効率な織機を使い続ける理由について、葛谷氏は次のように語る。

工場を案内してくれた葛谷聰氏。工場には服飾業界の関係者や学生など、全国から年間500人以上が見学に訪れるという工場を案内してくれた葛谷聰氏。工場には服飾業界の関係者や学生など、全国から年間500人以上が見学に訪れるという

「設備投資に回す十分な資金がなかった、というのが実情です。60年代後半、大量生産・低コスト化の波が押し寄せ、尾州の同業者の多くは不動産業などへ転換していきました。

しかし当社はそうした波に乗れず、新設備の導入もできないまま、古い織機で愚直に織り続けるしかなかった。手を広げず、本業を丁寧に――それが代々の家訓でしたが、『このままでは遠からず廃業するのでは』という強い危機感は当時もありました」

09年に転機が訪れる。海外展開支援をサポートするジェトロ(日本貿易振興機構)主催の商談会で、プラダやジョルジオ アルマーニなど海外ブランドのバイヤーに生地を披露する機会を得たのだ。

バイヤーたちは「まだこんな織り方をしている工場があるのか」と驚愕(きょうがく)したという。

葛谷氏自らが考案した特殊な波柄のウール生地。国内有名ブランドのコレクションアイテムにも採用された葛谷氏自らが考案した特殊な波柄のウール生地。国内有名ブランドのコレクションアイテムにも採用された

「糸の張りを緩めて、ゆっくり織り上げることで生まれる風合い。それが今や世界的に高い価値になっていると気づき、これは勝負ができるかもしれないと思いました」

現在、同社は国内外のメゾンブランドから国民的アイドルの衣装生地まで手がける。

「ただし、あくまでも会社はスーツ地が中心。軸があるからこそ、変わった依頼にも応えられる。ボクシングと同じです。どんな姿勢でも軸さえ保てば強いパンチが打てる」

12年、創業100年を機に葛谷氏は「もう100年、会社を残す」と決意した。

「決めただけなんですけどね(笑)。人に恵まれて、ここまで工場を走らせてもらった。最近は廃業した同業者から、『ウチのションヘルを引き取ってもらえないか』と託されることもある。交換部品がないときは鍛冶屋さんに作ってもらうなどして、大事に使っています」

同社には、技術を支える91歳のベテラン職人の姿も。18歳で入職し実務経験は約70年に及ぶ。14台のションヘル機が稼働する工場内で異音を聞き分け、即座に助言する。

「新しいものに挑戦すると、面白みもあるし利益もある。ここへ来て仕事をやらせてもらえるのは喜びやな」

仕事場まで送り迎えしてくれる孫の存在も励みだという。「じいちゃんの働いている姿がカッコいいって言ってくれるんだ」とうれしそうに笑った。

業界歴70年超の岩村さん(91歳)。「全盛期は独立すれば20代で家が建った」とかつての繁栄を語る。まさに歴史の生き証人だ業界歴70年超の岩村さん(91歳)。「全盛期は独立すれば20代で家が建った」とかつての繁栄を語る。まさに歴史の生き証人だ

また葛谷氏は、固定の勤務時間を決めず、個々の都合に合わせて働ける働き方を導入。副業も公認している。

「入社希望で来てくれる人には、『ウチは経済的に不安定な会社です。ほかの会社も紹介するから、一度帰って考え直してほしい』と伝えます。それでも入ってきたのが今の社員たちですね」

経済的条件だけでなく、主体的に取り組める環境が労働意欲につながっているようだ。

葛谷氏は「全産業で年間1万件以上の会社が廃業しているのは円滑な事業承継を阻む制度や政治の責任もある。日本を支えてきた繊維産業の現場を、政策として支える動きにも期待したい」と話す。

同じ一宮市で尾州生地の洋服を産地直営で販売する「新見本工場」。尾州で働く会社員による、地域活性化の活動拠点にもなっている同じ一宮市で尾州生地の洋服を産地直営で販売する「新見本工場」。尾州で働く会社員による、地域活性化の活動拠点にもなっている

【「適正価格での海外進出」と「垂直統合」という道】

日本製の衣料品を守り抜く道について前出の石川氏はふたつの道を挙げる。ひとつは「適正価格での海外進出」だ。

「実は米『ニューヨーク・タイムズ』紙で日本のメンズファッションが特集されるほど、海外での日本のブランドや技術の価値は高まっています。

海外の感覚からすると、日本製の洋服の価格は安すぎる。『もっと価格を上げないとダメだ』と言われるほどです。海外へ積極的に打って出て、高品質に見合った高価格帯にシフトしていく必要があります」

もうひとつは、国内アパレル業界の製造から販売までを一元化する「垂直統合」への転換だ。

「これまでのように中間マージンを抜かれ、しわ寄せがいく下請けの工場に利益が残らない構造を変えなければいけません。紡績からアパレルまでをひとつのグループとしてつなぎ、利益を生産現場や職人に還元するモデルをつくる必要があります。

これは80年代に再編を経て復活したスイスの時計産業と同じアプローチ。誰かが先頭に立って垂直統合を進めていかないと、日本の繊維産業は本当に途絶えてしまいます」

石川氏が警鐘を鳴らすように、業界の置かれた状況は厳しい。それでも前出の葛谷氏は、国内生産比率1.1%という数字を過剰に恐れてはいない。

「量産品と同じ土俵で競う必要はありません。品質を求める1%の需要に特化すればいい。礼服のように一度買ったら10年着続けるような商品であっても、高品質なものを作り続ければ、ウチのような事業の支えになる。低価格帯の事業者は競合ではなく、服への関心を開拓してくれる『入り口』だととらえています」

では、危機に瀕(ひん)する日本のモノづくりに対し、消費者ができることは何か。石川氏はこう訴える。

「アニメや漫画が日本を代表する産業に育ったように、日本のファッション産業も世界に誇れる宝になるポテンシャルを秘めています。

近隣の工場見学に行ってみる、日本製の服に袖を通してみる。買わなくてもいいので、素材に触れて作られ方の違いを感じてほしい。作り手の顔や背景に関心を持ち続けることが技術を次世代へ残す一番の力になります」

1.1%という数字は、単なる衰退の記録ではない。大量生産の時代を終え、世界屈指の価値として再起を図るための分岐点なのかもしれない。

「Made in Japan」のタグの裏側には、今日も織機と向き合い、生地を丁寧に縫い上げている職人たちの姿がある。

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