会津泰成
あいず・やすなり
会津泰成の記事一覧
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
2026年5月2日、東京ドームで開催されたボクシング興行の第4試合、OPBF東洋太平洋ウエルター級タイトルマッチは、挑戦者の佐々木尽が王者・田中空に2対1で判定勝利し、王座に返り咲いた。最後までおたがい譲らない戦いは、メインとはまた違う熱を帯び、日本ボクシング史に残る1日、「THE DAY」を5万5000人の記憶に刻んだ。
無敗の難敵王者に勝利し、世界初挑戦で喫した敗北に区切りをつけ、ふたたび世界を目指す若きボクサー。その歩みを支えるベテラントレーナー。これはそんなふたりの、『決別』と『序章』の物語である
* * *
©会津泰成
7ラウンド終了時点での採点は、空から見て、66対67、64対69、そして65対68。ジャッジ3者すべてが尽を支持していた。
空は、主導権を完全に握られた。 それでも、空は貫いていた。
意地だけではない。プロのリングに立つボクサーとしての誇り。父でトレーナーの強士もそれを見守り、信じた。
「あそこで作戦を変えて下がったところで、もっと印象は悪くなったかもしれないです。押し切った方が、押し切って打ち込んだ方が、印象は悪くならないんですよね、あのパターンであれば」
試合はこのまま終わるのか。 8ラウンド。 空はふたたび、リングの流れを動かそうとしていた。
「ラウンド、エイト!」
先に仕掛けたのは尽だった。開始5秒、左ジャブから右ストレートを放つと、続けざまにもう一度、左ジャブを突く。そして、ゆるやかにアーチを描くようにして右ストレートを伸ばした。さらに短い右フックをフェイント気味に見せ、返しの左フックをボディへと打ち込む。最後は左ジャブで間合いを整えて、次の攻撃に備えた。
緻密に組み立てられた、5秒間の7発。
「一発KOできる力はあっても、ボクシングは粗い」と言われ続けた尽の姿はなかった。練習ではできても試合ではなかなか出せなかった技術を、ひとつずつ表現していた。
空は待っていた。
被弾に耐えながら、尽の打ち終わりを狙っていた。開始45秒、左手のグローブのひらで尽の顔を横から押さえつつ、右のアッパーを突き上げた。1発。続けて2発、3発。尽はやや後退。空はにじり寄り距離を詰めると、軽くタッチするようなパンチを連打。タイミングをずらして右アッパーを突き上げた。
バランスを崩した尽は、顔の前でガードを固めて右に移動した。 反撃の左フックを打った際にのぞかせた顔は、鼻のあたりが激しい鮮血で染まっていた。
「8回は空のほうが押していた。あそこはチャンスだったかもしれない。実際、あとで確認したら、ジャッジの採点も同じでした。試合中も、8回、9回は明らかに空がとれたと思っていました」
鮮血に染まった尽の顔に、空は容赦なくアッパーを連打した。
「めちゃくちゃ気持ちよかったですね」
©Lemino/SECOND CAREER/NAOKI FUKUDA
5万5000人の大観衆に囲まれながらリングへと続く花道を歩いた時間を、空はそう振り返った。 入場曲は映画『ワイルド・スピード MEGA MAX』のラストシーンで流れる『Danza Kuduro』。中学生の頃、映画を観たとき心に刺さり、「自分がプロになったら使おう」と決めた曲だ。 東京ドームの花道で聴いた『Danza Kuduro』は格別だった。
楽曲の響き、それを包む歓声の大きさ、そして光の演出。 とにかくすべてが驚きで、圧倒的だった。
2年前の東京ドームは、一スタッフとして観戦した。大学卒業後に大橋ジム入門し、プロテストに合格してまだ1か月ほど。当時はまさか2年後、花道を歩いてリングに上がり、5万5000人の前で戦う当事者になれるとは、夢にも思わなかった。
空は打ち続けた。 前に出て、『Danza Kuduro』のラテンのリズムのように小気味よくパンチを刻み、尽の攻撃の隙間を突いてカウンターを合わせた。『ワイルド・スピード MEGA MAX』に登場するマシンの疾走感と荒々しさを拳に乗せたようなアッパー、フックをひたすら打ち続けた。
