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元Jリーガーで、現在は秋元康プロデュースの昭和歌謡グループ・SHOW-WAのメンバーとして活躍する青山隼の連載「果てしない延長戦」。現役時代の先輩や戦友をはじめ、各界で活躍する方をゲストに招き、「人生の転機」や「次への挑戦」をテーマに熱く語り合う。
今回のゲストは、サッカー元日本代表の柏木陽介さん。前編では、2人の出会いやU-20日本代表時代の思い出、浦和レッズでの再会について語ってもらった。
――2007年にU-20日本代表として「U-20ワールドカップ(カナダ大会)」に出場した同世代のお二人。お互いの第一印象はどうでしたか?
青山 当時、陽介が所属していた広島ユースは黄金期だったので、大会日本一を取れるような選手という印象でした。ユース界隈で注目といえば「広島の柏木、槙野(槙野智章)」と言われ、U-20で一緒になったときは「あの柏木がいる!」と思って。
柏木 アオ(青山)は早くから代表組だったけど、俺は初めての代表入りで。ただ、チームとか試合のこととか昔のことってほとんど覚えてなくて。ここに槙野がいたら、全部ちゃんと話せると思うんだけど(笑)。
青山 当時2人で話した思い出ってある? みんな一緒のときは喋るけど......。
柏木 アオとはダブルボランチだったけど、2人で話すってことはなかったかも。グループが違うとういか、俺は安田(安田理大)とか太田(太田宏介)みたいなうるさい奴らと行動していたからね。アオが現役を引退してからこうやって喋ったり飲みに行ったりするようになって、「こんなに喋る人だった? こんなに明るいやつなんや!」って知ったぐらいだから。
青山 そうなんだ(笑)。代表戦のとき俺とかはホテルで待機していたけど、陽介たちのグループは「スタバ行こうぜ!」って街に繰り出したり、寝坊して走らされたりしていなかった?
柏木 そう(笑)。だけど、サッカーはちゃんとしてたよね?
青山 うん、ちゃんとしてた。わちゃわちゃしてふざけすぎちゃうと、当時の代表コーチだった森保さん(森保一)に怒られるからね(笑)。

――本大会ではグループリーグを無敗で突破し、結果はベスト16。「ビリーズブートキャンプ」など賑やかなゴールパフォーマンスも話題になり、"調子乗り世代"と言われていました。
柏木 パフォーマンスを含めてサッカーを盛り上げられて良かったなって思う。ただ、もうちょっと上に行けたよなって悔しさもあって、大会が終わったときは寂しかったもんね。
青山 パフォーマンスも試合展開もいい意味で"調子に乗っている世代"っていうか。今でも番組のスタッフさんから「青山さんって調子乗り世代ですよね?」って言われることあるよ。
柏木 そのワードがずっと残っているのは嬉しいよね。当時も「調子乗っていこうぜ!」って熱量でみんなやっていたから。
――青山さんは「U-20のときは全部が楽しかった」って言っていましたが、チーム全体の雰囲気もやっぱり良かったんですか?
柏木 はい、どこ行っても楽しかったのは間違いないですね。ワールドカップの最終予選でインドに行ったときの環境は最悪だったけど(笑)。
青山 ホテルの衛生面も良くなかったし、ご飯もまともに食べられない。予選の前に1回現地入りしたんですけど、みんなでお腹を壊して......。
柏木 日本から持って行った「サトウのごはん」と味付けのり、ふりかけを食べるしかなくて。あと試合中、ピッチに犬が入ってきて! 当時は"THEインド"って感じの過酷さやったね。でも俺は、1回も体調崩さなかった! インドで無双していました(笑)。
青山 確かに(笑)。レッズ時代もそうだけど、アジア予選やU-20のときは完全にチームの中心だったから。彼をどう活かすかっていう"柏木陽介のチーム"だったなって思うよ。
柏木 自分でいうのもあれだけど......俺のチームだった(笑)。中盤として俺が攻撃的ミッドフィルダーで、アオがディフェンシブミッドフィルダーとして支えてくれていたから安心して攻撃にいけたっていうのもあるし。
青山 内田(内田篤人)とかもそうだったけど、すでにJリーグでも活躍していたから自信を持ってピッチに立っていたように見えた。陽介から攻撃のスイッチが入る感じで、それが本当に頼もしいしいつも中心にいたかな。
柏木 ただ、そこまでだったから。この大会のあとに東京に行って遊びを覚えるっていう(笑)。
青山 あ、あの話か(笑)。U-20ワールドカップの翌年に北京オリンピックがあって、最終予選も出ていたよね? あの頃、髪を銀髪にしていたの、めっちゃ覚えてる!
