『グラビアの読みかたーWPBカメラマンインタビューズー』酒井貴弘編・後編「SNS出身でキラキラしたイメージがあるかもしれませんが、結構泥臭いタイプです(笑)」

取材・文/とり 撮影/渡邉雄大


あまり表に出ることのないカメラマンに焦点を当て、そのルーツ、印象的な仕事、熱き想いを徹底追究していくインタビュー連載が、週プレ創刊60周年を記念して復活。第三弾となる今回は、SNS総フォロワー数18万人の酒井貴弘氏が登場! 週プレでは『俺達のあざす。』の伊藤優衣&水原ゆきをはじめ、声優やインフルエンサーの撮影を多く担当されています。

なぜSNSのフォロワー数がこんなにも多いのか? SNSからどのようにグラビアや広告の仕事に繋がったのか? 後編では、フォトグラファーとしてのキャリアに迫ります。

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――紆余曲折を経て30歳で写真館に入社したことがターニングポイントになったと伺いました。それまでに写真に興味を持つタイミングはあったんですか?

酒井 CMの映像制作会社にいた頃に、CanonのEOS 6Dという一眼レフを買ったんです。というのも当時、リアリティ番組『テラスハウス』を皮切りに、一眼レフで撮影されたおしゃれな映像が流行っていて。業務の一環として動画編集もやっていたので、自分で素材から撮ってみようと思ったんです。入り口は映像でしたが、一眼レフを手にしたのを機に、休日のお出かけや旅行の際に趣味で写真を撮るようになりましたね。と言っても、桜や紅葉を撮る、くらいの感じでしたが。

――そうだったんですね。その感じで写真館に入社とは、また思い切りましたね。

酒井 友達がその写真館の社員だったんです。僕が職を転々としているのを見て、「写真好きならどう?」と紹介してくれたんですよね。実際、写真を撮るのは結構好きだったんです。自分の人生を考えたとき、「もし余命一年だと言われたら、旅をして写真を撮るな」とも思いました。子供を撮るのがメインの写真館だったので、スタジオマン的な仕事はほとんどなく、子供をあやす"接客業"が大半だったのですが(笑)。とはいえ子供と遊ぶのも嫌いじゃなかったし、天職が見つかった! と思いましたね。

――写真を仕事にするにしても色々ありますが、写真館に入った時点で、今みたいに雑誌や広告のお仕事をしたいとは思われていたのでしょうか?

酒井 そうですね。当初から人を撮ることに興味があったんです。地元の長野県で自分の写真館を構えることも考えましたが、人を撮るなら、やっぱり雑誌や広告のお仕事なのかなと、漠然と思っていましたね。ただ、どうすれば仕事に繋がるか分からなかったので、自分の可能性を探るべく、31歳の頃にインスタグラム(Instagram)を始めました。もともとインスタは、スマホで撮った写真を日記的に上げるSNSとして人気でしたが、僕が始めた頃は、やはり一眼レフの写真が流行っており、そこから仕事に繋げようという流れまでもが出来始めた頃だったんです。そこで僕も自分を試してみようと、朝と夜の1日2投稿を、2年間毎日続けました。

――1日2投稿を2年間も! すごいです。

酒井 一般的な通勤時間である朝8時と、家に帰ってゆっくり過ごす夜19時頃を狙って、2年間、元旦以外は1度も休まずに投稿を続けました。"スクロールされない写真"を意識して撮影していたこともあり、フォロワーは1年で3万人に、2年で8万人になっていました。当時は界隈が出来るほど、ポートレートがすごく流行っていたんですよ。アマチュアでも人気のフォトグラファーがいたり、それなりのフォロワー数で被写体として活動されている方がいたり。写真の投稿が伸びやすい時期でもあったんですよね。最近のインスタはリール(縦動画)が流行りなので、写真だけでは伸びづらいと思います。運が良かったですね。

――続けた結果、インスタから仕事には繋がったんでしょうか?

酒井 カメラのメーカーさんや、SNSに力を入れている業者、活動者の方から撮影のお仕事をいただくようになりました。タレントさんを撮るような仕事はまだなかったけど、33歳で写真館を辞め、そのままフリーランスとして独立しました。ここまで本気になれたのも、努力が結果に繋がったのも、写真が初めて。インスタを始めた頃に今の奥さんと結婚し、写真館を辞めた頃に第一子が生まれ、公私共に人生が大きく変わり始めた時期でしたが、やっと自分の道が見つかったような気がしました。

――現在のような広告や写真集のお仕事は、どのように広がったんですか? 