8ラウンドに放ったパンチは117発。それは意地というよりも、誇りだったのかもしれない。空はこのラウンド、3人のジャッジ全員から支持を勝ち取った。
2026年6月1日――。
尽は1か月ぶりに練習再開した。八王子中屋ジムをたずねると、サンドバッグの前で廣隆とふたり、パンチの軌道を確認していた。勝利はできた。だが、ダウンは一度も奪えなかった。試合後の会見、尽は「倒せなかった。負けに等しい勝ち方」と悔しさをにじませ、廣隆も「保険にかけたような勝ち方」と、喜びの表情は一度も見せなかった。
なぜ倒せなかったのか――。 それは一か月経ったいまも、尽のなかで大きな課題として残っていた。
©会津泰成
「尽、肩の位置を一度引いて、この位置から打ってみな」
「はい」
「そうすれば、ほら、同じ距離でもスピードは増すでしょ。威力も全然、変わる」
「たしかに」
「肩を引けば次の回転につながる。"回転"はスピード。軸を倒す、起こす、という動作は"重さ"につながる。"重さ"かける"スピード"がパンチの威力。面を叩くよりもピンで刺す感覚で打つこと。そのほうが当然、威力は増す。それがいわゆる"ピンポイント"だね」
「なるほど」
尽は、何かが腑に落ちたような表情でうなずいた。
ふたたびサンドバッグへと向かう。拳を面ではなく、ピンで刺すことを意識して、左フックを何発も叩き込んだ。サンドバッグを叩く音が、明らかに変わった。鈍く沈むような音ではなく、芯を貫くような、鋭い音だった。
廣隆の短い言葉。だが、その一言が尽に届くまでには、長い時間の積み重ねと信頼関係があった。
「うん、良いね、パンチが切れてる」
「ありがとうございます」
空との試合以来、一か月ぶりの練習再開だった。オフの間も走り込みや筋力トレーニングは、毎日続けていた。今年2月19日、パニアモーガン戦では左フック一閃で2ラウンドKO勝利を飾った。その翌日にはラスベガス合宿へと向かった。
試合後にまとまった休みを取るのは、世界戦で敗れたあと、去年10月下旬に練習を再開して以来、およそ半年ぶり。だが、気分転換で旅行に出かけたり、遊びに出かけたりするわけでもなかった。練習再開初日――この日に照準を合わせて、ひとりで身体を動かし続けていた。
「試合を終えてボクシングから離れているときのほうが、逆に『俺は世界チャンピオンになるんだ』って気持ちが高まるんですよ。グローブをはめたい、はやくサンドバッグを殴りたい、って体がうずくというか、わかります?だから今日は、めっちゃ楽しみでした」
顎の先端から汗のしずくが滴り落ちる。背中に貼り付いたトレーニングシャツからは、うっすらと湯気が立っていた。ほおもすっきりしたままの尽を見て、廣隆は、「エステに行ってきたのかと思うほど、すっきりしているね」と冗談まじりに話した。そして、思いがけず嬉しいものを見つけたように、目を細めた。
「うん、キレてる、キレてる」
廣隆は珍しく、興奮したように何度も繰り返した。
©会津泰成
空に勝利し、OPBF東洋太平洋ウェルター級王者のベルトを右肩にかけたとき、マイクを手にした尽は、「みなさん、倒せなくて、ザ・ムービーできなくて本当に申し訳ない」と、5万5000人の観客に向かい詫びた。「3回までに倒す」と公言していたにもかかわらず、できなかった悔しさをにじませたが、それでも最後はいつもの決め台詞、「待ってろ、世界!」と叫び右拳を突き上げた。
歓声を浴びる尽の姿を背にして、空は、静かにリングを降りた。
7ラウンド終了時点で、ジャッジの採点は空から見て、66対67、64対69、65対68。3者全員、尽のリードと見ていた。だが、8ラウンドは、逆に空が3者全員10対9でポイントを奪い、続く9ラウンドも3者全員から支持を得た。
