韓国グルメシリーズその2。講義の翌日、ソウルの「聖水(ソンス)」地区で食べたミナリユッケ。セリが大量に載ったユッケ。これは美味かった! ちなみに韓国では、料理はこうやって真上から写真を撮るのが流行っている(いた)らしい。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第198話
韓国料理を囲んだ宴は、やがて大学院生たちの「学生相談室」に。博士号取得の厳しい条件や研究漬けの日々を知り、期せずして彼らの不安に向き合う。マッコリの夜に語った、研究と情熱と才能の話。
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【続・韓国料理をつまみながら学ぶ現代の韓国の大学院生の姿】
日本人と同様、あるいはそれ以上に、韓国人は礼節を重んじる傾向がある。やや過剰気味なリスペクトと、元来英語があまり得意じゃないという気質も、日本人のそれと似ている。
それらが相まって、食卓を共にするとか、酔っ払って気が大きくなるという事象が複合的に作用しないと、韓国の学生たちは、お客さんにはあまり積極的に絡んでこないようだ。絡みたくないというわけではなく、おそらく絡む手立てを探っているのではないかと思う。
たくさんの学生が会食に参加していたのに、ほとんどの学生が私に絡んでくるわけでもなく、目の前に並んだ料理を黙々と食べていた。彼らの会話はもちろん韓国語なので、私にはまるでわからない。こういうスタンスも、日本人学生のそれに似ているな、と思う。
なんだよ、私に何か聞きたいことがあってこの会食に参加したんじゃないのか? とすこし訝(いぶか)しがったりもしたが、社交性の低さについては私も人のことは言えない。
そのような状況を慮(おもんぱか)っても、私から特に積極的に学生たちに絡むこともなかった。私の話がヘタすぎるせいもあるのかもしれないが、こちらから気を遣って絡んで疎まれることも、日本ではままある。そして、それはそれでこちらとしても傷つくのである。
そんな状況分析と自己完結を経て私は、目の前に並んだ韓国料理に舌鼓を打ち、マッコリを飲み、ナムとのアホな話に興じたのであった。
【韓国料理をつまみながら学ぶ現代の韓国の大学院生の姿(2次会)】
そして2次会。お腹が満たされたほとんどの学生たちは姿を消し、1次会から席が近かった、私とナムの(中身のない)話に熱心に耳を傾けていた数名の学生だけがついてきた。
2次会はマッコリの老舗だった。「雨が降ったらチヂミをつまみながらマッコリ」というのが韓国の習わしなのだという。そのせいもあってか、その店はやたら混んでいた。
ちなみに、日本では馴染みのある韓国料理「チヂミ」であるが、これは韓国のある地域の方言での呼び名で、一般にこの料理は、「プッチムゲ(buchimgae)」あるいは「ジヨン(jeon)」と呼ばれるらしい。
であるからして、調子に乗って「チヂミジュセヨ(チヂミください)」などと韓国語で注文しても、通じないことの方が多いのである。
学生たちにも適度に酔いが回ってきたのだろう、1次会とは打って変わって、2次会はナムの学生たちからの「学生相談室」となった。相談相手はもちろん私である。
そこでまず驚いたのが、彼らソウル大学大学院生の博士号の取得要件である。現在の私が所属する東大、私が博士号を取得した京大のどちらもそうだが、「学術論文を1報、筆頭著者で発表する」というのが、よくある日本の生命科学・医学の博士号の取得要件である。
それに対して、ソウル大学の彼らは、学術論文は最低2報、筆頭著者で発表する必要があるという。
また、それぞれの学術雑誌には、「インパクトファクター(『IF』と略されることが多い)」と呼ばれる「点数」が付けられている。IFとは、「ある学術雑誌が、直近2年間に掲載した論文が引用された回数を、同じ2年間に掲載された論文の数で割った値」である。
つまり、『ネイチャー』や『サイエンス』、『セル』のような、一般にも知られるようなが学術雑誌は、総じてIFが高い。そして、IFが高い雑誌に自分の論文が掲載されれば、たくさん引用されやすい。
かたや、IFが低い雑誌(実は、学術雑誌は無数にある。誰も知らない・読まないような雑誌もたくさんある)に論文が掲載されても、それはほとんど読まれる機会がないので、他の論文で引用されづらい。IFとは本来、そういうことを推し量るための指標である。
このIFという点数に基づいた評価の是非については、ここでは深い言及は避けるが、要は学術雑誌には、このIFの点数に基づいたランキングがあるのである。IFの点数が高い雑誌ほど、論文の審査は厳しく、掲載されづらい傾向がある。要はある種の「ブランド」である。
注目度が高い(=たくさんの人が読む、期待する)雑誌であるほど、掲載に足る内容を含んだ論文を掲載する必要がある。そうなると必然的に、そこでの選別が厳しくなり、競争率が上がる。そしてそれによって、掲載された論文に付加価値が、それを掲載した学術雑誌にブランドが生まれる。というのが、昨今の生命科学業界の市場原理になっているのは事実である。
閑話休題。そして、懸案のソウル大学の大学院生たちは、博士号の取得のために、発表した2報の学術論文の合計IFが10以上、というノルマを課せられているというのである。
正直に言って、これはかなり厳しい。ちなみに私の知るかぎり、東大でも京大でも、IFの点数を学位取得要件に採用しているところは日本にはないのではないか。
学術雑誌のIFの数値は毎年変わる(過去2年間の数値から計算されるので)ので、私が京大で学位を取得した時、これを満たすことができていたかどうかは正直かなり際どい。
また、これまでに私が指導して、博士号を取得した学生のうち、これを満たすことができた学生が果たして何人いたのか、というのも正直かなり際どい。おそらく、東大、京大全体でも、この「論文2報、合計IFが10以上」という基準を満たして博士号を取得した大学院生はかなり少ないのではないか?
