
吉本興業が唯一制圧できなかった......そうまことしやかに噂される沖縄は、県外の他地域と較べても異色のお笑い文化が根づく土地だ。その沖縄にあって更なる異彩を放つのがコント集団「お笑い米軍基地」を束ねる小波津正光(こはつ・まさみつ)である。
人間の鎖、ジュゴン、オスプレイ。沖縄が抱える様々な問題を、その矛盾も含めありのまま描き出し、笑いに昇華することで県民の喝采を浴び続けるお笑い米軍基地は今年春の辺野古沖転覆事故とどう向き合ったのか。中村計が現地から送るリポートの第2回。
果たして、小波津はどう調理するつもりなのか――。
今年、沖縄の米軍基地周りで起きた事故の中で、タイミング的にも、注目度としても、もっとも目立っていたもの。それは3月16日に辺野古沖で起きた抗議船の転覆事故だった。この船は修学旅行中の同志社国際高校の生徒を乗せていて、1人の女子高生が還らぬ人となった。
若い命が失われているだけに、非常にデリケートなニュースでもある。しかし、この事故に小波津が何も反応しないはずがなかった。

小波津は事故をいったん自分の意識の底に沈め、そこから表現というマグマが沸き出てくるのを待った。
「辺野古の事故が起きたとき、みんなわーっと言いましたけど、僕は早い早いと思ってました。今、言ってしまったら直感的なツッコミにしかならない。芸に落とし込むには、もう少し時間が必要だった。そうして、待って、待って、僕がようやく出した答えが、あの『ネオン街』というコントだったんです」

小波津は20代の頃、5年ほど東京で芸人修行に励んでいた時期がある。そのとき、時事ネタを得意とするコント集団、ザ・ニュースペーパーに出演したことがあった。
ザ・ニュースペーパーは1988年11月に誕生している。その頃、昭和天皇が重病となり、お笑いや音楽など「歌舞音曲」に関する番組やイベントがことごとく自粛に追い込まれていた。そこで、ならば自分たちで興業を打つしかないと3つのお笑いグループが集まり結成されたのがザ・ニュースペーパーだった。
当時、ザ・ニュースペーパーはそんな時世を逆手に取ったネタを作った。小波津が説明する。
「自粛、自粛でお笑いができなくなる中、客引きのコントをやっていたんです。歓楽街で客引きが『お笑いやってるよ』つって手を引っ張っていく。お笑い禁止だけど、地下でひっそりやってますよ、と。平和学習のネタを考えているときピンときた。今、これと同じ状況なんだな、って」
小波津が向き合ったのは若い命が失われた事故ではなく、その事故を境に沖縄の平和学習へ向けられる視線が急変したという現実だった。
辺野古の事故以降、沖縄の平和学習が偏見にさらされたことは否めない。抗議船に乗せられるというのは極端な例だが、大なり小なり何らかの偏った思想を植え付けられかねないのではないかという疑念が国内に広まった。
ある戦跡で平和ガイドを務める50代の男性が「平和学習」とは何かを端的に語る。
「ロシアとウクライナが戦争になりました。戦争はよくないと言うのまではいい。ただ、ロシアが悪いとまでは言ってはいけない。平和ガイドをやる人って、けっこう県外の人が多いんです。困ったことに県外の人ほど、行き過ぎたことをしゃべってしまいがちなんです」
その男性によれば、辺野古の事故以降、戦跡見学のキャンセルが相次いだという。
「いつも来ている学校がキャンセルしたり、突然、キャンセルの連絡があったりした。理由は教えてくれないので何が原因かはわからないですけど、普通に考えたら、辺野古の事故以外考えられないですよね」
この事故を受け、文科省は同志社国際高校の平和学習は、政治的中立性を定めた教育基本法に違反していると判断。その上で、法律の範囲内であれば「萎縮することなく進めていただきたい」とも付け加えている。
国が個別の学校教育に対し、教育基本法に違反していると示したのは初めてのことだった。萎縮とは言わないまでも、平和教育の内容の選定により慎重にならざるをえない状況を生んだことは間違いないだろう。
小波津もこう憂える。
「平和学習や、平和活動をしている人のところまで少なからず影響は出ている。そもそも、こういうことをしている沖縄がよくねえんだみたいな空気も生まれつつあって」
冒頭のコントの中で、小波津は、客に拒否反応を示されたおじーにこう叫ばせている。
「お前もあれか! 沖縄の平和学習をバカにするタイプか!」

このコントの矛先は、事故をきっかけに平和学習そのものまで色眼鏡で見られるようになった社会の空気へ向けられている。