手続きのために出かけたシンガポールのオフィスから見えた朝焼け。「これからいよいよなにかが始まる!」というワクワク感が滲み出て見えた。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第204話
タイ、カンボジアを巡って、再びシンガポールへ。ホテルを転々とし、仕事に追われ、道路を渡るだけでも命がけ。そんなひと月の旅の最後に、筆者はまた高野秀行の本を開いた。そして夜空には、上弦の月が浮かんでいた。
* * *
【シンガポールに「帰還」】
プノンペンからシンガポールに戻ると、やはりその物価に再度驚愕する。プノンペン国際空港の免税店で、シンガポールでの寝酒用に、フランス産赤ワインのボトルを10ドルで買うことができた。一方、シンガポールでは、レストランでのグラスワイン1杯が軽く20ドルを超える。
この旅も終盤。高野氏の本をすでに2冊読み終えていた私は、『地図のない場所で眠りたい』(高野秀行、角幡唯介・著)を手に取った。
ノンフィクション作家であり、早稲田大学探検部の先輩後輩の関係にもあるふたりが、それぞれの見解を語る書。とてもためになった。特に高野氏の、取材や著作、執筆や冒険に対する意識からは、学ぶところがたくさんあった。
私は本を読んでいて、グッとくるところがあるとそのページの角を折る習慣があるのだが、この本には特にたくさんのドッグイヤー(角折り)が付いた。しかしだからといって、たとえばこの連載コラムに何を書けばいいのか、とか、私の本業たる東南アジア諸国との共同研究をどうすればいいのか、などということについてのアドバイスはもちろん説かれていない。
【東南アジアホッピングの代償】
今回の出張のように、アイランドホッピングならぬ、東南アジアホッピングをしていると、不意に自分がどこの国にいるのかわからなくなることがままある。
そんなときに特に気をつけなければならないのが、「道路の渡り方」である。
たとえば、バンコクやプノンペン、ハノイの場合、車道は基本的にカオスで信号が少ない。そのため、道路を渡るときには強く自己主張をして、「オラッ!」という感じで無理やり割り込んでいかないと、一生道路を渡ることができない。
また逆に、車やバイクの目線からすると、人が割り込んでくることを織り込み済みで運転しているので、道に人が出現すると、すぐに減速して道を譲る。そういう形で交通事情が成立している。
しかしこのマナーは、国によってさまざまなのである。たとえば経験上、シンガポールの場合には、車は基本的に人に道を譲らない。角を曲がっても、人の影が見えても、基本的に車は減速しないのである。であるからして、無意識にバンコクやプノンペンのように「オラッ!」と車道に身を投じると、おそらく普通に轢(ひ)かれる。
日本に帰国していたらそういう交通事情の感覚も無自覚に「日本モード」にリセットされるので、そんな無謀なことはもちろんしないのだが、東南アジアのいろいろな国を転々としていると、この辺の感覚が、国を跨(また)いでもリセットされないことがままある。そのおかげで、バンコクやプノンペンからシンガポールに戻ったときには、ヒヤッとする場面がいくつかあった。
【シンガポールでの残務処理、そして】
今回のシンガポール滞在では、「いろいろな街を見たい」という目論見のもと、いくつかのホテルを転々とした。離日してすぐのティオンバルに、タイから戻った後に滞在したノベナ。そして、カンボジアから戻った後に滞在したオーチャードとクラークキー。
シンガポールは東京23区ほどしかない小さな都市国家だとよく言われるが、それでもなお、23区も港区から墨田区、銀座から赤羽まで文化の側面はそれぞれでさまざまであるように、シンガポールのそれぞれの地区もそれぞれに色合いが異なることを体感できたことは収穫だった。
200話でも書いたが、今回の訪星は、かぎられた滞在時間の中で、遅々としか進まない手続きを自らの手で進めることが主な用務だった。その合間には、1日に数回もの日本とのオンラインミーティングが入る。予定通りに進まなかった事務手続きは、日本との用務の合間に無理やりリスケすることもままあった。
――ただまあ、すこし昔を思い返してみれば、京都から東京に異動してきたときや、この10年前にグラスゴーに長期出張したとき(87話)にも、似たような感じで、新しいセットアップがいろいろと大変だったなあ、ということを思い返したりもした。「立ち上げ」というのは得てしてこういうものなのかもしれない。
細々とコツコツとこなしているつもりなのに、1日が終わって振り返ってみると「あれ、これだけ?」ということの繰り返し。ひとつの案件が進展するたびに、「お疲れ!」と調子に乗ってひとり打ち上げと称して外食したりしていると、それが軽く1万円を超えていたことも何度かあった。
【旅のおわりに】
バンコクやプノンペンも含めて、およそひと月の東南アジアツアー。タイやカンボジアを巡り、シンガポール市内もいろいろなところに滞在し、ぐるっとひとまわりした最後の週末は、最初(200話)と同じクラークキーの店で、やはりIPAやグラスの赤ワインを飲みながら、やはり高野氏の書に目を落とした。
20時を過ぎると、「National Day(建国記念日)」のお祝いの予行演習の花火が上がった。花火の後ろには、上弦の月が浮かんでいる。
私を含め、研究者というのは基本的に、自分の好きなことだけをやりたい人種である、ということを200話に書いた。自分のやりたいことを仕事にして、それで食い扶持を稼ぐ。そういう姿勢が高野氏にも共通しているのだな、ということに、『地図のない場所で眠りたい』を読んでいて気がついた。
今回の出張の中、通底して読んでいた本の著者である高野氏とのこういう共通点が、彼の本に惹かれるひとつの大きな動機になっていたのだろう。
この本の中で高野氏が述べていた、「『行きたいから行った』よりも、『行くしかないから行った』の方が面白い」というセリフは、東南アジアでの「外向きのチャレンジ」(27話)の渦中にいる私にとって、真理のように聞こえた。
「ジャングル!」「冒険!」などという稚拙な表現で、文化や環境の違う国との共同研究を進めることがいかに浅はかであるかということは、この前年(2024年)のマレーシア・ボルネオ島の出張で痛感していた私である(124話)。
それと同じ轍を踏むつもりはない。しかしそれでもなお、およそひと月にわたるこの東南アジア出張は、それとはまた違う趣の、国際共同研究の難しさを私に突きつける機会となった。
私が標榜する「外向きのチャレンジ」とはもしかしたら、月明かりを頼りに、地図のない場所をさまようようなものなのかもしれない。今回の旅もまた、その地図に新たな線を描き加えるための一歩になっていればとも思う。
そして、この旅の締めくくりに、シンガポールの建国記念日を祝う場に立ち会えればきれいな締めくくりになったのだが、肝心のその記念日は8月9日、私の帰国の数日後だった。今回の訪星前にはそんな記念日があることなど露知らず。せっかくのアニバーサリーイベントを体験することをできずに、酷暑の東京に戻ることとなった。
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