話題となったフリー素材サイト『いらすと本舗』。このサイト自体のプログラミングもセンター生が行なった 話題となったフリー素材サイト『いらすと本舗』。このサイト自体のプログラミングもセンター生が行なった

突如としてXで大バズリを果たした、すべて無料のイラスト素材サイト『いらすと本舗』。それらはすべて"塀の中"製、つまりは受刑者たちの刑務作業の成果だった。

受刑者へのイラスト指導とサイト運営に携わってきたマンガ家に、知られざる刑務作業事情と、受刑者たちの変化を聞いた。

■「これも無料?」同人マンガ界に衝撃

「おい! 原稿抱えて走ってる同人フォロワー! ここぉ! 全部無料だッッッ!」

3月末、Xのあるアカウントのこんなポストが2万超もリポストされ、紹介されたサイトは瞬く間にサーバーダウンを余儀なくされた。その名は『いらすと本舗』、大量のイラストがアップされたフリー素材サイトだ。

写真をトレースした細密な背景画、素朴なタッチの動物画や人物画まで、多様なイラストがすべて無料で使用できるというのだから、同人作家やプロのマンガ家に驚きを与えたことは想像に難くない。

『いらすと本舗』の中でも特にダウンロード数が多いという「新宿副都心高層ビル」の背景画 『いらすと本舗』の中でも特にダウンロード数が多いという「新宿副都心高層ビル」の背景画

サイトには「当サイトのイラスト等は更生のための作業の一環として制作し、無料配布をしています」と表示されている。「更生」という言葉が示すとおり、ここで提供されている素材は、すべて山口県美祢市にある「美祢社会復帰促進センター」の入所者たちが刑務作業として描いたものだ。

このセンターは国と民間企業が連携する「プライベート・ファイナンス・イニシアチブ(PFI)方式」で運営される刑務所で、原則として初犯かつ懲役6年以下と、改善更生の可能性が高い60歳以下の受刑者が「センター生」として入所する。

先進的かつ独自の刑務作業を取り入れている、美祢社会復帰促進センター 先進的かつ独自の刑務作業を取り入れている、美祢社会復帰促進センター

同センターによれば、「刑務作業の受注に当たっては、①地元地域と共生する作業(地場産業や地元企業からの作業受注)、②社会のニーズに合わせたIT関連作業(PCを用いたデータ入力作業)、③環境に優しい作業(社会貢献やリサイクル)という3つの柱があり、そのほかにも就労支援につながる職業能力を得られるもの、地域貢献につながるもの、社会福祉に貢献できるものを積極的に取り入れている」とのこと。

今回話題になったイラスト制作も、職業能力の育成が目的なのだ。

「これまでも取材をいくつか受けたことはありましたが、ここまで大きな反響があったのは初めてです」

そう語る渋谷巧さんは、受刑者たちにイラストを教えながら、いらすと本舗の運営会社を立ち上げた張本人。美祢市出身の渋谷さんは東京で暮らし、「苑場凌」というペンネームで30年にわたり、歴史物やミステリーなどさまざまな作品を世に送り出してきたマンガ家でもある。

渋谷 巧さん 渋谷 巧さん

「イラストだけでなく、いらすと本舗のサイトもセンター生の自作です。数年前にプログラミングの天才が入所してきて、サイトと完璧なマニュアルを構築しただけでなく、センター生数人を運営担当者として育成して、市販のサービスを使わずに運営できるようになりました。

でもそのメンバーたちが最近刑期を終えて出所し、技術レベルが落ちてしまいました。市販サービスへの乗り換えを相談していたところ、今回の大バズリが起きたんです。サーバー復旧作業では地獄を見ましたが、大きな反響をいただいているので、喜ばないとバチが当たりますね」

■「官民協働刑務所」はどんな場所なのか

部品製造、農作業、清掃、工芸品の製作......「刑務作業」と聞いて思い浮かぶのは、こんなイメージではないだろうか。特に手頃な値段で購入できる家具などは人気があり、各地で開催される「矯正展」での展示即売会に通う固定ファンも多い。

美祢社会復帰促進センターでも、従来どおりの刑務作業も行なわれているものの、イラスト素材やホームページが刑務所内で制作されていると知る人は少ないだろう。

「マンガ背景、イラスト制作、プログラミング、3Dモデリング、動画編集......私の受け持つチームはちょっとした専門学校みたいになっています。

ほかの刑務所を訪問したことがないので比較はできませんが、センター内の雰囲気はとても明るくて、いわゆる刑務所のイメージとは程遠いです。ただ、作業部屋に行くまでに施錠された扉をいくつも開けてもらわなければならないとか、GPSの装着も義務づけられていて、刑務所ならではの制約は多いです」

センターの敷地は広く、一般向けの食堂のみならず、市立保育園も併設されるなど、地域社会と触れる機会が多くなるようにデザインされている。初犯かつ刑が軽い受刑者が多いこともあるが、全国にある官民協働刑務所ではいずれも地域との共生が重視されている。

『いらすと本舗』は、センター生が作った3Dモデリング素材も提供している。「机と椅子」(上)といった身近なものから「アダムスキー型UFO」(下)といった意外なものまで、種類が豊富だ 『いらすと本舗』は、センター生が作った3Dモデリング素材も提供している。「机と椅子」(上)といった身近なものから「アダムスキー型UFO」(下)といった意外なものまで、種類が豊富だ