柏木 最終予選のメンバーに選ばれて、中盤の誰よりも試合に出てた。だけど、20歳になってオフに東京へ連れて行ってもらったら、芸能人にいっぱい会えて楽しくなっちゃって(笑)。東京で遊び続けた結果、2週間で8キロも太っちゃって! 香川(香川真司)が「絶対日本代表になって世界で活躍します!」って上を目指す中、俺は自分の重さに耐え切れずアキレス腱痛になり......、そのまま北京オリンピック落選。東京が俺をダメにしたって話は、マジなんだよね(笑)。
青山 いやいや(笑)。北京オリンピックのメンバーからは外れたけど、そこからまたA代表になったからね。ダメになってないし、やっぱりすごいよ。
青山 陽介って派手なイメージがあるかもしれないけど、本当はすごく真面目で繊細。言葉とは裏腹に"気にしい"なところがあってそれはプレーにも出ているし、だからこそ人として信頼できるんだよね。今回の対談では、五輪落選の葛藤やレッズ退団の話、FC岐阜で引退するまでの心境を聞きたいなと思っていて。
柏木 プロサッカー人生18年、最初から試合に出続けていたし、周りから見れば「順風満帆でいいサッカー人生だったね」と言われるかもしれない。でも、オリンピック落選のときは相当落ち込んだし、そのあと移籍したレッズでは試合に出ても全然勝てなくて、それこそネットの誹謗中傷がエグかったときもあって。
青山 俺がレッズに移籍した頃、2011年だったと思う。俺はメンバー外だったけど、陽介とか啓太さん(鈴木啓太)は主力として試合に出ていて。今でもよく覚えているのは、チームの中心にいた陽介が外されてこっちの練習に来たことがあって。当時は、監督との関係性や自分のプレースタイルに悩みながらチームのことを考えていて、精神的に参っているように見えたというか......。
柏木 過去を振り返ると、あの頃の自分が一番嫌いだったなって思う。試合に出られなくても必死に頑張っている選手たちがいる中で、メンバーから外されただけでイライラしちゃって。家に帰りながら「あんなこと絶対言っちゃダメだ」と反省するけど、サッカーに関してだけは思い通りにいかないと感情を抑えられなくて。チームがうまくいかないからと文句を言って、他の選手たちにすごい迷惑かけたなって思う。あのときはほんとに苦しかったし、誹謗中傷がひどくなって「死ね」「殺すぞ」なんて言葉がいっぱいきていたから。
青山 そこまで言われていたなんて、知らなかった......。周りに弱いところを見せないけど、先輩たちも「陽介がやばい」って心配していたし、相当大変だろうと思っていたよ。当時の自分は、J2から移籍してきて「やっと陽介と同じフィールドに立てる」と夢見ていたけど、自分の実力が通用しない辛さがあって。対照的だけど、それぞれの環境でみんな必死に戦っているんだと痛感した一年だった。

――レッズ時代に話したことなど、何か覚えていることはありますか?