そうなると当然、博士号を取得するまでに費やす時間も長くなる。実際、ナムが所属するソウル大学の研究科では、博士号を取得するまでの大学院の期間(修士・博士を含めた期間)は、6.5〜7年であるという。
日本の場合、修士課程は2年間、博士課程は3〜4年間(通常の理系の博士課程は3年間、学部が6年ある医学・獣医学・薬学の博士課程は4年間)である。単純計算で、日本のそれより1年近く長くなっている。それも「平均」である。
そんな話を聞いて、私は文字通り仰天した。
昨今、欧米や日本を含めた大学院生たちが、QOLを重視し、「健全な生活」を求める傾向が強くなっていることは、いろいろなところでよく耳にすることである。要は、平日は朝は9時から夜は17時まで、週末は休み。というような「カレンダー通り」の生活スタイルである。
そのような生活スタイルや思考、QOLの変化に、異議を唱えるつもりはもちろんない。それが時代の変化というものだろうし、むしろ私たち「教員」の側が、そのような状況の変化に適応していかなければならないということもわかっている。
しかし翻(ひるがえ)って、その是非を問うのではなく、あくまでひとつの例として併記しておくと、私を含めた旧世代が大学院生時代を過ごしていた頃は、研究室に寝泊まりして実験するのはさほど驚くべきことでもないし、「不夜城」なんて言葉もよく耳にした。
週末や祝日も普通に研究室に足を運んだ。しかし昨今、そのような姿勢を求める学生は減り、また、そのようなことを言及・強要することはハラスメントに該当するので「タブー」となっている。これは日本だけではなく、おそらくどの先進国でも見られている現象だろう。そして繰り返しになるが、そのような状況に対して異議を唱えるつもりはないし、私や私の世代が正しかったと言うつもりもない。
しかしそれが、ここソウル大学ではまるで違うようだった。
「毎日研究室に篭(こも)ってばっかりで、流行やファッションにはまるで疎い。こんな私でも将来やっていけるんでしょうか」
「自分の研究のことにはめちゃくちゃ興味が湧くんだけど、それ以外のことは別に...... 『APT.(あぱつ)』ってなんですか? 知っとかなきゃダメですか?」
余談だが「APT.」とは、K-POPの世界的ユニット「BLACKPINK」のロゼ(Rose)というボーカルとブルーノ・マーズのコラボ曲で、2024年にリリースされ、世界的ヒットとなったポップソングである。
母国語が通じない、ということが逆に、何でも聞ける、という安心感を生み出したのかもしれない。彼らは、自分が聞きたいこと、不安なことを、英語に訳して私にぶつけてきた。
昨今、このような学生に日本やヨーロッパで出会うことはほとんどない。まるで浦島太郎のような気分を覚えた私は、マッコリで満たされた頭の中でできるかぎりの英単語を絞り出し、英文を構築して、彼らにこう伝えた。
「流行やファッションなんて、君の将来にまるで関係がない。目の前に自分の『情熱』を注げるものがあるんだったら、それに何の問題があるんだ? それはとても素晴らしいことだし、それに熱中できることより大切なことはないと思う。
そのために『努力』ができるということ自体が君(たち)の才能なのだから、そこに疑問を感じる必要なんてまったくない。そのままでいい」
彼らは、誰かに強要されてそのような生活を送っているわけではなかった。自分の「熱意」に素直にしたがって生活をしていたら、それが周囲の足並みとずれていることにはたと気がついた。そしてそれで不安になっていたのだ。
本人に自発的な「情熱」があって、そのために「努力」することもできているのであれば、それはもうそれだけで「才能」である、と私は思っている。それをストレートに彼らに伝えた。
良かったな、ケイもそう言ってるぞ、とナムに声をかけられて、はにかみながらマッコリをすする学生たち。その姿はとても印象的だったし、マッコリに満たされた私の脳裏にもはっきりと残っている。
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