酒井 大きなきっかけは2021年3月に東京・恵比寿で開催された「私が撮りたかった女優展 Vol.3」というグループ展で、山田杏奈さんを撮らせてもらったことです。フォトグラファーが憧れの女優さんを撮影する人気企画で、前年に「Vol.2」の展示を観に行きプロデューサーらしき方を探して名刺を渡したら、「Vol.3」に参加させてもらえることになったんです。女優さんを撮るのは初めての経験でしたが、自分も手応えがあったし、お客さんからも好評でした。

――「私が撮りたかった女優展」といえば、全国のPARCOや蔦屋書店で巡回展が開かれるなど、今も根強い人気がありますよね。若手のフォトグラファーが世に知られるきっかけとしても、影響力があるイメージです。

酒井 あと、同時期に撮影させていただいた、当時NGT48の本間日陽さんの写真集『ずっと、会いたかった』(光文社/2021年5月発売)も大きかったですね。芸能人の方を撮影するのは、山田さんに続き二人目。にも関わらず、新潟で2泊3日、沖縄で3泊4日のがっつりロケで、しかも水着やランジェリーのシーンもあるという......。われながら、なかなか異例の抜擢だったと思います(笑)。

――本間さんといえばNGT48のエースとして活躍していた人気メンバーです。そんな方の写真集をいきなり任されるなんて! いったい、どういう経緯で?

酒井 当時所属していたマネジメント事務所の方が光文社に挨拶に行くと言うので、付いて行ったんです。そしたら編集者の方が、ちょうど企画が動き始めていた本間さんの写真集を撮影するカメラマン候補の一人として僕の名前を挙げてくださったんです。有名な方も含め三人ほど候補がいらした中、本間さんが僕を選んでくださったそうで......。SNSに投稿していた写真の世界観を気に入っていただけたことに加えて、商業の舞台に慣れていない感じが良かったみたいです。事前にテストシュートの機会があり、色々写真集を見て水着グラビアの撮り方を研究して撮影に臨んだのですが、編集者の方からは「あまり意識しなくていいですよ」と言われた覚えがあります。


――本間さんも編集者の方も懐が広いと言いますか。酒井さんの魅力ありきですが、運が強いのも確かですね。

酒井 本当にそうです。他のカメラマンの方は、スタジオマンやアシスタントとしてプロの現場を見て独立される方が多いじゃないですか。でも僕は他の方の現場を何も知らないどころか、誰かに何かを教わった経験もない。その感じを目新しさとして面白がってくださる方と、独立早々にお仕事が出来たのは、本当にラッキーなことでした。この写真集をきっかけに、他の写真集やグラビア誌のお仕事をいただけるようになったという意味でも、本間さんが僕を商業の世界に連れて来てくれたと言っても過言じゃないです。

――広告のお仕事はどのように広がっていったんでしょう?

酒井 そこはやはりSNSを見て依頼してくださる方が多かったですね。あと、当時はピンタレスト(画像イメージをもとに調べ物が出来るプラットフォーム)に僕の写真が多く保存されていたんですよ。「酒井さんの写真を拝借したらコンペに通りました」と僕に依頼をしてくださる方もいました。特に女優の三上愛さんをモデルに撮らせてもらった美容外科・アリシアクリニックの広告は、電車の中吊りにもなり、反響も大きかったです。

――なるほど。当時は出版にしても広告にしても、SNSで写真を見る世代が現場を作る機会が増え始めた頃だったのかもしれないですね。ちなみに週プレでの初仕事は2023年。Web連載『ポラリス ヒロインたちの肖像』と連動してリリースされた沢田京海(トメィトゥ)さんのデジタル写真集でした。

酒井 トメィトゥちゃんはseju所属の女のコ。別口で営業にも行かせてもらう機会もありましたが、僕がよくsejuの宣材写真を撮らせてもらっていたこともあり、週プレさんでは最初、seju所属のモデルさんの撮影をお願いしていただくことが多かった気がします。2024年にはseju号(2024年2月5日発売『『週刊プレイボーイ8&9合併号』)の撮影で沖縄ロケに行かせてもらいました。

沢田京海(トメィトゥ)『ポラリス 沢田京海(トメィトゥ)』表紙(左)/2024年2月5日発売『『週刊プレイボーイ8&9合併号』表紙(右)沢田京海(トメィトゥ)『ポラリス 沢田京海(トメィトゥ)』表紙(左)/2024年2月5日発売『『週刊プレイボーイ8&9合併号』表紙(右)
――seju号の沖縄ロケ、私も現場にいましたが、4人の集合写真(本誌の表紙写真)は他のカメラマンさんが撮影を担当。酒井さんは後ろで、誰よりも大きな声で「いいよー! かわいいよー!」と現場を盛り上げているのが印象的でした。本当はご自分でシャッターを切りたい気持ちもあっただろうに......と。

