
榊淳司
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住宅ジャーナリスト。1962年京都府生まれ。同志社大学法学部および慶應義塾大学文学部卒業。バブル期以降、マンションの広告制作や販売戦略立案などに20年以上従事したのち、業界の裏側を伝える立場に転身。購入者側の視点に立ちながら日々取材を重ねている。『マンションは日本人を幸せにするか』(集英社新書)など著書多数
6月16日、政策金利を31年ぶりとなる1%に利上げした日本銀行
6月16日、日本の政策金利が0.75%から1.00%に引き上げられた。2023年春の就任以来、「異次元金融緩和」からの脱却に取り組んできた日本銀行・植田和男総裁のあまりにもスローな決断であった。
しかしながら、日本の政策金利はともかくも最低限に「金利がある状態」と言える「1%」に戻った。1995年9月以来、約31年ぶりの「正常化」である。あまりに長く続いた日本の「金利がない」時代。この異様な状況は、日本経済の様々な分野に「歪み」を生じさせてしまった。中でも、もっとも歪んだのは不動産市場ではないか。
ここではみなさんにもっとも身近な住宅市場の中でも、不自然に歪み切った東京とその周辺のマンション市場について考えてみたい。
ハッキリ言って異次元金融緩和が始まった2013年以来、マンションの価格は高くなりすぎた。それはつい最近まで続く傾向だ。
不動産経済研究所が発表している2026年4月の東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の 1 都 3 県で販売された新築マンション販売価格1戸当たりの平均価格は 8,736 万円である。また、国土交通大臣の指定機構である東日本レインズの統計によると、同4月の首都圏での中古マンション成約価格は1戸当たり5,321 万円。いずれも高止まり傾向である。
東京都在住の給与所得者の平均年収がおおよそ600万円前後だとすると、年収倍率は新築で約14.5倍、中古でも約8.8倍である。
住宅ローンの融資限度額は各金融機関の基準や借入希望者の属性にもよるが、通常のサラリーマンだと年収の7倍が目安である。現状の価格水準では新築、中古ともに全額借入での購入は不可能。年収600万円のサラリーマンが販売価格9千万円の新築マンションを購入しようとすれば、5000万円近い自己資金を用意する必要がある。かなり現実離れした条件だ。
ところが、実際のマンション市場では販売価格がゆうに1億円を超える新築や中古のマンションがわりあい好調に売れている。なぜか?
その理由は大きくふたつ。ペアローンと40年や50年という長期返済ローンの普及である。
ペアローンとは若い夫婦がお互いに連帯保証をしながら住宅ローンを借り入れること。夫婦合わせての年収(世帯年収)が1500万円なら、その7倍は1億500万円。「億ション」の購入も可能になる。
住宅ローンは10年ほど前まで最長で35年が普通だったが、最近では返済期間が40年や50年というのも珍しくなくなってきた。6月4日の日本経済新聞の報道によれば「3人に1人」が35年を超える返済計画で住宅ローンを借りているそうだ。また、ペアローン返済を選ぶ割合が4割に達した、との報道もある。
しかし、これらの傾向はあまりにも無謀と言わざるを得ない。
ペアローンや35年を超えるような長期返済で住宅ローンを借り入れた場合、以下のような前提条件をすべて満たさねば完済が困難になる。
・変動金利で借り入れた場合、低金利が未来永劫続く
・ペアローンを組んだ夫婦は離婚しない
・自分たちの収入はいつまでも減らないか、増える
・購入した住宅の流通価格はローン残高を下回ることはない
・管理者 修繕積立金 といった日常のランニングコストが大きく上がることはない
すでに、金利は上昇している。日本銀行総裁が植田氏に変わってからのこの約3年間で、政策金利はゼロまたはマイナスから1%にまで上昇した。これに合わせて住宅ローンの金利は各種ともに1%前後上昇するのが金融のセオリー。返済額もそれに合わせて増えるはずだ。
厚生労働省が発表した「令和7年(2025)人口動態統計(概数)」によると、2025年の日本の結婚数(婚姻件数)は48万9,119組、離婚数(離婚件数)は17万9,068組。つまり、3組に1組以上の夫婦が、将来離婚する可能性が高い。ペアローンで住宅を購入した夫婦が離婚すると、その処理はかなり複雑で困難になる。
雇用情勢も、この先どうなるかわからない。東京商工リサーチによると、日本の企業倒産件数(負債額1,000万円以上)は、2025年度(2025年4月~2026年3月)で10,505件となり、2年連続で1万件を突破。2013年度以来12年ぶりの高水準となっている。現状の日本の景気はそう悪くないが、思わぬ事態が襲い掛かる可能性もあり得るのだ。
幸いなことに、東京周辺ではマンション価格が下落しているという確かなデータ的根拠はない。しかし、不動産業界周辺では近頃、悲観的な見方が多くなっている。
一方、マンションの管理費や修繕積立金が上昇傾向にあることは各種報道からうかがえる。人手不足や資材費高騰が主な原因だ。つい最近では中東情勢によってナフサ由来の塗料や接着剤など建築関連の化学資材が不足し、マンションやビルなどの建築スケジュールが大幅に遅延...、といった不安材料も出てきている。
仮に住宅ローン等の返済に行き詰まった場合、もっともカンタンな解決法は売却によるローン精算である。実際、ペアローンで購入したマンションを売り出すケースも増加傾向だ。
マンションを投資目的で購入していた人々にとっても、金利の上昇は大きなマイナス材料だ。返済額の増大は彼らの計画を狂わせている。「価格下落前に売り抜けよう」という動きは今後、加速すると予測できる。
このように金利の上昇は実需、投機の両面で「売り」を増やす強力な要因になる。実際のところ、前出の東日本レインズの統計資料によると、首都圏における中古マンションの在庫数はジワリとした増加傾向がうかがえる。
今後の中古マンション市場のベンチマークとなるとみられる晴海フラッグ
こういった状況下、中古マンション価格の下落の象徴となりそうなのが東京五輪の選手村が4145戸の新築マンションとして分譲された 「晴海フラッグ」である。
新築分譲時は最高で数百倍の人気を誇った あのマンションとその近辺では近頃、違法民泊や白タクへの取り締まりが話題になっている。さらに市場に売り出される住戸数も常に数百戸規模の高水準状態が続いている。売り物が増えて買い手がいなくなると価格は自動的に下がるのはマーケットの原理である。
この晴海フラッグこそは、今後の東京の中古マンション下落のベンチマークとなりそうである。つまり、長らく続いたゼロ金利状態によって吹き上がるように価格が上昇した東京のマンション市場を象徴するような物件なのである。
何よりもネット上での露出度が高いことが、市場観察のベンチマークとしてふさわしい。分譲開始時より今に至るまで常に注目を集めてきた物件が晴海フラッグなのだ。
このマンションはこれまで「買い」を煽(あお)る一部のインフルエンサーによるポジショントーク的な情報がネットにあふれていた。
さらに、AIの普及が人気を後押ししたことも否めない。AIが晴海フラッグのようなネット上の注目物件の資産価値を評価する場合、前出のインフルエンサーなどが垂れ流す肯定的な情報を拾い集めて再編成していると思われる。その分、市場価格がバブル的に吹き上がった可能性が高い。
しかし、今回の利上げにはそういう「宴」に冷や水を浴びせる効果がある。
ネット情報に踊らされて舞い上がったバブル価格は、金利という冷たいシャワーを浴びて、一気に氷河期に向かうことも考えられる。東京の中古マンションの動向を占う試金石は、晴海フラッグである。今後とも大いに注目したいところだ。