「例えば美祢市にある道の駅のショッピングサイトは、センター生たちが相談し合って制作したものです。

また、事業者が50年周期で山の木をすべて伐採する従来型の『皆伐』ではなく、山林所有者や住民が毎年少しずつ間伐して、収益を上げながら防災や環境保全に寄与する『自伐型林業』の取り組みにも、センター生が参加する計画がありましたが、コロナ禍で計画は中止されてしまいました。地域との相互理解がなければ、とうてい不可能ですよね」

この計画には関係者からの反対意見もあったが、当時のセンター長が「多くのセンター生たちには人から信用された経験がないため、簡単にモノを盗んだり嘘をついたりしてしまう。まず信じることから始めよう」と説得し、実現の目前までこぎつけていたそうだ。

「まずはこちらが信じないと、彼らも私たちを信じてくれないし、何より自分自身の可能性すら信じないというのは、まったく同感です」

■「やり遂げられない若者」が変わるとき

とはいえ、現実は甘くない。自分自身すら信じない受刑者たちに、PCを使ったイラスト制作を教えるのは簡単なことではなかったそうだ。

2014年に渋谷さんはセンターに出入りしている知人の紹介でイラスト講師を始め、翌年から写真トレースによるマンガの背景画制作を発注することにしたが、センター生たちが描いた背景画を見て、強いショックを受けたという。

「なんでこんなところで描くのをやめるんだ?と思う絵ばかりでした。彼らの多くは、何かを最後まで成し遂げた経験がないと気づきました。そもそも、ほとんどのセンター生は絵に興味なんてないし、『なんで俺がこんなことをしなくちゃならないんだ』と思っていることがひしひしと伝わってきましたね」

また、指導には刑務所ならではの事情がつきまとう。

「雑談を交わしてはいけないんです。彼らが手を挙げて作業指導をしてほしい旨を刑務官に申告し、その許可を得るまで、横に立って作業を見守るしかないんです」

渋谷さんがセンターに来るのは1~2ヵ月に1度程度で、会話にも制約がある。それでも渋谷さんは基礎的な技法や考え方を丁寧に伝えつつ、途中でやめないことの大事さを説き続けた。

次第に、センター生たちからも具体的な質問が上がってくるようになる。彼らに自発性が芽生え始めたのだ。あるとき、最初に「手抜き画」を描いたセンター生の上達ぶりに驚いた渋谷さんは、思わず「ずいぶんうまくなったね」と声をかける。そのセンター生は渋谷さんに「もう少しで出所なんです」と告げた。

「出所後の生活について、彼はずっと不安を抱えていたと言っていました。それでもここでイラストを学んで、自分が変わりつつあるのを感じている。もう少しここで習ったら、もっと変われそうな気がする。だから入所して初めて、出所が延びればいいのにと思っている、と言ったんです」

センター生の上達の一例。「絵に自信がない」と言うセンター生が、先輩のイラスト(右)を参考に描いたのが、中央のイラスト。彼はその半年後にはプロ並みのイラストを描けるようになった。現在は出所しているとのこと センター生の上達の一例。「絵に自信がない」と言うセンター生が、先輩のイラスト(右)を参考に描いたのが、中央のイラスト。彼はその半年後にはプロ並みのイラストを描けるようになった。現在は出所しているとのこと

渋谷さんは、彼が最初に描いたイラストを見せながら、手短に伝えた。

「2ヵ月でここまで変わったんだ。外に出たら、マイナスからのスタートかもしれない。でもこれと同じくらい打ち込めば、どんなことだってきっとうまくなる。姿勢次第で、物事は大きく変わっていくんだよ」

センター生たちの背景画は、美祢を舞台にした内田康夫氏による小説「浅見光彦シリーズ」の30周年記念作、『汚れちまった道』のマンガ化作品(2015年発売)に使われ、彼らを大いに勇気づけることとなる。

指導を始めて10年、渋谷さんは今もセンター生たちの指導を続けつつ、広告収入のみでいらすと本舗の運営を続けているが、事業としては「やればやるほど赤字」という状態だそうだ。

「興味本位で刑務所に来てしまっただけだったのですが、彼らの人生が変わる場面を目の当たりにすると、赤字だからってやめるわけにはいかないんですよね」

いらすと本舗の注目度が上がれば広告収入も増え、渋谷さんの負担が軽減され、受刑者たちの意欲もより高くなるはずだ。ぜひサイトをのぞいて、驚くべきクオリティの高さを実感してほしい。

*いらすと本舗【https://irasutofree.com】

■渋谷 巧(しぶや・たくみ) 
山口県美祢市出身。1991年、『ぼんくら任侠伝』が週刊少年マガジン新人賞を受賞しデビュー。以後、「苑場凌(そのば・りょう)」としてマンガ家活動を開始。2014年より、美祢社会復帰促進センターにてイラスト制作などの刑務作業を指導している。代表作に『ずっこけバウワウ狂走曲』(講談社)、『刑務所でマンガを教えています。』(KADOKAWA)などがある

柳瀬 徹

柳瀬 徹やなせ・とおる

ライター・編集者。研究者、経営者、政治家から小説家、映画監督、俳優、プロスポーツ選手、将棋棋士まで、幅広いジャンルのインタビューを行う。企画・編集した本に『小さくて強い農業をつくる』『災害支援手帖』『生きていく絵』など

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