酒井 その声掛けは、完全に写真館時代の名残ですね(笑)。ただ、最初から僕はソロの撮影だけと分かった上でお受けしたお仕事だったので、悔しさは特になかったですよ。むしろ、グラビアの第一線で活躍されているカメラマンさんの現場を見られる良い機会だと思いましたし、自分には率先して現場を盛り上げる役割があると、脇目も振らず声を上げていました(笑)。

――なかなかそんなふうには出来ないですよ! SNS出身でキラキラしているイメージを持たれている方も多いと思ったので、写真では伝わりきらない酒井さんの頑張りを、この記事を通して伝えられたらと思いました。

酒井 ありがとうございます。わりと泥臭く頑張るタイプではあるんですよね(笑)。直接言われたことはないですが、業界の中では明らかに出方が違うので、変に誤解されないよう自分の見え方には気を遣っています。例えば、SNSを中心に活動していた頃は写真教室をやったり、メーカーさんのYouTubeチャンネルに出たりしていたのですが、ある時期から一切辞めました。"SNSの人"ではなく"写真を撮る人"というイメージに変えていかないと長くは続かないだろうし、写真の前に影響力で仕事をするのは、長く業界にいらっしゃるカメラマンの方に対して失礼じゃないですか。その甲斐あってなのか、最近はSNS経由ではなく、僕のお仕事を見てオファーしてくださる方が増えてきました。後々になって「酒井さん、こんなにフォロワー多いんですか!?」と驚かれるくらい(笑)。イメージが逆転し始めた今こそ、SNS出身の強みを活かした活動を広げても良いのかなと思っています。うまくバランスを取って、僕らしさにしていきたいですね。

――今は仕事の割合で言うと、何が多いんですか?

酒井 月によりけりですね。漫画誌含めグラビアは色々とやらせてもらっていますが、水着グラビア自体は意外と多くないんですよ。それこそ直近の水着グラビアといえば、週プレさんで「俺達のあざす。」さんくらい。「あざす。」さんは、もともとアー写を撮らせてもらっていた関係でもあったので、グラビアもご一緒できたのはすごくうれしかったです。「あざす!」って言いながら撮影していました(笑)。

俺達のあざす。(ゆい&ゆき)デジタル写真集『幼馴染の姉妹と沖縄旅行に来た結果』より俺達のあざす。(ゆい&ゆき)デジタル写真集『幼馴染の姉妹と沖縄旅行に来た結果』より
――今後はグラビアのお仕事を増やしていきたいですか?

酒井 まさに、グラビアのお仕事をもっと広げていくことは今後の目標のひとつ。そのためにグラビア用のブック(営業資料)を作っているところでした。水着も洋服も関係なく、やっぱり人を撮るのが好きなので、グラビアや写真集の仕事はどんどんやっていきたいです。僕は、自分とモデルさんとの掛け合わせで"写真が生まれる"感覚がすごく好きなんですよ。写真家としてはエゴが足りないと思われる方もいるかもしれませんが、「こう撮りたい」より「どう撮れるかな」で写真が撮れたとき、写真にハマった時の気持ちをありありと思い出すんですよね。

――人を撮る楽しさは、まさにそこにあると思います。

酒井 実は最近、自分でISBNコードを取ったんです。Being Record Publishingという小さなインディペンデントレーベルを立ち上げて、個人で写真集を作れたら面白そうだなって。その第一弾として、日本の銭湯文化をテーマに撮影したZINEを作りました。8月に台北で開催されるアートフェアに持っていく予定です。ご依頼を待つだけじゃなく、自分で写真集を作れるようになったら、撮れる写真の幅も広がると思っています。ゲームクリエイターに憧れた時から変わらず、何かを作るのはずっと好きなんですよね。「レーベルを立ち上げた」と言えるほど、まだ何もできていないのですが(笑)、今後の展開を見守ってもらえたらうれしいです。


●酒井貴弘(さかい・たかひろ) 
1986年生まれ、長野県出身。 
趣味=チャイ作り 
グラフィックデザイン会社やCM制作会社での勤務を経て、写真館に入社。フォトグラファーとして独立するために、2年間、毎日欠かさずインスタグラムの更新を続けた結果、フォロワーが急増(現在は17.7万人)。2019年に独立後、「私が撮りたかった女優展vol.3」の参加(女優・山田杏奈を撮影)、本間日陽1st写真集『ずっと、会いたかった』(光文社)をきっかけに、活躍の幅を広げる。2024年4月よりCo Agencyに所属。人物写真を中心に撮影を手掛けるほか、東京・恵比寿のアートギャラリー「see you gallery」のディレクターを務めるなど、幅広く活動中。

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