柏木 いや、ほんと喋ってないよね。練習場の近くにあるガソリンスタンドで、アオが車に女の子を乗せているところは見たことあるけど(笑)。
青山 なんでそれは覚えているの(笑)。当時は結果を残せていない悔しさとかプライドがあって、うまく喋れなかったんだと思う。
柏木 それぞれのプライドがあるから、同世代からサッカーのことを言われることほど嫌なものはないし。お互い気にはなっていたけど、俺自身もうまくいかない時期だったから気を遣わせていただろうし。23歳とかでまだ若かったし、いろんな感情のバランスがあったんだと思うよ。
青山 そんな辛い状況を乗り越えてチームを盛り上げていったけど、昔からそうやってすぐポジティブに切り替えられるタイプだったの?
柏木 いや、俺は基本的にネガティブだよ。「今日いいプレーしたじゃん」って褒められても、自分の中では「まだまだだ。もっとできるはず」って常に思っていて。でも、その自己採点の低さがあったから「誰よりもうまくなりたい」気持ちを途切れさせずに、サッカー人生を長く続けられたんだと思う。日々の生活がどうであれ、ピッチの中では100%で取り組む。ダメなポイントを自分の中で整理して、また次に向かうっていうスタンスだったかな。
青山 番組とかで「自分はサッカーがうまかった」って言うことがあったけど、裏ではちゃんと向き合っていたってこと?
柏木 いや、うまかったと思う。強くなりたい思いは人一倍あったけど、美味しいご飯が食べたい、遊びたいっていうサッカー以外の欲にもちゃんと負けていた(笑)。良くも悪くも、それが「柏木陽介」だなって思う。ただ、昔から「人を大事にして生きる」ということは徹底してきたんかなと。サッカーではダメな部分が出ることもあったけど、プライベートで人に嫌な思いをさせることだけは絶対にしたくなかったから。
青山 確かに、陽介の周りにはいつも人が集まるよね。
柏木 レッズの先輩、ツボさん(坪井慶介)やヒラさん(平川忠亮)に、「お前がそんな態度を出すな」「やりすぎやぞ」って何回も怒られてきたからね(笑)。ミスをしたらちゃんと謝って、逃げずに向き合ってきたからこそ今でも仲良くしてもらえている。たぶん、みんなの頭の中には「柏木陽介は失敗するやつ」って思われているんかな(笑)。
青山 壁にぶつかって失敗してもすぐ上がっていく強さがあるよね。
柏木 しんどいことはたくさんあったけど、すべてに意味があるとめっちゃ思っていて。最悪な状況になってもそれを回復できるのは自分次第。また前を向いて、周りから信頼してもらえるような行動を続けてきたから乗り越えられた。サッカーを通して、「人は失敗をしないと成長できない」ということを改めて教えてもらったなと感じているよ。

●柏木陽介(かしわぎ ようすけ)
1987年12月15日生まれ 兵庫県出身
◯高校生からサンフレッチェ広島ユースに所属し、2006年にプロデビュー。U-20日本代表の他、A代表にも度々選出され、Jリーガーとしてはサンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜で活躍。2023年に現役引退。現在は「FC岐阜ファミリー Value Accelerator」としてチームを盛り上げるほか、地域貢献やイベント出演など幅広く活動中。
公式Instagram【@ yosuke_kashiwagi】
●青山隼(あおやま じゅん)
1988年1月3日生まれ 宮城県出身
◯2006年にプロデビュー。U-20日本代表経験を持ち、Jリーガーとして名古屋グランパス、セレッソ大阪、徳島ヴォルティス、浦和レッズでプレーし、2015年に現役引退。その後は、俳優として舞台やドラマ等に出演。現在は、秋元康プロデュースの昭和歌謡グループ・SHOW-WAのメンバーとして活動中。ラジオ『SHOW-WA寺田&青山の青春時代を取り戻せ!』(CBC、毎週日曜22:00~)レギュラー出演中。2026年10月1日(木)にはSHOW-WAとして初となる日本武道館での公演が決定!
公式X【@jun_aoyama1988】
公式Instagram【@jun_aoyama_show-wa】