1か国目、シンガポール。2025年7月、シンガポール・チャンギ国際空港にて。2025年、シンガポールは建国60年。街の至るところでそれを祝う姿勢が垣間見えた。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第200話
「限りなく境界に近い科学」シリーズ第3弾! 2025年夏、「若い国家」を象徴する三日月を国旗に掲げるシンガポールへ。客員教授としての新たな仕事を始める一方、そのための手続きに追われる日々。そんな旅のお供に選んだのは、ノンフィクション作家・高野秀行の冒険譚だった。
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【日本の夏の趣(おもむき)】
2025年7月始めのある日の午後。タイ人の友人Sさん(12話、79話、169話に登場)たちと、東京・白金台にある私のラボで研究打ち合わせをした。そこから恵比寿まで歩いて、一緒に夕食をとることになった。白金台から恵比寿まで歩いて20分ほど。梅雨の明けきらない東京は、夕方でも猛暑である。
玉の汗を流しながら店を探し、ちょうど近くにあった良さげな焼き鳥屋の暖簾をくぐる。
冷えた店内、そのお通しで出てきた茄子の煮びたしをつまんで、日本の夏は「涼」をとる、ということの素晴らしさに気がついた。
東南アジア出張が増えた昨今であるが、その熱帯夜に、屋外で飲む氷の浮いた薄いビールは格別である。あるいは、タイ料理や韓国料理、あるいは四川料理のように、「暑い時には辛いモノを」というのが、暑いときのアジアの風習でもある。
またベトナムでは、熱々の鍋を食べたりもする(189話)。つまり、「『辛さ・熱さ』を以て『暑さ』を制す」という精神が、アジア、あるいは中国発祥の文化には根づいている。
――それに比べて、日本の精神、つまり和食は、まるで趣が異なる。
茄子の煮びたしのような冷えた前菜をアテに、キリッと冷えたキレのあるビールをキュッと一杯。またあるいは、簾(すだれ)や風鈴、流しそうめんなども、暑い夏に「涼」をとるための工夫であろう。
「涼」をとること。すなわちそれこそが、日本の夏の精神である、ということに気づいた、2025年の初夏であった。
そこはかとなく日本の「涼」を感じる初夏の和食。
暑いなら、冷たいモノで冷ます・冷やす、という方が明らかに理に適っている。しかし意外だが、そのような文化が見られるのは意外にも日本くらいのもので、実はアジア諸国ではあまり見られないように思う。「からだを冷やしてはいけない」という中国の「漢方」の文化が、アジア諸国にも広く浸透しているからだろうか?
【満を辞してシンガポールへ!】
7月上旬、シンガポールに向かう。
前回、この年(2025年)の3月に訪星(シンガポールは漢字一文字で「星」)したときには未遂だった、「客員教授」の手続き(168話)。その後、5月に契約書類が届いて、6月に晴れて契約締結。よってこの7月の出張は、満を辞して、初めてのデューク大学・シンガポール国立大学医学部(Duke-NUS Medical School)の「客員教授」としての訪星となった。
数ヵ月ぶりのチャンギ空港。そこに漂う熱気は、梅雨がまだ明けていない東京のそれと大差がない。
今回のシンガポールでは、研究よりもむしろ、その基盤構築のための細々とした事務手続きが目白押しである。しかも面倒なことに、その手続きにはそれぞれに順序があった。
つまり、A、B、Cというタスクがあるとして、Aが終わらないとBに進めない、Cを申請するにはBが必要、というように。そのため、複数タスクを並行して進められないもどかしさがあった。
さらに、「申請から承認まで3~5日ほどかかります」というものばかりなので、バッファーも含めてそれぞれ数日は予定を空けておかなければならない。緻密な計画を立てることができないことも、もどかしさに拍車をかけた。
研究者というのは得てして、自分の好きなことしかやりたくない、わがままな人たちだと思われがちである。しかしこれは半分が正解で、半分が間違っている、と私は思っている。実際に私がまさにそうだという自覚があるが、程度の差こそあれ、「自分の好きなこと、興味があることしか『できない』」のである。
であるからして、今回の訪星のように、慣れないこと(普段は秘書に丸投げしているようなこと)をたくさん抱えて、しかもそれを自分でこなさなければならない(しかも英語で!)、というのは、不慣れであり、苦痛であり、投げ出してしまいたい、という類の用務であった。
【今回の旅のお供・高野秀行】
そういう事情もあって、無意識に現実逃避を試みていたのかもしれない。今回の出張には、ノンフィクション作家・高野秀行氏の文庫本を何冊か持参していた。「外向きのチャレンジ」(27話)、特に東南アジアを旅する機会が増えた昨今の私であるが、「バックパッカーの聖書」たる『深夜特急』(沢木耕太郎・著)以外にも、熱帯や辺境、未開の地を冒険するようなノンフィクションを読みたい! と、ChatGPTやAmazonで調べて見つけたのが彼の本だった。
最初に手をつけたのが、『西南シルクロードは密林に消える』。古代中国の「西南シルクロード」と呼ばれる交易ルート(雲南省~ミャンマー~インド北東部)を、現代の地理・政治・文化の中で再踏査するノンフィクションである。脱法行為の連続による冒険譚が、筆者らしいコミカルなタッチで綴られている。
密かに東南アジア制覇を目論んでいる私であるが、政情不安のために、私の仕事の延長線上、つまり、共同研究を目的としてミャンマーに到達することは、ほぼ不可能な状況にある。そして中国の雲南省といえば、コウモリのコロナウイルスのメッカ(187話)とも呼べる場所でもある。
つまり、「ミャンマー」と「中国・雲南省」という、私の仕事に関係し、また私が訪問を夢見る場所が、この冒険譚の舞台なのである。
シンガポールの「クラークキー」と呼ばれる地区は、着飾った観光客や家族連れが闊歩する。その川沿いにある小洒落たカフェで、日の高いうちからIPAを飲みながらこの本に没入し、ミャンマーの山奥に思いを馳せた。
ジャングルの中を象に乗って移動したり、ゲリラ軍に協力を仰いだり。およそ常識では考えられないイベントの連続である。2024年にジャングルの端っこをかじっただけで根を上げた私(123話)には到底実現不可能な冒険だろう。感嘆の思いでページをめくり続けた。
そして、計画通りに進まない旅程や、地元の協力者との齟齬のようなエピソードにも「リアル」が満ちている。思うように物事が進まないさまなどは、つい数ヵ月前の、ベトナム北西部へのサンプリングツアー(190話)を思い起こさせた。
【建国60周年】
2025年のシンガポールは、ちょうど建国60周年。そこかしこにそれを祝う掲示があり、国旗が掲揚されている。ちなみに、シンガポール国旗に描かれている三日月は、「若い国家」を象徴しているという。
この時期のシンガポールは、毎週土曜日に「National Day(建国記念日)」のイベントの予行演習を開催しているそうで、私が高野氏の本に没頭していたのもちょうど土曜日だった。私がいたクラークキーは、シンガポール川の河畔に位置する。
20時になると、その河口近く、3棟のビルの上に船が乗っている、シンガポールのランドマーク的ホテル「マリーナベイサンズ」を背景に、たくさんの花火が上がった。予行とは思えない数の花火が上がり、市中が煙でいっぱいになる。
これで予行演習なら、本番はいったいどれだけすごいことになってしまうのだろうか?
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