板倉滉が川崎に凱旋!

来年の北中米W杯出場の立役者、日本代表でボルシアMG所属の板倉 滉。24-25シーズンの独1部ブンデスリーガでもクラブの主軸として大活躍。オフシーズンを迎えて日本に戻るも、その姿は"故郷"川崎フロンターレのグラウンドにあった。

所属先ボルシアMGのコーチ陣とともに、地元の小学1~4年生の計80人の子供たちを指導するコラボレーションに参加。未来のサムライブルーたちとのトレーニングキャンプを密着リポート。

小学生にコーチングする板倉

■ドイツ人コーチ考案の"頭脳的練習"を通訳。子供たちに熱血指導

5月の終わり、川崎フロンターレ(以下・川崎F)の練習場・麻生グラウンド。あいにくの空模様にもかかわらず、小学1~2年生40人、3~4年生40人がそれぞれ集まった。板倉が所属するボルシアMGからコーチ陣を招へい、記念すべき第一回コラボ企画『Frontale×Borussia M'Gladbach friendship 1day Clinic』が開催。板倉は感慨深そうにこう語った。

「まさか、ボルシアMGのメンバーとして古巣の川崎Fにこうやって帰って来られるなんて思っていなかったです。こういったつながりができるのはうれしいですね」

雷が鳴るまで雨の中、指導を続けた板倉

ボルシアMGアカデミーのヴォルフガング・ハイルマンコーチが中心となってメニューを考案。たとえば、小学1~2年生ならば、瞬発力や反射神経を鍛えるねらいで、グリッド内でOF、DFがお互いに向かい合って同時に走り出し、相手にタッチできるかなど、なかなか凝った内容。

ただし、途中で雷雨により中止となってしまった。が、板倉たちはそこで終わらせることはなかった。

「サッカーができる時間が短くてかわいそうだなと。そこで、質問大会を開くことにしたんです。サッカーのことを詳しく聞いてくる子もいれば、好きなポケモンのキャラクターは? とかいきなり聞いてくる子もいて。とっさにピカチュウとしか答えられなかったですね(笑)。でも、みんなかわいかった」

板倉は小学生とのコミュニケーションを絶やさなかった

雨足が弱まったところで、小学3~4年生のクラスがスタート。こちらも頭脳的なトレーニングが実施された。

例えば、2人のOFが1人のDFとマッチアップ。シュートで終われなかったアタッカーはそのまま残り、新しく入ってきた2人のアタッカーに対して守備をするといった具合。複雑かつ体力的にもハード。子供たちにルールを訳して丁寧に説明、鼓舞する板倉の姿が印象的だった。

「かなり内容的にも体力的にもハードなメニューでしたよね。ああいうキツめの練習は、僕らトップチームでもけっこうやらされるんですよ。僕としてはうまく内容を伝えてあげたいという想いだったので、しっかり丁寧に説明することにしました。結果、子供たちが楽しそうに、頭を使って一生懸命練習をやってくれたので、それがなによりでしたね」

小学3~4年生の中には、思わず唸ってしまうような技術を見せる生徒も。巧みなドリブル、冷静な判断でパスカット、激しいスライディング......。川崎Fのスクールに通っているという小学3年生の生徒は「板倉選手のように、将来は日本代表でDFをやりたい」と目を輝かせていた。

自身もフルで練習に参加し、小学生に手本を見せた

06年、新小学4年生でジュニア(U-12)一期生として川崎フロンターレに入った板倉は、2025年の子供たちをどう見ているのだろう。

「僕も4年生で入ってきたとき、細かいボールタッチやパス、リフティングの反復練習をずっとやっていたので、子供たちの姿を見て、20年前の自分をふと思い出しましたね。川崎Fの選手たち、それこそ鬼木達さんや中村憲剛さんとかに憧れて、自分もいつかはプロサッカー選手になりたいって。

3~4年生の子たちは、巧い子がけっこう多かった。ボールタッチひとつ見るだけでそれはすぐにわかります。今の子たちはひとつひとつ真剣に取り組むし、しっかり人の話も聞くし。集中力がある。日本サッカーの未来は明るいですね」

とにかくボールに触ることの大切さを板倉は説明した

●板倉 滉(Ko ITAKURA) 
1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。DF 身長188cm 
川崎Fで育ち、19年1月、マンチェスターCに移籍。レンタルで蘭1部フローニンゲンへ移り、20-21年シーズンに年間最優秀選手賞。21年-22年シーズンからは独2部のシャルケで、22年よりブンデスリーガのボルシアMGでプレー、日本代表でも26年北中米W杯最終予選で大活躍、出場権獲得に貢献。
公式X【@kougogo1270】 
公式Instagram【@kouitakura】 

板倉 滉

高橋史門

高橋史門たかはし・しもん

エディター&ライター。1972年、福島県生まれ。日本大学在学中に、『思想の科学』にてコラムを書きはじめる。卒業後、『Boon』(祥伝社)や『relax』、『POPEYE』(マガジンハウス)などでエディター兼スタイリストとして活動。1990年代のヴィンテージブームを手掛ける。2003年より、『週刊プレイボーイ』や『週刊ヤングジャンプ』のグラビア編集、サッカー専門誌のライターに。現在は、編集記者のかたわら、タレントの育成や俳優の仕事も展開中。主な著作に『松井大輔 D-VISIONS』(集英社)、『井関かおりSTYLE BOOK~5年先まで役立つ着まわし~』(エムオンエンタテインメント※企画・プロデュース)などがある。

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