9ラウンド終了時点の合計は、86対85、84対87、85対86。1者は空で1ポイントリード。残る2者が尽で、それぞれ3ポイントと1ポイントのリードだった。最終10ラウンドを残し、「2対1で尽が優勢」という構図は変わらなかったものの、8、9ラウンドと連続で3者全員から支持を得たことで、追いつく寸前まで試合を引き戻していた。
最終10ラウンドで一度でもダウンを奪い、そのラウンドが3者全員10対8となれば、KOではなく判定でも逆転できた。3者全員10対9でも、引き分け防衛に持ち込めた。
結局、最終10ラウンドはダウンを奪えず、採点も割れて引き分けにもならなかったが、それでも、空はそこまで追い上げた。
「いつかまた、尽と再戦したい気持ちはあるか」と空に聞いた。空は即座に「やりたいです、またやりたいです」と、強い口調で繰り返した。
「お父さんに教えてもらい、続けてきたディフェンスの技術は間違っていなかったと、あらためて思いました。これからも、それを極めるだけ。もっと極める、レベルを上げて行くだけです」
空は真っ直ぐこちらを見て答えた。
「父はこれからも師匠」
と空。 隣に座る強士は「そうですね、『あいつは強え』って、尽くんから思われるようにならないといけないですね」と続けた。
インタビュー開始から1時間が過ぎた。
夕方6時半――。そろそろ切り上げなければいけない。田中親子と一緒に、後楽園ホールへと向かう。途中、どうしてもあの場所は通らなければならない。東京ドームである。
ジャイアンツは地方遠征のためプロ野球は開催されておらず、特に一般向けのイベントも開催されていなかった。普段はプロ野球ファンでごった返す東京ドームシティ周辺は、遊園地に遊びに来た人や外国人観光客、帰宅を急ぐ会社員等が交錯していた。
「ディフェンスは、自分が点数をつけるとすれば100点満点中、40、50点です。求める理想の半分くらい。あの接近戦でもさばける技術はまだまだでした。パンチをもらうものは仕方ないですけど、クリーンヒットはさせないレベルまでには達していなかった。それだけ、尽くんのレベルが高い、強かった、ということ......ですよね」
強士は歩きながらそう話した。
陽も沈みかけた空の下、白い屋根のビッグエッグが見え始めた。 「でも......」と強士は呟いた。
「空は、まだ伸びる、伸ばせます。アマチュアで通用するファイターは絶対、プロでも通用すると思っているので。プロになってまだ2年目です。まだ6戦しかしていない。これからもっと成長する、必ずいまより強くなれると、自分は信じています」
白い屋根を見上げた誇り高きグッドルーザーは、強士の言葉を黙って聞いていた。
©Lemino/SECOND CAREER/NAOKI FUKUDA
「お世話になっております。八王子興行の件ですが、第2試合で......」
尽が廣隆とパンチの軌道を確認している頃、リングを挟んだ向かい側にあるガラス張りの事務室では、廣隆の長男でジムの会長の一生がパソコンで試合映像を確認しつつ、スマートフォンを耳に当て、連絡をとっていた。9月21日に八王子で、大橋ジムと共催で自主興行が打たれることが決まっていた。メインの試合はもちろん、尽である。
去年6月19日、尽が世界戦で敗れた際、JR八王子駅構内のフリースペースには再起を応援する寄せ書きのブースが設けられた。絶望的とも言えるような惨敗だった。それでも地元の人たちは、数えきれないほどの励ましの言葉を届けてくれた。
次回の八王子興行は、東京ドームで勝利した尽の凱旋先であり、当時の恩返しをするための舞台。一生の頭のなかにはそんな物語があった。
東京ドーム興行の準備期間中も、一生は並行して、スポンサーへの挨拶や地元商店街回りなど、準備を進めてきた。尽も試合後は一生とともに、オフ期間中も関係なく参加していた。朝から夜まで、1日で30箇所をまわり、チラシやポスターを配った日もあった。
勝つために努力することはもちろんだが、こうした手弁当の地道な活動も大切な仕事のひとつ。プロボクサーは、応援する人たちがいて初めて成り立つ仕事であることを、尽もよく理解していた。
