10年前の「Old Phone」~グラスゴー 【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

文・写真/佐藤 佳

グラスゴーのケルビングローブ博物館にて。理由は不明だが、新型コロナウイルスにゆかりのあるふたつの動物、センザンコウとハクビシンの剥製が、同じケースに入れられて飾られていた。なぜ?グラスゴーのケルビングローブ博物館にて。理由は不明だが、新型コロナウイルスにゆかりのあるふたつの動物、センザンコウとハクビシンの剥製が、同じケースに入れられて飾られていた。なぜ?

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第206話

10年前、期待を胸に降り立ったグラスゴー。再び訪れた研究所には、かつての仲間たちの姿はなかった。昔住んでいた家、写真に残る古い携帯電話――研究者としての礎を築いた街で、それぞれが歩んだ歳月に思いを巡らせる。

* * *

【機内で観たある映画】

2025年8月。ロンドンに向かう機内でめずらしく、昔観たことがあるひとつの映画を観た。

私は、映画を観るのが苦手だ。そもそも、飛行機で映画を観る、ということ自体が私にはほとんどない。もしたまに観ることがあっても、昔観たことがある映画を選ぶことがほとんどである。

このときに観た映画は、『ショーシャンクの空に』。これは、高校生のときに観て衝撃を受けた映画のひとつだ。高校生にもわかるくらいに多岐に渡る示唆に富んだ名画であるが、改めてちゃんと観たのは高校時代以来かもしれない。

主人公の収監10年目の「お祝い」として、この映画の原題にもあるアメリカの女優リタ・ヘイワースのポスターの代わりに、この連載の62話にも登場するマリリン・モンローのポスターがプレゼントされるシーンがある。

そしてその後には、ラクエル・ウェルチのポスターがモンローのそれに取って変わる。それぞれ、50年代、60年代、70年代のアメリカのセックスシンボルとして一世を風靡した女優たちだ。これらの登場が、劇中の時代の変遷、時の流れの隠喩として描かれている。

【グラスゴーにて】

ロンドンで乗り継いで、1年ぶりにグラスゴーへ。1年前(145話)と同じく、今回も天気がとても良い。

空港や市街地では、「Glasgow 850」というピンク色の掲示を至るところで見かけた。2025年は、グラスゴーという街ができてから850年。グラスゴーが作られた1175年は、日本ではまだ平安時代末期、鎌倉時代の一歩手前である。私が客員教授としての新しいチャレンジを始めた、たった60年の歴史しかない若いシンガポール(200話)とは対照的である。

「Glasgow 850」の掲示。街の至るところで見かけた。「Glasgow 850」の掲示。街の至るところで見かけた。

客員教授を務めている(90話)グラスゴー大学のCVR(Centre for Virus Research、ウイルス研究センター)へ、Uberで向かう。

これまで、いろいろなところを訪れて、飛び込み講演や招待講演を繰り返してきた私であるが、ある種の「古巣」とも言えるここCVRで講演するのは初めてだった。

2025年のグラスゴー、私の「ホスト」だったロブ(87話)は南アフリカへ、友人のサム(143話)はケンブリッジへそれぞれ異動していた。前年(2024年)にワークショップを一緒に開催し、15年間CVRの所長を務めたマッシモ(145話)は、オランダ・ロッテルダムのエラスムス大学医療センター(40話)の所長に転任した。

――2020年、新型コロナパンデミックの始まり。CVRは、イギリス国策の新型コロナ研究コンソーシアム「G2P-UK(15話)」の中核をなす研究機関のひとつだった。ロブもサムも、G2P-UKの一員として、マッシモの統率の下で、ここで新型コロナ研究に奔走していたはずだ。それから5年、2025年のCVRに彼らの姿はいない。

【10年前の携帯電話】

10年前、初めてこの街にやってきたときの湧き立つような気持ちは今でもよく覚えている。新しい場所での新しいチャレンジ。それが当時、期待したようなものにはならなかったこと、しかしそれでも、ここでのつながりが、現在まで続く私のキャリアの大切な礎(いしずえ)のひとつとなっていることは、この連載でも紹介したことがある(87話、145話)。

2015年当時は、SIMカードもポケットWiFiもない、スマホ環境のない生活だった。金銭的にもUberなど使えず、山道を30分ほど歩いて通勤していた(89話)。

この滞在のある日、10年前に住んでいた家まで足を運んでみた。2015年以来、グラスゴーには何度か来たことがあったが、この場所に戻ってきたのは10年ぶりだった。

2015年に住んでいたマンスリーマンション「THE WHITE HOUSE」。2015年に住んでいたマンスリーマンション「THE WHITE HOUSE」。

あるとき、MacBook Airに残っていた、10年前の写真を眺めてみた。すると、すっかり忘れていたが、当時グラスゴーで持っていた、通話機能しかないNOKIAのプリペイド携帯の写真が出てきた。

2015年のグラスゴー滞在中に持っていた、通話機能だけのNOKIAのプリペイド携帯。結局一度も使うことはなかった。2015年のグラスゴー滞在中に持っていた、通話機能だけのNOKIAのプリペイド携帯。結局一度も使うことはなかった。

グラスゴーでの用務を終えて、ロンドンに向かう飛行機に乗り込む時、リリースされたばかりのエド・シーランの新譜「Old Phone」が耳に入った。この曲は、こんな歌詞で静かに閉じられる。

Growin' up and movin' on I found my old phone today

「それぞれに成長し、それぞれ前へ進んでいく。昔使っていた携帯電話を見つけたんだ(対訳:DeepL、ChatGPT、筆者改訳)」

★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★

  • 佐藤 佳

    佐藤 佳

    さとう・けい

    東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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