会場は、東京たま未来メッセ。八王子駅近くにある、多摩地区最大級の産業交流・コンベンション施設である。同会場でボクシング興行が打たれるのは、初の試みだった。
次回の対戦相手は、名古屋・中日ジム所属の日本ウェルター級、WBOアジア太平洋同級王者のセムジュ・デビッド。ウガンダ出身で元五輪代表のセムジュが持つ2本のベルトと、尽自身が持つOPBF東洋太平洋同級のベルト。3本のベルトを懸けてリングに上がる。
後楽園ホールならば満員御礼を狙える好カードだが、一生はあえて、東京都心から離れた郊外で勝負に挑むことになる。「世界チャンピオンが誕生した際は、地元で凱旋パレードがしたい」という、1995年に創設して以来の、八王子中屋ジムの悲願。尽とともにそれを実現させるためにも、いまこのタイミングで八王子で興行を打つことは、プロモーターという立場の一生にとって、必然ともいえる選択なのかもしれない。
「そうですか、ありがとうございます」
一生は電話を切ると、すぐにまた別の連絡先を開いた。
©会津泰成
「ベビモン(BABYMONSTER)、どう思いました?」
1か月ぶりの練習を終えた尽は、ストレッチをしながら、ふと思い出したようにこちらを見てたずねてきた。
東京ドームの入場時、尽は3アーティストの3曲をつないだ特別な入場曲を用意していた。花道を歩く前、登場の際に使用したのが、BABYMONSTERの『WE GO UP』のオープニング部分だった。若い世代に支持される多国籍ガールズグループの曲を選んだ理由は、東京ドームという舞台で、初めてボクシングに触れる人たちにも興味を持ってもらいたかったからだ。
「新鮮で良かったと思うよ。でも、どうして?」
尽にそう答えると、「そうですか......」と返し、さらにこう続けた。
「ベビモン、デビューした頃から好きで、テンション上げたいときは聴いているんですけど、なんとなく恥ずかしいかな、って思って、内緒にしてたんです。『えっ、佐々木尽って、じつはガールズグループ好きなの!?』みたいに思われるのが気になって......」
尽は、声をひそめるように小声で話した。
『WE GO UP』は、韓国の主要音楽チャートで1位を獲得したミニアルバムの表題曲で、ミュージックビデオも公開2週間あまりで1億回再生に到達している。若い世代だけでなく、国境を越えて広く届いた楽曲だった。だが、それを入場曲に使用した選択はどうだったのか。選曲した自分に対して、5万5000人の人たちはどのように受け止めたのか。 尽はそれが少し気にかかっていたようだ。
「ガールズグループだからどうとか、そういうのは関係ないと思うよ。良い曲は良い。それだけのことだと思うし」
「なるほどね」
尽は納得したように頷いた。表情には、少し照れくさそうな、そして安堵したような笑みが浮かんでいた。
「なんか、めっちゃすっきりしました。ありがとうございます」
ストレッチを終えて私服に着替えた尽は、そう言って挨拶すると、リュックを肩に担いで八王子中屋ジムを後にした。明日からはさらに練習の強度を上げるつもりだ。
ガラス張りの事務室では、一生が相変わらずパソコンの画面で試合動画を確認しつつ、スマートフォンを片手に誰かと連絡を取り合っていた。
尽の練習を見終えた廣隆は、さきほどの黒い大きなサンドバッグの前で、今度は別の選手の指導をしていた。おそらくさきほど、尽に教えていたピンポイントについて同様に伝えていることは、様子からなんとなくわかった。
「尽だって、あれだけ大きく変われたんだから」
身振り手振りを交えてファイティングポーズを取る廣隆の姿は、いつもより力強く見えた。
©会津泰成
●佐々木尽(ささき・じん)
2001年7月28日生まれ、 東京都出身のプロボクサー。八王子中屋ボクシングジム所属。5月2日に行われたOPBF 東洋太平洋ウェルター級タイトルマッチでは王者・田中空を判定で破り王座に返り咲いた。オーソドックス (身長174cm・リーチ176cm)、通算戦績は24戦21勝(18KO)2敗1分。